【神話の島 隠岐を訪ねる】晩夏のロングツーリング Part.3 ~隠岐 島後島で強風の野営

こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。

2日間の野営を経て島根七類港より隠岐 中ノ島にたどり着き、中秋の名月を愛でつつ4日目の朝を迎えます。
➡【七類港から中ノ島へ渡る】
この日は中ノ島を少し走りつつ、次の目的地島後島へと渡ります。

4日目の朝 中ノ島を走る

昨夜は予報の通り、かなり降っていたのが音でわかりました。このタイミングで宿泊にしたのは正解だったかもしれません。
雨の中の野営経験を重ねるという意味ではマイナス一票ですが・・・

朝、宿で見かけた昆虫たち。
クツワムシとホオズキカメムシ。
クツワムシはどうやら脚をケガしているように見えましたが、こういうもんなのかな?
ホオズキカメムシは一見地味ですが、苦手じゃない方はクリックして拡大してみると、体全体にトゲトゲがあり、後脚の大腿部(腿節)は太く発達していて、見ごたえのある形態をしています。が、幼虫、成虫共に農業害虫のようです。

さて、朝食はガラにもなくこんな素敵なのをいただいちゃいました。
まぁたまにはいいんじゃない?

そしてテネレのハンドルガードにもカメムシが。
これはホソハリカメムシ。肩の部分が80年代肩パッドを遥に凌駕する突出具合です。が、やはり農業害虫なり。

宿を出てから島後へのフェリー出航までけっこう時間があったため、中ノ島南端にある「木路ヶ埼灯台」に行こうと思います。

 

途中、山を上っていくと島ならではの景色が開けるタイミングが沢山あります。

カタバミ? などの野草がそこかしこに咲いているので脇見運転注意です。

木路ヶ埼灯台に至る道の後半はなかなか細くて茂っており楽しかったです。
こういう道になってくるとバイクならではの爽快感が一入ですね。

木路ヶ埼灯台にて。
この灯台 軽く調べても建設年など不明です。そこまで古いわけではなそうですが、今でも現役なの?それすら分からない。

木路ヶ埼灯台をあとにして 再び菱浦港へ向かいます。
その途中、こんな感じの乗り越えちゃダメそう(というかダメ)な有刺鉄線を身をよじらせてくぐりぬけてみると、

そこにはビビるほどの絶景が。

少し降りていくとウシが海岸からせり立つ草原を気持ちよさそうに歩いています。
都会暮らしの管理人には 海岸を牛が歩いている という図にやや違和感を感じますが、それでもこの風景を構成する全てがあまりにも函蓋相応じていてそんなことはどうでもよくなります。

くどいようですが、あまりにもよい風景だったので、縦カットも。

この辺にはセンニンソウが沢山咲いていました。

道中、ゲゲゲの鬼太郎の看板があったので、その脇の石段を登ってみます。

コガネタケ???などが菌糸を張り巡らすその石段をぜぇぜぇ言いながら上っていくと、

頂上にはこんな巨岩が。
これは「七尋女房岩」といい、色々と微妙に違ったエピソードが語られていますが、とにかくその昔侍が大女を斬り付けたところ、その大女がこの巨岩に変わったというような伝説です。7尋というと、およそ12.6mほどなので、それはもう大女を通り越して完全な巨人です。
この巨岩の高さはおよそ6mほどなので、体の半分は地中に埋まってるんでしょうか?
いつか、また元の姿に戻る日があるといいですね。
ゲゲゲの鬼太郎の看板があったのは、どうやら水木しげる氏がこの岩を訪れた際に霊気を感じたという逸話のためのようです。

付近にて、ドロバチの類でしょうか、スズバチが疑わしい。
巣づくりの原料集めなのかな、おつかれっす。

菱浦港→島後島 西郷港へ

港へ戻ってきました。

フェリーの時間が決まっているため、あまり時間的な余裕はないため、まだまだ見所のある中ノ島を口惜しく後にします。
この旅の瑕瑾を問うのであれば、フェリーの時間にもっと余裕を持たせるべきだったことでしょうか。

今回の手荷物券&乗船券。

船尾はこのようなデッキとなっているので、遠のく中ノ島を眺めながらボケーっとします。

固縛テネレ再👍

隠岐諸島を巡るツーリング、中間地点 島後島に到着です。

隠岐の島 巨杉を巡る

島後に到着し、まずは本日の野営用の食材を買いだすのですが、その道中、玉若酢命神社に立ち寄ります。
玉若酢命神社は隠岐3大神社のうちのひとつで、創建の年代は不詳とのことですが、天武天皇の時世との説をみると7世紀頃なのかな。

鳥居は国道に面しています。

茅葺屋根の神門をくぐると、

そこにはこんなスギの巨木が!

このサイズ感です。❝八百杉❞というこの杉の樹齢は2000年とも言われており、天然記念物に指定されています。

最終氷河期の時代、隠岐諸島は現在の島根県と陸続きだったらしく、この時対馬暖流の影響で比較的温暖だった隠岐に逃避した杉が、その後再び海水面の低下に伴って本土側へ移動していったという説がありますが、これが日本海側のウラスギのルーツが隠岐にあるのではないかという話の由縁です。

それにしても本当に立派だ・・・・今回持参のレンズでは画角におさまりきらん。

拝殿と、風雨に浸磨され阿諛なき姿がむしろ心地よい。
祭神は玉若酢命で、この地の開拓に深く関わる神とのことでした。

本殿。ここも、裏まで回ることはできませんでした。小学生だったら行ってたけどな。
本殿の写真をよく見ていただくと、
・屋根の向きと入口の位置関係が妻入りとなっていること
・向拝(庇のような部分)が屋根とは独立して設けられていること
がわかると思います。これが典型的な「隠岐造り」の特徴なのだといいます。
本殿自体の建立は1793年で、隠岐の神社の中では最古とのこと。

境内で発見できたツユムシと赤いトンボ。
この赤トンボ、 アキアカネやコスモポリタン種のウスバキトンボかと思いましたが、翅の先端部分が褐色に染まっているためコノシメトンボではないかと思われます。

更に奥には古墳群があるというので、このように8月の雨の影響でガレた道を蚊に刺されながら歩いてみます。

結局、このような小高い丘があるのみでした。
ただ「詳細は発掘調査はおこなわれていない」とのことでした。

神社を去り、もうひとつの巨杉をみにいきます。

こちらは❝かぶら杉❞ で、樹齢は約600年だそうな。
根本から6本に枝分かれをするという特異な見た目に圧倒されます。高さも40m弱のまさに巨木。

この付近にはこのような清流が流れ(中村川)、もし今が冬だったらこの石をひっくり返すとカゲロウやカワゲラの幼虫が沢山見つかりそうな様相を呈しています。
もう一つの有名な巨杉、乳房杉は 通行止めのため行くことができませんでした。

某野営地へ

この日は島後のどこかで野営をしようと思っていましたが、例の如く特に未定でした。
せっかくだから西側の海岸がいいよなと思いつつmapをにらみ・・・

島の北西に位置する某野営場にいってみようと思います。
通行止めの道も多いため、道順を考えないと道程が無駄になってしまいます。

道中のフラット爽やか林道? にて。
今回の積載をまじまじとみてみます。ほんとにわけわからん荷物をこんだけぶち積まれてもこんな林道から高速までがっつり走れるテネレは、何を隠そういいバイクです。まぁ犬猫などのペットと同様、バイクは各オーナーにとって面面の楊貴妃なわけです。

荷物に関しては、重量のあるものをタンデムシート上にまとめることで、トップケースやパニアにはそこまで負担がかからないように工夫をしています。
通常使用で問題になることはまず無いと思うのですが、ロシア~モンゴルなどひたすらダートの続くようなコンディションでリアフレームがどこまでもつのか、やや不安はありますね・・・

さて、野営場所に到着しましたが、ご覧のように道が土砂で塞がっています。

ふる積載の状態だと越えられる自信がなかったので、とりあえずリアの荷物全部おろし、、、

後から動画で見るとそんな大したことないように見えるんですが、
オフ初心者の管理人はおっかなびっくりですわ。

てな感じで、本日の野営地に到着しました。

三脚自撮り。Tシャツはノーコメントでお願いします。
「ちょっと近所まで散歩ツーリングきましたぁ」みたいな雰囲気ですが、自宅から約1,000km走ってきております。
顔が疲れているのは先ほど下した荷物を坂の上から全部運んだからでしょう。

強風の中野営

明るいうちにテントを設営します。
この日は非常に風が強く 油断すると色々吹き飛ばされてしまいそう。
ただ、この写真のように砂利地のコンディションでも鍛造ペグであれば地中の石すら砕いて入っていくので、
ヒルバーグの極太ポール&ケルロン生地と相まって設営さえしてしまえば最強なのだ。

薪が沢山積み上げられていたので、ちょっと拝借。
昨日の雨で濡れただろうに、あまり期待はできませんが一応トライしてみます。

そこらへんの石なども持ってきて、果たして火はつくだろうか。

  

この日は買い出ししたこともあり、またクッカー類を洗う場所もあるので、割としっかり夕飯をこしらえます。

そして、残念ながら薪は昨夜の雨で中心部がまだ湿っているようで、だいぶチャレンジしましたが終ぞ炎が安定しませんでした。

着火時。
もっと薪を小さくして地道に頑張るかガソリン使えば安定したかもしれませんが、そこまでの気力はありませんでした。

辺りはすっかり真っ暗になり、虫の鳴き声と波の音だけが聞こえる静かな夜に・・・
と言いたいところですが、強風にテントのフライがバッサバッサする音であぁうるさい。
たいして距離を走っていないのでそんなに疲れていないのもありこの日はなかなか寝付きが悪かった・・・

水若酢命神社~西郷港へ

朝。

相変わらず風は強めですが、海岸をちょっと散歩してみます。
この過酷な環境にも、幾種類かの野草が逞しく咲いていますが、これはハマゴウでしょうか。

川がこの入江部分に流れ込むまさにここは、汽水域になるのかな、
対岸にでかいカニ。種類は?

蛇口の取っ手が取り払われていましたが、ふふ バイスプライヤーがあるんだな。
これで洗い物をさせてもらいます。

せっかく風がいい感じなのでシュラフを干します。鯉のぼりみたい。

うん、今見てもうまそう。

さて、昨日乗り越えたこの土砂崩れ、当然また超えないと帰れません。
がんばれテネレ!

なにがウェーイだよ、と思うとおもいますが、もうほんとにおっかなびっくりなんです。

無事乗り越えられました。

さて、この日もフェリー出航の時間に追われます。
道中、伊勢命神社。

神門と拝殿。
やはり創建年代は不明とのことですが、おそらく7~8世紀なのでしょうか。
太古にこの地で漁猟を生業とした海の民 磯部氏などがその創始に深く関わっているとのことです。

本殿それ自体は1841年の建立で、やはり向拝が別体となり妻入りである隠岐造りをみることができます。

ところで、全国の神社などでみられる紋章には様々なものがありますが、このような六芒星を見受ける機会が非常に多いのは何でなんでしょう?

西郷港への到着時間を鑑みて、足早に南へ向かいます。

そしてこれが水若酢命神社。

鳥居を通り拝殿へ。
祭神は水若酢命で先述の玉若酢命と同様隠岐の開拓に関与深い由来不詳な地方神のようで、やはり創建は不詳ですが3~5世紀頃と諸説あるようです。

本殿はやはり隠岐造りで、建立は1795年。

 

そこかしこに16花紋を見る事ができます。
菊御紋は後鳥羽上皇以来との説がありますが、本当にそうなのだろうか。

そして境内で目にした生きものたち

種類が分からないけど、翅が腹端を越えず サイドに綺麗な褐色の横筋があるのでコバネイナゴの隠岐バージョンでしょうか。

こいつはなんだかぺったんこになって休んでましたが、ニホンアマガエルが乗っかってる木の色に体色変化をおこしているところなのかな?

管理人が小学生の時は都内でもそこいらの生垣などでよくみかけたツマグロオオヨコバイ 通称バナナムシ。

たぶん今度こそアキアカネ。ただ紅が弱いので未成熟なのかも。

島を南北に貫く国道を南へ向かいます。

島後で最後に立ち寄ったのはこちら。隠岐国分寺。
奈良時代に聖武天皇の詔で全国に建立されたもののうちのひとつなのかな?

こちらには五三桐と菊10花紋が重なっております。
いわゆる菊桐抱き合わせというやつなのでしょうか。

ん、スズメバチ類の巣。

そしてこれが後醍醐天皇の在行地であったことを示す石碑。実際に後醍醐天皇がどこにいたのかというのはあまり明らかでないようで、西ノ島にも行在所として黒木御所という史跡があります。

廃仏毀釈で焼失した旧本堂の跡地には

きれいに赤く成熟したコノシメトンボがいざ知らず やおらとどまっています。

さらに奥には後醍醐天皇を祭る王城鎮護社があり、

オサムシの一種がせわしなく這っているのでした。

この後、西郷港に超ギリギリセーフで到着し、次の目的地西ノ島へ渡ります。

➡【神話の島 隠岐を訪ねる】晩夏のロングツーリング Part.4 ~隠岐の真骨頂 西ノ島で空を走る

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