【Republic of Uzbekistan episode 8】ウズベキスタンへ再入国、ティムール帝生誕の地 Shahrisabz; シャフリサブスへへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

短いながら濃密だったトルクメニスタンの旅を終え、ウズベキスタンに戻ります。

ここまでのルート

ウズベキスタンへ再入国

マリーから今度はひたすらに道を北上して、ブハラへ抜ける国境を目指す。ガスクレーター周辺ほどではないけど、道は再びかなり悪くなっていく。

カラクム砂漠の茫漠な中を進んで、国境直前でアムダリア川を渡る。ガソリンが今世紀最大のギリギリでまじのガス欠になるかと思ったけど、なんとか国境手前のスタンドまでもった。ビッグタンクやるな、アシガバートをちょっと過ぎたところで最後に給油して、少なくとも620kmは無補給で航続した。

出国ゲート手前でエージェント達と別れたので、出国手続きは自力でなんとかしなきゃならないけど、まぁなんとかはなるもんで、問題はどれくらい時間がかかるかだ。
出国の際のオフィサーは非常に不親切で、通関の書類を完了するのにかなり時間がかかった。入国の際に発行された書類はほとんど全て回収されて、USD 10 だけ出国料的なものをとられる。荷物検査はまだ就職したばかりの10代くらいの少年たちで、適当に笑いながら「問題ない問題ない」を連呼してたらタンクバッグの中を覗くくらいで終了した👍👍👍

ウズベキスタンの入国に関しては、もうこれで3回目ということもあって、イミグレのスタンプはすぐにもらえた。肝心の荷物検査は、バイクから外すのはめんどいよ~ とごねると、車用のバカデカい検査機の中を通す方向で進めてくれた。無事問題なしということで通関スタンプをもらう。

Border Information
Border Point : Farap
DEPARTURE
No carnet
No covid
USD 10 → Departure fee
Luggage inspection
Documents collected
ENTRY
No Carnet
No Covid
No fee
Face photo
Bike → X-ray Machine

てなわけでウズベキスタンに再入国。
国境を越えた後、案の定自転車に乗った両替おじさんが近づいてきたから、余ったトルクメニスタン・マナットを交換する。明らかにクソなレートで持ち掛けて来たので、トルクメのブラックマーケット・レートを示してダメだと言ったら、しぶしぶやや多めのウズベキスタン・スムを渡してきた。両替おじさんの不服そうな表情を見ると、こちらは大満足である。旅行者相手にせこく儲けようとしてんじゃねーよF〇CK! と心の中で叫びながらブハラへの道を走る。

すでに日はだいぶ沈みかかっていた。

ブハラの街に戻って来た時、ひとつだけブハラで心のこりだった場所を訪れる。

ラヴィ・ハウズ周りの旧市街中心から、やや南に逸れた住宅街の路地裏を歩いていくと、

あった、ブハラのシナゴーク(ユダヤの礼拝所)だ。17世紀の前半、ブハラ=ハン国がユダヤ人女性から土地を譲り受けた代わりに提供したというシナゴークがここの事なのかどうかは定かではないが、確かに、中央アジアのど真ん中で六芒星がひっそりと生きているようだ。

この日は、ブハラの街の東にある Tudakul Lake の近くでテントを張った。湖といっても、周りは農地・農道だらけ、唯一湖畔に近づける場所もホテルの施設になっていて テントを張る場所を探すのは特に暗くなってからだとかなり難しい。

Shahrisabz;シャフリサブスの街へ

朝、我ながらよくわからん場所で野営してしまった。

昨日の夜は暗くて全然見えなかったTudakul Lake.

細い川の支流なのか灌漑の水路なのか、湿地帯のような場所や、

ステップ砂漠を通って、

正直そんなに面白みのない道を進んでいく。

Shahrisabz 歴史地区

野営地から330kmほどで、Shahrisabz; シャフリサブスの街についた。ここはティムール帝国の創始者Amir Timur ; ティムール帝の生誕地だ。15世紀のティムール帝期に築造された遺構が数多く残る歴史地区にやってきた。イスラーム以前には、アレクサンドロス大王が最初の妻ロクサネを娶った地としても知られている。

歴史地区一帯はめちゃめちゃ綺麗に整備された公園のようになっていて、その一番北側に、Amir Timur 像がある。サマルカンドで見た「座るティムール像」に次いで、2つめの「立つティムール像」だ。

そんなティムール像の後ろに巨大なゲートのような形で東西に聳えるのが Oqsaroy; アクサライ宮殿の現存する2つの塔だ。

1380年から1405年まで、およそ25年かけてつくられたというティムール帝の夏の宮殿は その大部分が崩壊して、元々は50mあったという2つの塔も、いまでは約38mの高さとなって現存するのみ。

 

外壁のタイル装飾は、多くが崩壊してしまってるものの、当時のままの姿を留めた鮮やかな青いタイルワークを見ることができる。

北側から。

ティムール像付近から公園全体を南に見渡す。

Abdyshukur Agalik Madrasah 14世紀.

Koba Caravansaray 16世紀.

Chorsu Complex 14-15世紀.

Dor Ut Tilovat 14-15世紀.

Kok Gumbaz Mosque 1434-35年 の正面イワーン。

Ko’k Gumbaz とはウズベク語で「青いドーム」の意味で、ウルグ・ベクによって金曜モスクとして建てられた。

内部の美しいフレスコ画は、後世の修復によるもの。

ミフラーブ。

ティムール建築のマドラサやモスク内部の修復でよく見る、ハニカムのターコイズタイルワーク。

 

壁面ごとに配置の異なるアラベスク文様と幾何学図柄。

このモスクの反対側には、青いドームが連なった廟が2つ並んでいる。

左側が、Shamsiddin Kulol 廟 1373-74年。シャムシッディーンはティムール帝が師事したスーフィ。

内装は優しいアイボリー食と水色を基調とした美しい壁画で飾られている。

右側が Gumbazi Saidon 廟 1437年.

内部には4つの石棺が並んでいて、ウルグ・ベク一族のものといわれている。この写真で一番手前の、一番小さな石棺の上面が異常に窪んでいるのは、病を治す力があると信じられているこの石棺に、参拝者が皆触っていくからだという。

修復後に再び損傷したのか、それも含めて いい雰囲気。

しばらく、この廟の中で休憩させてもらった。暑くてかなわん。

奥に見えるのが Dor Us-Siyadat Complex 1380-1404年.
内部にはティムール帝の息子のひとりであるジャハンギールの廟がある。

Chuvin Madrasah 16-18世紀.

内部はティムール帝に関するミュージアムになっていた。

トルキスタンの山中にてホームステイ

さて、シャフリサブスの街を概ね見て回ったので、この日はそのまま北へむかう。

ほとんどがキジルクム砂漠や茫漠なステップ、あとは盆地に広がる農地ばかりのウズベキスタンだけど、シャフリサブスの北側にはサマルカンドとの間にトルキスタン山脈の西の端がわずかにかかっていて山岳道路となる。

ティムール帝の逝去時、当時冬で峠越えができなかったという、まさにその道なのかもしれない(それが理由でティムール帝はサマルカンドに埋葬されているといわれている=Gur i Amir Complex)。

標高は1,500mを少し超えるくらい。当時の軍隊が本気出せば雪があっても超えられそうなもんだなぁと思ったけど、どうなんでしょう。

峠の頂上には小規模なバザールが広がっている。

タンデムシートに緑の袋を下げたソ製のバイク。こいつはどうやらパラツインのようだ。持ち主が現れて峠を下っていくと思ったら、エンジンがかからないようで、ニュートラルのまま坂を下りて行った。マジか。

この日もどこかで野営をしようと思っていたけど、道の脇はどこもテントを張るには適さないような場所ばかり。そろそろ暗くなってきてどうしたもんかと彷徨っていたら、地元のおっちゃんが家に招いてくれた。Mahraz と彼の息子。

家はほぼ峠の頂上付近で、夜はとても涼しい。寝床まで用意してくれて、マジ感謝である。

 

スイカと夕飯をご馳走になった。夜は停電してしまったけど、暗い中3人で翻訳アプリを使いながら会話している間、あぁやっぱりこれこそバイク旅だよねぇ などと妙に感傷深くなるのであった。

つづく

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