こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
パキスタンあたりでせっかく更新が追いついたのに、またも1か月以上更新が遅れている今日このごろ。
サリー・タッシュの街からOsh; オシュ へ辿り着きました。3日ほど滞在したオシュの記録です。
オシュのドミトリー
基本的に管理人が野営や居候以外で宿泊している宿の写真は、何の面白みもないのであまり写真を撮っていないし記録もしていないんだけど、オシュで泊まったドミトリーは雰囲気がよかった。
部屋の前には大きな中庭があって、このベンチで色々作業ができる。
日当たりもよく、物干しもあったので、洗濯もはかどる。
室内。朝食もビュッフェ形式が含まれていて、さくらんぼ食べ放題 一泊約9ドル。
庭に咲く花たち。
聖なる山 Sulaiman Too
オシュの観光スポットとして最も名高いのは、世界遺産にも登録されている Sulaiman Too; スレイマン山だ。
その麓には Sulaiman-Too モスクがある。
フェルガナの盆地から大きな岩山が不自然に隆起しているようにさえ見えるこの山は、オシュ市内のやや北西に位置している。
山を登るルートは西側と東側、2つあるようで 今回は西側から坂を上って行ってみた。
道脇にあるチェリー。酸っぱくてうまい。たぶん食っていいやつ。
しばらく上っていくと、途中にソ連時代つくられた博物館があった。
入館料が、たしか 50 ソム(=約80円)だったような。
内部は洞窟のようになっていて、シルクロード交易で1,000年以上昔から拠点とされてきたこの街の歴史が簡単に展示されている。
洞窟内の急な階段を上っていくと
屋上のような場所にでる。
オシュの街。
Sulaiman-Too モスクは、なんともシンメトリーで均衡のとれた綺麗な形なのが 上から見るとよく分かる。
博物館を出て、更に参道(?)を東へと進んでいく。
Sulaiman という響きは、中東を旅している時から度々耳にする。
たとえばイランで訪れた Takht-e Soleyman ➡【Iran episode 20】でもそうだったように、このスレイマンは古代イスラエル王国の王 ソロモンのアラビア語発音に近いんだと思う。
なぜか、現イスラエルから遠く離れた場所に、ソロモンゆかりの地というのは点在している。この山は、イスラーム以前はもとよりシルクロード交易以前の石器時代から何かしらの崇拝対象だったらしい。イスラーム以後は、預言者スレイマンの立ち寄った地として、改めて信仰の対象となっている。
東側の頂上に着いた。ここには20世紀にはいってから修復されたらしい、モスクがあり(16世紀築) 現地のムスリムはいまでも中でサラートを行っていた。
東側からの、オシュの街の一望。キルギス第2の都市といえど、高層ビル群は一切見当たらない。場所によって綺麗そうなエリアと、スラム感漂うエリアと、その棲み分けがよく分かる。
東側の階段を下りて、街へ戻る。この階段がまじで長くて、下りるのも大変だったから、上るのは東側からじゃなくて西側からのほうがいい。
ぶらり Osh の街 青空マーケット
さて、オシュの街をまた意味もなくぶらつく。
ただの看板とかも、見てるだけで楽しい。
外から見える歯医者さん。
中央アジアにはいってから非常によく見かけるようになった 旧ソビエト製 AvtoVAZ製の VAZ 2101.
正直かなり好きだ。後に出会うロシア人ライダーからは、「あんなのフィアットのコピーだよ」といわれたけど、これが緑とか赤とかいろんな色のが走っていてめちゃくちゃかわいい。Alfaromeo の Giulia Nuova Super 1300が理想だけど、今どき超高額なら VAZ2101を直して乗るのもよさそうだ。
キルギスの道端でよく見かけるクーラーサーバー売り。
Maksim; マクシム は、なんだか安っぽいビールみたいな味で、暑い中飲むとなかなか癖になる。
多くが破壊された中、現存するレーニン像が ここオシュにはある。
レーニン像前の役場。
公衆トイレは綺麗で、使用に10ソムかかる。
なにやらテーマパークと映画館。
薬局が多い。
屋内の市場。フルーツの量が豊富で、1週間以上滞在するなら房で買って帰りたい。
中央アジアというと、馴染みの無い、なにやら旧ソ連の残り香漂う得体の知れない国というイメージを持ちがちかもしれないけど、イラクやパキスタンから来ると心底先進国に来た気分にさえなる。
ややロシアンな、尖った屋根がかわいい建物。
鳥小屋。
市内には綺麗な公園も多い。
キルギッシュ・スタイル・キオスク。
珍しく大型発見。ロクダボ? なかなか斬新なタンクバッグだな。
Alisher Navoi Park という遊園地兼公園のような場所を北に抜けていく。もはや今日が何曜なのかも知らんけど、なかなかの賑わいだ。
やがて公園の北側に抜けると、なにやらバザール的な雰囲気になってきた。Jayma Bazar の一画に入ったようだ。帽子は、Kalpac; カルパック とよばれるキルギス人男性の被る特徴的なやつ。
Ak-Buura 川を渡って道の反対に向かうと、
この通り、道は食糧やスパイスを売る露店で埋め尽くされていた。
さくらんぼがとにかくうまそう。というかうまい。パンは正直1枚全部食切るのが大変、途中で飽きる。
なんちゅー巨大なすいか。
なんとお米が量り売りされていた!これは旅人にはうれしい。でも、いまはあいにく米ケースが米で一杯なのでまた今度にしよう。
パスタも同様に量り売り。
とにかくパンをよく食べる。
なにを食べるにもパンを主食にしている。炭水化物被ってるじゃん、とかそういうのはない。
お惣菜的な?これも好きな量買えていいね!
スパイスをつっつくハトたち。まぁ青空マーケットですから。
ところかわって商品は食糧から日用品へと変わっていく。
大声でなにかを唱えながら台車を押す男。
中央アジア一帯でひろく嗜好される Qurut;クルト。 旅人の間では通称ミルクボールとかチーズボールと呼ばれていて、見た目はミルキーみたいでおいしそうだけど、正直まずい。
川の向こうから、先ほどの遊園地を眺めつつ戻る。
英ー露間の中央アジア覇権争い;グレートゲームの末、恣意的に設定された国境線のために ウズベキスタンとの国境に近いこの街では度々民族暴動が起きている。今はそんな片鱗を少しも感じさせない穏やかで過ごしやすい街だったけど、
またいつこの街が紛争の波に飲まれるのか、誰もわからない。
Jay との出会い
ドミトリーでは韓国人の旅人 Jay と出会った。彼はエクアドルで荷物全部盗まれたり、ジョージアで狼6匹に襲われて大けがを負ったり、かなりエグイ体験をしてきたようだ。
久々に他人と酒をかわして、各々の旅について かなり深い部分まで話すことができた。
おまけ
キルギスのお金。1 キルギス・ソム=約1.65円。キルギスは硬貨文化が日本と同様で、おつりも細かく返してくれるが、財布が重くなる。
おまけ2
キルギスの薬局で新調した歯磨き粉。
つづく