【民主主義の中に生きている】そう、自信をもって言えますか?

こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。

このブログを読んでくれている方は、ほとんどが日本人だと思いますが、今読んでくれているあなたは、自分が民主主義国家である日本の中にいるという実感を持っていますか?自分が確固たる民主主義の中にあると実感をもち生きている日本人などほとんど人口の0.01%にも満たないに違いありません、いやそれ以下かもしれません。

多くの人が、自分の所属を連想するとき、その最大の単位は国であることが多いと思います。
例えば管理人は東京都世田谷区のとあるアパートに住んでいますが、
「ぼくは世田谷区民として生きている」
というのはあまりしっくりきませんね。勿論、住民票取得とか印鑑登録とか、そういうのは世田谷区役所に行くわけなんですが。
逆に
「ぼくは極東アジア地域民として生きている」
とか
「ぼくは地球人として生きている」
とか、まぁある種のプロパガンダには出てきそうな文句ではありますが、これもしっくりきません。
やはり
「ぼくは日本国民としていきている」
が一番しっくりくるでしょう。
それだけ”国”という単位には差別化される力があり、物事を仕切る利便性があり、実質もそれが国境により体現されているわけです。
だから、ぼくらが身の回りの社会をとらえる時、多くの場合は「国のあり方」とか「国政が」という枠組みになって、「日本のやり方は~」「日本の政治家は~」という枠組みと対応していくわけですね。純粋な共産主義が成立しなければ、これは当たり前の事だといえるでしょう。

これらを踏まえると1億数千万人以上いる日本人のほとんどは、自分が日本国民であることに微塵の疑いすら持つ猶予もないながら、自分が民主主義国家の一員であるという事実には刹那の関心すら持ったことがない、とそういうことになります。

民主主義とは、国の在り方・国の方向性に対し、 民衆が直接的あるいは間接的にその民意を反映させることができるシステムだと思います。
1億数千万人で多数決するわけにはいかないので、代表者を選挙で選んで、その代表者に国政を委ねる。つまり弱者に対しても開かれた体制ともいえます。
ただ、これを合目的的に実践しようとするのであれば、
国の歴史を知り、今直面している問題を理解し、今後訪れる国難を予期し、これらと政党や政治家の掲げる文言を比較した上で適任者を定め、そしてその者が初志に違わず国民の代弁者たるかを監視する必要があります。
いや、無理でしょ?と言いたくなりますが、本来の民主主義を質の高いものにするには、国民1人1人がそのような境地に近づく必要があるわけです。
今日着る服の色の思案とSNSのいいねの数を数えることに1日の大半を浪費しているか、他人の悪口をネットに書き込むかゲームしながら1日中引きこもってるか、そんなようなことが国の単位である国民の”質”であれば、当然民主主義なんて言葉だけの虚像になるのは当たり前です。

戦後、GHQによる徹底的な検閲・焚書や言論統制が敷かれたたために、本当の史実というのを知るのは難しいようです。
しかし、日本が民主主義を謳うのは紛れもなく戦後から です。
なにが「本当の戦争犯罪」なのかなど議論する間もなく、日本の指導者達は極東裁判で裁かれ、軍国主義は戦争を引き起こす種として徹底的に摘まれ、そしてアメリカに強固に牽引されてつくられた日本の民主主義。
そのアメリカは今でも世界のどこかで戦争に参加し、世界最大の軍事力を矜持としつづけている中、日本の民主主義は先述のように虚像の一途を辿る。

軍国主義・全体主義や全体意識
平和ボケした挙句のこの上ない無関心・無気力

これらを天秤にかけることなど当然できませんし、前者を少しでも推奨しようものならファシストの烙印が四方から降ってくる昨今ですが、あくまで国と言う単位でその強さを問うのであれば、答えは明らかではないでしょうか。
良いか 悪いか ではなくてです。

先日観た映画のなかで、主人公がこのようなことを言っていました。
「ここ数十年の工業技術の進歩はめざましく、テレビはこんなに薄くなった。しかしその画面に映るものは、クズだ!」
主人公とは、現代社会に蘇ったヒトラーです。
管理人、家にテレビはありませんが、テレビがクズとは限りません。沢山の有益な情報にあふれているし、見たこともないような景色を観せてくれる番組もある。時にはくだらないことだって観たいでしょう。
ただ、無気力・無関心に陥って自ら判断する力を欠いた大衆に刷り込みをしたり扇動するにはこれほど適した道具はないでしょう。

国民が自国を慕い・憂い、彼・彼女らが私見を持つための情報を偽りなくメディアが提供し、そしてその代弁者たる政治家達により実践される”政治”が更に国を強くする
豈にそんな民主主義が実現せんや。