世界1周を決意することで得られるものとは

こんにちは、離婚・退職して世界1周を目指す歯科医ライダーの管理人です。

今回は、「世界1周を決意することで得られるもの」について考えてみます。ちょっと大げさな感じで………


想像してみてみよう。

・美人な妻がいて
・高級車に乗っていて
・豪邸に住んでいて
・仕事は順調 生活になんの苦もなし
・身に着けているものは全て一流品

まさに人生の成功者であるあなたのまわりには友人も多く、人脈も築かれることだろう。

自宅でパーティを開けば、多くの友人が羨望の眼差しであなたを見る。

想像してみよう。

あなたが犯罪をおかしたわけでも、悪いわけでもない、でも何かが原因で仕事が頓挫してしまった。キャッシュフローが滞り、支払いが立ち行かなくなる。
お金のことで夫婦喧嘩が絶えなくなり、妻は家を出ていく。ついに銀行から資産を差し押さえられ家も車も時計も失い、汚いアパートでの一人暮らしとなる。

さて、以前豪邸に招かれ自分をキラキラした目で見ていた友人はどうなるだろうか。
ひとり、またひとりと連絡はつかなくなり、ほとんどの人はあなたの元を去るだろう。
かろうじて、古くからの友人や家族はまだあなたの周りに寄り添ってくれるかもしれない。

社会も、人も、あなたがどんな人間なのか ではなく、あなたがなにを持っているのか にしか興味がなかったのでしょう。

社会的に「すごいもの」を失ったあなたは社会的な価値を失い、それはまるで人間としての価値と等価のように扱われていく。あなたという人間はなにも変わってなくても、銀行からの信用がなくなっただけで、社会の底辺として生きていかなくてはならない。

社会という大きな枠組みが価値観を与えている

不条理に思えるかもしれないけど、社会というのはそういうもんだ。人間が高度に営む行動にひとつひとつ役割が与えられ、それらが共鳴するような仕組みとインフラが整備され、周知されたルールの上で成り立っていく。この仕組みの中にはお金というものが不可欠なものとして君臨し、それぞれの要素を、流れを支えている。

社会の中に生まれ、そして育ってきて、その過程でいろいろな事を学んできた。そしてその流れで親の庇護から離れ立派な社会人となり生きてきたわけで、当然僕の価値観も社会の枠組みの中で培われたものに違いない。だから、当然成績だって良いほうがよかったし、点数が良くなけれ大学にも受からない、お金だって沢山あったほうがなんとなくイイ😜

でも社会人としてマジメに働いているひとはきっとみんなふと思うはず、、、

 どんなに働いても、今の生活をガラっと変えるなんてことは無理だ・・・ と。

まぁよほど素晴らしい転職をするか、何かヒラメくか、宝くじが当たれば話は別だけど。

投資の類も(僕も少しやってるけど)、堅実なものは長期運用が基本だし、積み立てて備えるというスタンスが一般的。

だから皆一般的なひとは身の丈にあった幸せといって現状に甘んじることを美徳としたりするんだけど、結局背景にある感覚は同じだから、変わらない現実と空中浮遊する気持ちのジレンマの中で同僚と自分のボーナスの差に一喜一憂したりするわけだ。

僕もそうだったし、普通に働いているうちはその感覚とおさらばするのは難しい。でも仕事を辞めて世界1周を決意した時から、少しずつ自分の価値観が変わっていくのが分かった。

色々なものが欲しくなくなって、お金は旅をつづけるのに必要最低限でいい(最初の貯金は多ければ多いほどいいけど!)し、当然家の大きさだの乗ってる車だのはどうでもいいカテゴリとして処理されるようになっていった🖐

周りの人たちが着実に貯蓄を増やしつつ不労所得を得るための勉強をしているのを見たりすると、焦らない気持ちもないけど、

「長期で旅をして生きていく」

という自分の中の大きな軸をもつことで、社会通念の「みんな~だから」という実態のない見栄の張り合いから完全にフリーになれたのだ。

勿論これは、完全に社会から解脱してやったぜ というアホな話ではない。

普通に生活しているだけで、水道や道路などのインフラや健康保険などの福祉にいたる社会サービスを享受しているわけだし、いつかまた帰国してきたら、元の生活に戻るかもしれないわけで。ただ、先述の「今の生活をガラっと変えるなんて無理~」というのも、自分の気持ちの持ちようが変わるだけで、なんとも簡単にできてしまうことなんだな ということ。

世界1周のために必要な事・バイクで世界を巡りながら何ができるか を考えることは、本当に純粋に自分がどうやって生きていくかと向き合う作業。社会通念や既成概念とは別の次元で「自分の価値観」を見つけ出し、築き上げていく 本当の意味での人間的な姿勢なんじゃないかって思えるのです。

自分の気づかないところで、多くのものを失っていて、これからもどんどん色々なものを失うかもしれないけれど、その代わりに何ものにも縛られない価値観を手に入れることができたと言ってしまおう。両者は天秤にはかけられないし、値踏みして悩むこともできない。かといって完全にトレードオフな関係でもない。

「リスクを冒さなければ、多くは得られない」とよくいうけど、これは割と真理に近いのかもしれない。大きく1歩踏み出したことで、自分が何かを得られたと思うのであれば、その代償を考えても仕方がない。戻れるなら戻ってもいいし、それも自由。ただし曲がらない目標があるのなら、その得られたものを大げさにでも信じて突き進むのが、今のところ幸せだと思えるわけだ。これが、バイクで世界1周を決意することで得られたものなわけである。

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