【Islamic Republic of Iran episode 34】東へ東へ バム地震全壊後の都市遺跡全景をみる

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ケルマーンの街を去り、さらに東へ走りを進めていきます。

ここまでのルート

Ahmad 家にバイ

出発前、Ahmad と Sarah が色々なお土産をくれた。これはドライフルーツで、乾燥したナツメやザクロなどの詰め合わせを袋詰めにしてくれた。この後の道中で大活躍することになる。

ケルマーン特有の Patte; パッテ という刺繍の巾着袋。

手首のサポーター。

疲れた時にちょっと一口飲むといい、と小さいボトルに分けてくれたのはイランのミント水。

そして Sarah からはカラフルは タスピを。

1晩だけだったけど、心に深く残るホームステイになった、ありがとう Ahamad , Sarah.

Shahzadeh Mahan Garden へ

道中にあった飛行機のモニュメント。

この辺りからは、砂漠と雪山という奇妙なコラボの景色がつづく。

東の街 Bam; バムに向かう前に、世界遺産のペルシャ庭園群のひとつに立ち寄った。

正面入り口から入ると、

噴水を湛える水路が階段状に延々とつづく。

階段をのぼっていくと、頂上には離宮が建っている。

離宮の裏には小さな森が広がり小川が流れこんでいた。

そこから水路に引かれた水は高低差を利用して

庭園の階段を下っていく。

入口のファサードを庭園内部から見た様子。

Shahzadeh Mahan Garden はカジャール朝期の1850年に築かれて、その後1870年頃までに拡張されたらしく、今見る事ができる構造物は1870年の拡張の際につくられたものが多いという。

ペルシャ庭園の離宮には、この神社の斗栱のような木の組まれ方からして何となく東洋的な印象を受けることがたまにある。

庭園の周囲にはほとんどなにもない砂漠が広がっていて、まさに砂漠の中にポツんと佇む庭園だった。

Bam と Arg e Bam

砂漠と雪山。

垂直爆進道路。

たまに道路脇に現れる廃墟。ドームの形から簡易的な礼拝所だったのか、あるいは現役か。

北側には険しい岩肌がずっとつづく。

バムの街が近づくと、ヤシの木の農園が見えてきた。サウジ東部、Al Ahsa を思い出す。

Bam; バムの街に着いた。

I ❤ の ❤がB になってるのね。

バムの街の北側にはバムの旧市街と城塞がある。

バイクで近くまで行ってみると、完全フリーサイト的な感じでエントランスもなにもなかった。バムでは2003にマグニチュード6.6の直下型地震があり、その影響でこの城塞は全壊、旧市街も大部分が倒壊したという。20年弱経つわけだけど、未だに修復や復旧は完全ではないようだ。

まるで文明が終わった後の世界に迷い込んだようだ。

サイト内をうろうろしていたら、管理のおっちゃんがバイクで近付いてきた。バイクで入っちゃだめだよ的な感じで注意されるかと思ったら、どうやら付いて来いと言っているようだ。

サイト内はなかなかのオフロードで、冷や冷やしながらおっちゃんに付いていくとこの建物に辿り着いた。

特別に中を見せてやる、という気満々だったものの、おっちゃんの持ってる鍵がどれも合わない。おっちゃんは何度もおかしーなおかしーなという仕草をしているが、どうやら扉は開かないようだ。なんでやねんと思ったけど、まぁよくあることだ。

それならこっちだ、という感じでまた走り出したおっちゃんに付いていく。

バイクを停めて、こいつ実はゼノか? と思うような健脚で城塞の壁を上っていく。

それに付いていくと、さっきまで見上げていた城塞の上まで上ってきた。

そしてこれが城塞頂上から撮影した地震で全壊した後の、現在の景観。バムの古代都市自体はパルティア帝国にまで紀元を遡るらしいけど、現在みられる城塞都市は16世紀頃に完成されたものと考えられていて、いわゆる泥藁混合のアドベ構造物としては世界最大規模。
ある程度の修復作業は進められていて、地震から10年後には危機遺産から除名されている。

偶然出会ったおっちゃんとのバム・プチツアーだった。

つづく

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