こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。
年末の宿無し・目的地なし 放浪ツーリング
【前編】にひきつづき、後編です。
繰り返しになりますが、今回の旅の目的は「今まで煮詰めてきた装備の色々を実践し、実用性の検証をする」という趣旨で行いました。
・行きは高速なし
・特に目的地なし
・不要なものも含め装備を全て積載する
というルールだけを課し、適当に西を目指します。
前編では東京より太平洋沿いを西行し、琵琶湖までたどり着きました。
4日目
琵琶湖湖畔で起床。
案の定、雨がテントのフライを打つ音で目が覚めます。
7~8時ごろはけっこうその音も強く、テントから出るのが億劫になります。
予報的には昼にかけて弱まるとのことだったので、少しテント内で粘りますが、
日没が早いので、少し雨が降る中で撤収です。
ホムセン箱のスーパーオペークホワイト塗装にテントウ虫が、映えますねぇ。
本日は紀伊半島縦断、山越えからの山越えです。
日本の田舎の風景は、今も昔も変わらないように思えて、実際あまり変わってなくて、
それでもいつかはその姿を変えていくものですが、それも何者かにとらえられなければ変わらないのと同じでしょうか?
物事を観測し、記述することの大切さの所以でしょう。
さすがに交通量が少なく、ちょくちょくバイクを降りて写真を撮ることができます。
特に奈良県南部の168号線は険し気味の山道がつづきます。
改めて思ったのが、
テネレはこれだけの荷物を積んでいてもバイク本来の楽しさを思い出させてくれる走りをするということ。しみじみとバイクの性能に助けられてるんだなぁ・・・と痛感しながら走っていました。
天気は晴れたり、曇ったり、ちょっと雪みたいのがちらついたり。
そんな中でもパっと晴れ間が広がる瞬間は気持ちいいですね。
オレンジ色のは、ザックのレインカバーです。
途中から311号線に入り、紀伊半島南西方向に向かいます。
夜中一人では通りたくないようなトンネルが無数にあります。
熊野川中流域?かな?
天気が陰ると一入に寒く感じます。
「凍結注意」や「スリップ注意」の掲示に怯えつつ、おっかなびっくり山を越えていきます。
しかし、本当にこういうインフラには感謝しなきゃならんのかもしれないですね。
この道路がなければ到底こうやって長距離を移動して違う景色を楽しむこともできないわけですし。
ガソリンスタンドが定期的にあるのも、当たり前のようで・・・
そこにどんな利権が潜んでいるのかは、また別問題で。
錆びれ寂れた家々は、曇天を写してなお憂鬱な面持ちです。
山々の中を貫く綺麗なコンクリートを走っていると、一体自然と人工との境目はどこなのか横目で確認したくなります。
人工物でさえ、人がいなくなれば速やかに苔むして、シダ、地衣、粘菌の類に駆逐・凌駕されていくでしょう。
そうなったら、その緑の下に眠るコンクリートの塊は、未だ人工物といえるんでしょうか?
311号線も終わりを迎えるにつれ、道路脇の冨田川に降りられる場所があったので、ちょっと降りて撮影。
海外のadv rider っぽい写真が撮れたような気になります。
そしてようやく太平洋が見える頃には日が沈みかけていました。
ここから東の海岸沿いは吉野熊野国立公園。
ジオパークと呼ぶにふさわしい海岸の断崖と、山岳~河川の織り成す壮大な自然をみることができます。
そんな海岸沿いを東へ向かいつつ、
腹も減ったし何か店ないかな というのと、野営地を探さなきゃ というのもあり、
やや焦ります。
結局、時期が年末ということもあり、ほとんどの店はやっておらず、
本州最南端の街、串本に着いてようやく店に入ることができました。
それにしても風が凄まじい。
海沿いでテント張るのもいいかなと思ってましたが、少しだけ内陸に入った適当な場所で野営することにしました。
300kmくらい。
今日は、がっつりテント内で充電しておきます。
5日目
朝、今日は大晦日。
やけにトンビの鳴き声がピーヒョロピーヒョロかまびすしいなぁと思いテントから出ます。
そうだ、ここは海の街だったなぁ。
気温はやはり1℃くらい。バイクのシートには霜が張っています。
そんな低温でもストームブレイカーはへっちゃらだぜぃ。
撤収作業&ホットココアで温まる~
本州最南端の街にて。
石碑があるところまで降りてみます。
まぁこういうのが目的ではないんですが、一応。
ここ潮岬では、望楼の芝焼きという火祭りが行われるといいます。
ネットで画像を検索してみると、これはこれで見てみたい!
が、ちょっと時期が早かったですね。
さて、明日初日の出を拝むため、ここ紀伊半島で東沿いに出っ張ってる場所、つまり志摩半島を目指します。
今回名所は一切スルーのつもりでしたが、「花の窟神社」は完全道沿いにあったので、、、
ちょっと立ち寄ります。
伊弉冊尊(イザナミノミコト)と軻遇突智尊(カグツチノミコト)を祀り、日本最古といわれるこの神社に神殿はなく、
この巨躯の岩盤そのものが御神体とのことです。
日本書紀か、、、国の成り立ちのタテマエをつくるためにつくられたもの、その書物に最古として記されている、
これ自体は歴史のひとつの切り取り方であって、史実であっても事実ではないかもしれません、
みなさんはどう考えるでしょうか。
日本という国が神々の母によってつくられたのか、あるいは大陸からやってきた人たちとの間で脈々と国”らしき”ものが形成されていったのか。
今日は海抜の低い場所はすっきりした快晴です!
途中、廃工場?とテネレ。
今回、写真を撮り損ねましたが、熊野市~尾鷲市の間の山道は特に険しく、
調べるとここは古来より難所だったようです。
特に矢ノ川峠の上り~頂上付近は今回唯一降雪中の走行となりました。
せっかくテネレと雪道を撮る機会だったのに・・・・
ノーマルタイヤでおっかなびっくり心の余裕がありませんでした・・・
なんのためにスノーチェーン持っていったんだよ!
そんなことを悔みながら再び三重県へ入り、志摩市へ。
いくつかある志摩半島界隈の日の出スポットのうち、特に人が多そうな伊勢・鳥羽方面を避けようと調べると、
大王崎という灯台と日の出を一緒に撮影できるスポットがあることを知ります。今夜はその付近でテントを張り、
日の出を待つことに決定。
波切漁港にて。
日の出を見るのに適した八幡さん公園という場所へは、細い石畳&階段を上らなければならなかったため、
その下にある休憩所のような場所でテントを張ります。
波切という街は、画家の街ということで、
人がなにしていようが構わないという気質なんだとか、これは地元のひとが翌朝教えてくれました。
テントを張っていると、どこからともなくネコが、きれいな三毛ねー。
なんだ人懐っこいのー。
テントが気になるか、まだ若いねー。
入るのか?
中でおしっこすんなよ。
今日も日が沈む前に設営を終えることができました。
ネコのやつは何かを思い出したようにどこかへ消えていきました。
ネコとは、そういう生き物です。
休憩所スペースということで、テーブルもあったので、ここでまた夕飯をつくることにします。
宝門の浜から見える空は段々と橙に染まっていき、
筋斗雲のようなふわふわした雲が無数に隊列を成しています。
あぁ、宮廷ユダヤ人の末裔達と、アメリカ民主党の上層部は あんな感じで世界を俯瞰しているのかぁ
なんてボケーっと物思いに耽りつつ、今日も就寝します。
200kmくらい。
6日目
さて、今日は元旦、あけおめっす。
一応タイマーかけたけど、ちょうど1時間くらい前に起床。
どうやら同じように日の出を見に来てる人がそれなりにいるみたいで、ひとの声がときたまします。
今回の旅での改善点や、道具の積載位置などについてメモして時間をつぶします。
八幡さん公園への石畳。脇にはお土産屋さんがありますが、まだやってませんね。
まだ日の出前。
これはこれでなかなか👍
←にあるのが大王崎灯台です。
雲が厚く、空が明るんできてもなかなか出てきません。
灯台の灯りは消えてしまいました。
しかし、こうやって雲の縁が後光で輪郭を切り取られる様も非常に綺麗です。
きたぁーーー
これが目的ではなかったけど、見られてよかったと思います。
灯台も入れて。TG-6 なかなか広角もいけるな。
ある程度日の出の光を拝んだら、テント場へおりて朝飯を食います。
ご飯&ふりかけ。ばかのひとつ覚え。
そしたら今度は別の黒猫がおれの朝食を横取りにきやがった!
丸々と太ってるだろ!何もやるもんはねぇ!
さらば宝門の浜。
今日はもう帰らなければなりませんが、
関ケ原界隈は伊吹おろしの影響をうけ未だ通行止めや降雪のリスクがあるため、
諸先輩の助言も受けて 伊勢湾フェリーで伊良湖へ渡ることにしました。
これで降雪地帯を完全に回避できます!
ということで鳥羽港へ。
テネレ初フェリー。
くくりつける人も、なんだでけぇなぁ という面もちでしたが、ぼくの後ろはHONDA GOLD WING でした笑
相変わらずの強風の影響で、到着時の便は欠航。その次も出るか分からないけど待ちますか?
とのことでしたが、まぁ気長に待つかと判断しパソコンの充電やら写真の整理をしていたら出航のお知らせが。
待っておいてよかった。
フェリー内より、伊勢湾を。
伊良湖岬にて。
航路時間は55分と、あっという間でした。
渥美半島の湾岸部は、やや南国の様相を呈しており、紀伊半島では切り立った断崖にトンビが飛んでいた一方、こちらにはカモメが見えます。
この後は、豊川より東名に乗り無事世田谷まで帰還してまいりました。
360kmくらい。