【あなたに神は存在しますか?】神が死んで久しい現社で

こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。

超自然的で、超地上的な存在がいわゆる伝統的な「神」であったり、古典的な宗教的思考や崇拝を支えてきたものであるなら、そういったモノ共は一切が嘘偽りか・世界の事象を説明するのが面倒だからあてられた適当な口実だということは、もはや多くの人々が自覚し、そして受け入れられ、もはや意識せずとも当たり前のことになって久しいでしょう。
それが科学の成したことなのか、ある種の思考の進化なのか、分かったものではありませんが、細胞生物学であったり、分岐分類学であったり、あるいは宇宙進化論といったあらゆる英知の網の目のようなコラボレーションで、ぼくらが一体どのような存在なのかが、しっかりと言葉で説明できるようになったことが「神の死」の立役者であることは間違いないでしょう。

誰だって生きていることに意義を見出したいものです。
でも毎年桜が綺麗な桜の花をつけ、それが春の冷たい雨で思いのほか早く散ってしまったなんてことにも意味をみつけることができるでしょうか。

これは、あくまで日本育ちのとある中年男としての視点でしかないことは、よく断っておかなければなりません。
視点とは つまり世界の見方であったり、見え方であったり、見せられ方であったりすると思います。
イスラエルで生まれ育った人間にとってのダビデの星だったり、
古典的なカトリック教徒にとってのベツレヘムの星だったりは、
なんとなくタトゥーにしたりクリスマスツリーの先端にとりあえず置いておくのとは、認識のレベルが当然違うわけです。

だからまぁ、他人の人生というのはそういう意味ではハナから分かったものではありません。
そのぶん、自らの人生についての料簡は圧倒的に自由なはずですし、そうでないならそれだけで厳しい状況だといえます。
ある意味、伝統的超地上的な存在があったほうが手っ取り早いのかもしれませんが、普通に生きていれば、環境がつくった「神」は遅かれ早かれそのうち死んで失墜するでしょう。だから、自らの料簡の及ぶところで、自分の羅針盤は自分でつくってしまったほうがよいのではないでしょうか?
それは言葉でしかないからこそ恣意的ですが、あらゆるカタチが許されるでしょう。
あなたがカタチづくったあなたの神は、何事にも折れない凌雲の志としてあなたの行動の選択肢を強力に牽引してくれるでしょう。
良いか悪いかは知りませんが・・・
ただし、良いか悪いかなんてどうでもよくて、これはほとんど信念とかアイデンティティ あるいはそれらの複合体のようなものなので、あらゆる感情の波や社会的圧力から自分を緩衝域に留めてくれる万能のバッファーとして機能してくれること間違いなしです。
これは変な新興宗教じみた話では、ありませんよ。