【Islamic Republic of Pakistan episode 1】パキスタンに入国 ~苦難の1,500km が始まる

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

イラン最後の街 Zahedan; ザヘダンを去り、パキスタンへの入国を試みます。

ここまでのルート

Zahedan を去って

Zahedan Railway Station.
イラン東部 Bam-Zahedan Railway の終着点であり、パキスタン側の Trans Baluchistan Railway の終着点でもある。この鉄道をつかっての国境越えも可能なようだ。

駅のゲート内の様子。

ザヘダーンの街にはシーア派の国イラン国内にして、スンニ派最大のモスクがある。

Grand Makki Mosque of Zahedan と テネレ。
モスクは1971年の建築でオスマン帝国調の様式になっている。

ザヘダーンを去って、いよいよイランにさよならだ。パキスタンとの国境へ向かう。

道は更に”何もなさ”を増し、左側(北側)には相変わらず険しい表情の岩山が連なっている。

パキスタンに入国

イラン側の出国管理棟。

Hammid 氏は、自称 “King of Taftan Border”. 世界中の越境情報やビザ情報を共有するWhatsappグループのリーダーでもある。彼が出国の手続きをほぼ全て手伝ってくれた。

イランとパキスタンの国旗がはためく緩衝地帯。

イランの出国は出国手数料なしで思った以上にすんなりと済んだ。カルネに関してもイラクとは比べ物にならないくらいしっかりと把握されていて、輸出スタンプと半券の切り取りをしてバイクの出国もすんなりと終了。

パキスタン側のゲートをくぐると、すぐに入国審査棟が目にはいった。
そこでイミグレを済ませる際、軽く面接官との質疑のような雰囲気になったけど、基本的にフレンドリーで特に問題なくパスポートにスタンプをもらう。ただしこの時点でパキスタン国内からのLetter of Invitation の提示が求められた。

Border Information
Border Point : Taftan(Pakistan)
DEPARTURE
★Carnet stamped
No Covit
Departure fee : none
ENTRY
★Carnet stamped
No covid
VISA in advance(evisa) approx 9 USD → single 1 month
※Mostly we have to ask an agent to issue the visa. approx €70~80
Letter of Invitation required
Customs fee : none
Registration Certification / IDP confirmed
Vehicle insurance : none

パキスタン入国に関して

外務省安全map では、特にアフガニスタンとの国境付近以外レベル2~3に落ち着いているものの、最近になっても警察や政府機関をターゲットとした自爆テロが相次いでもはや日常化している。途中、Quetta;クエッタという街を通過しなければならないけど、その周辺はレベル4に指定されていて、決して安全なルートとはいえない。

パキスタンビザと招待状

パキスタンビザはオンラインでevisaの申請ができる➡https://visa.nadra.gov.pk/

ただし、先述の Border Information にある通り、パキスタンへの入国には基本的に現地トラベルエージェントからの Letter of Invitation(LoI)が必要で、実際入国審査棟での面接時に LoI の提出が求められた。
また、evisa の申請時にも LoIや発行元の認可証明書などの画像データをアップロードすることが要求されるので、結果的に現地のトラベルエージェントを見つけてお願いする必要があるのだ。

管理人はイスファーハーンでオイル交換をした際に、エージェントを紹介してもらい、彼に連絡をとって LoI の発行→最終的なビザの発行 まで代行してもらった。費用は euro70 と高額だったけど、ラホール在住の彼の家に宿泊することができたり、各地域でのルートの相談、パキスタン国内でのいかなるトラブルに対しても随時相談に乗ってくれるので、まぁ妥当かなとは思う。
管理人は日本の銀行の制限によるものなのか、どのカードを使ってもオンライン決済ができず困っていたので、ビザ費用の支払いまで一緒にやってしまってくれたのはありがたかった。
(※後に、もっと低額、具体的にはUSD20でLoIの発行をしてくれるエージェントを見つけた)

実際のビザと 招待状(招待状は、実際にこの時利用したものとは異なる)。

Pakistan Levies Taftan 泊

イランーパキスタン国境からパキスタン国内へのルートに関しては、事前にFBの Overlanding Asia のグループで情報があがっていた。パキスタン西部の国内最大州 バロチスタン州は外国人が単独で走行することは許されないため、護衛が必要となる。

越境後、通関手続きを行う前に連れてこられたのがここ、 Pakistan Levies Taftan なる警察施設。国境からの移動には”Move Day”と”Stay Day”が決められていて、この日はStay Day だったため移動ができない。

 

明日まではここで待機ということになる。

寝泊まりはこの部屋。布団も枕もなにも用意されていない上に、画像のソファは中のクッション材が全部抜けていて座ると骨組みが直撃でとても寝られるもんじゃない。キャンプ道具を持っていたからよかったけど、なかったらどうすんだ? 越境者が寝泊まりすると分かっている場所なのに不親切すぎるだろと思ってしまう。

この部屋には世界中の旅人のステッカーやメッセージの書かれたシェルフが置いてあった。こんな国境、越える人沢山いるもんなんだなぁ。

といいつつ、ちゃっかり貼っといた。

この日、パキスタン側からイランへの越境で同施設に到達したフランス人のキャンパーと偶然遭遇した。ドイツ製のMAN軍用車をキャンピング仕様に改造した何ともイカツいトラックだ。彼らは家族でもう2年旅をしているという。やっぱヨーロッパは長旅が普通の文化として一般的だし、ケタはずれのヤツらが多いな。

この日は、暗くなったあと通関の手続きに呼ばれ、別の建物へ移動。3~4時間はかかっただろうか、ほぼずーっと待たされてようやく通関手続きが終了→カルネにスタンプをもらい、完全に入国が許可された。

写真は、夜分けてもらった紅茶と、Jelebee; ジェレビー という砂糖菓子のようなもの。イランだと Nabaht;ナバート と一緒に飲むのが一般的だったけど、こうやって紅茶のお供も国をまたぐと変わっていくのはおもしろい。
しかし ジェレビーはイランにもあるらしく、イランでは Zurbia; ズルビア と呼ぶらしい。

翌朝、よしようやく入国できると意気込んで支度をし、エスコートの車に付いていくと、車が途中で止まる。どうやらエンジンが不調らしい。
おいおいまさかこんなんで延期ってことはねーよな?とか考えてたら、
「一度戻る」と言い出す。いや、他の車ねーの? と聞いても「この車を修理する」といってきかない。

仕方がないので一度戻って車が早く直るのを待つけど、どうやら今日中に出発するのは叶わない雰囲気がでてきた。

Levies Taftan のひとり、Naseeb が、「Your luck is not working」と笑いながら言ってきたから、「not working なのはおれの luck じゃなくておめーらの車だろ」と言ってやった。

国境滞在中の唯一の楽しかったことといえば、夕方にNaseebのバイクの後ろに乗って Taftan の街に出かけて夕飯の買い出しをしたことくらいだろうか。
とてもSIM屋があるような雰囲気ではないから、まだネットにはつながらない。

パンをこねる少年。被っている帽子はオマーン人がかぶっていたクッマによく似ている。

こねて伸ばした生地を窯の内面に貼り付けて焼く。ディテールは違えど概ね中東諸国での焼かれ方と同じだ。

それと焼き鳥を買った。焼き鳥っつっても、くどいようだけど日本の焼き鳥のようなうまみは全くない。1かけら食っただけで飽きるよう味だけど、無理にでも沢山食べておく。

ラマダンだから、日中に食べるのはやや気が引ける。ムスリムでなければ関係ないとはいえ、バロチスタンのような保守的なエリアでは、外国人にさえその風習を押し付けて来る傾向があって、正直非常に鬱陶しい。自由に外出することも当然許されず、ほとんど軟禁といっていい。

でもこの日はまたもや偶然の出会いがあった。イラン人夫婦の Mohammadhussain と Narges.
彼らはDIYのキャンピングカーで、これからパキスタン~インドを旅しようと画策しているようだ。ということは、少なくともパキスタンに入国してしばらくは彼らと一緒に走ることになる。

最初はめちゃくちゃ無愛想だったLevies Taftan のポリスたちとも、2日目の夜には少し打ち解けた。特に Naseeb(左写真でマシンガンを持っている)とは今でも連絡をとりあっている。

Quetta へ向けて 出発

翌朝、国境2泊の後ようやく移動ができそうだ。

護衛走行というのは本当にストレスフルで、追い越すこともできなし、付いていかなければならないし、好きな時に止まって写真を撮ることもできない。なのでタンクバッグに移動したコンデジで走りながら撮る。

バロチスタン州はほとんど砂漠に覆われていて、既に気温は35℃越え、場合によっては40℃に迫る(4月上旬)。

途中、エスコートカーの交代の度に、なにやらノートへの記入を求められる。これが時間を多分にロスさせる。

廃墟のようだけど、人が住んでいる。人口2億を超えるパキスタンだけど、西部のバロチスタン州は極めて人口密度が低い。

燃料用の木材を過積載するトラック。

途中、チェックポイントにて。見えないけど、みんな警察関係者。サルワール・カミーズが正装のようだ。
イラクの時の様に、エスコートカーの交代で30分も40分も(時に1時間越えもあったなぁ)待たされることはなく、リレーの交代自体はスムーズなことが多かった。

ガソリンはポリタンク給油。

たまに止まってエスコートの交代に時間がかかる時が、メインカメラでの撮影チャンス。

でた、パキスタン名物デコトラ。実はほとんどが日本の日野自動車製。

Dalbandin にて一泊

この日はQuetta まで走りきることはできないため、国境から300kmほどのDalbandin;ダルバンディーンという村で一泊する。
途中での宿泊は基本的に無料で、警察施設を利用することになる。

Dalbandin の警察施設内。

内部はこんなにきれいで、宿泊できる部屋が併設されていた。もしやここを使わせてくれるのか?と期待したけど、結局寝る時はザコ寝の部屋に移動させられた。

ダルバンディーンでも外出は許可されなかったけど、お願いしたら警察官同行のもと街に出ることができた。

ダルバンディーンの街の雰囲気。イランから来ると、非常に Undeveloped な印象が強い。ここでもSIMを買いたいと交渉したけど、この街では買えないの一点張り。結局SIMは変えず、out of range の状態がつづく。

窯で豆スープを売る少年と街角のスイカ売り。イラン南東部からパキスタンにかけては、この時期スイカ売りが非常に多い。

街中の市場。おびただしいハエがたかっていて、げんなりするけど、こっちにきてからはこれが普通だ。みんながそこら中にゴミを捨て、町中ゴミだらけだからハエがこれだけ湧くんだろう。どうしようもない。

夜は施設内のキッチンをつかってNarges が夕飯をつくってくれた。
走行中も事あるごとに水や食糧をわけてくれた彼らの存在は、今思えばめちゃくちゃありがたかった。そんなに多くの食料を積めない上に、ほとんど休憩もなしで走りつづける護衛車。ラマダンで店も全部閉まってる。気温は40℃。
もしたまたま国境で彼らと会ってなかったら、飢餓状態で走ることになってたかもしれない。

Quetta へ

朝、警官のひとりに叩き起こされる。「準備しろ、出発だ」

昨夜は常駐警官たちの雑魚寝部屋で寝る事になったが、電気はつけっぱなしだし天井のファンは回しっぱなしでずっと顔に風があたるし、朝の3時から大声で話し出すわ・・・・まぁよく眠れるわけがない。朝方ようやく意識を失ったすぐ後に叩き起こされたのだ。しかも昨夜に言っていた出発時間と違う。

すでにパキスタン警察のぞんざいさには嫌気がさしてきていたけど、文句をいってもしゃーないので準備をして出発する。また護衛走行が数百キロもつづく。

延々の砂漠地帯。

時おり出現する素焼きのような煙突。もくもくと黒煙がのぼっていることもある。

少しまともなガソリンスタンドが出現しはじめた。
オクタン価不明 約270 PKR/ℓ=リッター約131円。イランの激安からいきなり通常価格になった。

場所は違うけれど、さらに南東部にあるパキスタンのヒンゴル国立公園には、この景色に似たような泥火山地帯がある。

このごつごつした山々は印象的な風景だった。

時おり農作地も広がる。

チェックポイントにて。

ついにチェンガードが完全に折れた。

パキスタンにはシェルが参入しているようだ。セブンシスターズの給油機だと、なんとなく品質に安心感を抱いてしまう。

デコトラを追い越し、

道が山間を抜けることもある。

途中、Mohammadhussain と Narges の左後輪がパンク。

Mohammadhussain が手際よくスペアタイヤと交換。

イランのYAZD TIRE 製。

交換完了👍

そういえば、パキスタンに入ってから左側走行に変わる。ずっと右車線だったから気を付けないとやばい。

黒煙をあげる煙突たち。

なんども線路と道がクロスする。たぶん、Trans Balochistan Railway の線路。

パキスタンの警察が持っている自動小銃は中国製ないしロシア製が多い。ロシア製のはカラシニコフの旧型だろうか。

突如出現するデコトラ。

Quetta への道中では、ポルトガル人のカップルライダー Ruis と Anna とすれ違った。彼らはこれからTaftanに向かい、イランへ越境するようだ。

何十人もの警官と出会っては別れてを繰り返すわけだけど、至極無愛想なやつもいれば、めっちゃフレンドリーなやつもいる。たいていが年下なんだけど、どうも管理人が年下だと思われている。

デコトラの作業により行く手が塞がれることも。

護衛車の後ろには常にマシンガンをもった警官が1人~数人乗っている。予定を組んで護衛にあたってくれるのには感謝しなければ と思いつつも、これは果たして意味があるんだろうか とも思う。本当に危害を加える目的でアタックされたら、周りを取り囲んででもいない限り防ぐことはできないように思える。

一体何回エスコートカーの交代をしただろうか。

最後は護衛がバイクに変わる。こうなるともはやただの道案内だろ。

ようやくクエッタの街が見えてきた。思っていたよりも大きな街だ。パキスタン国内で最大の面積をもつバロチスタン州の州都でもある。

クエッタの街で、外国人が唯一滞在を許されるのは Bloomstar Hotel というホテルだけ。なのにBooking.com などでは他のホテルの予約もとれる仕様になってしまっている。

中心地へ行く前のクエッタ周辺部はまさにカオスだった。
リキシャとトゥクトゥクが無秩序に行き交う隙間をデコトラならぬデコバスがクラクション鳴らしっぱなしで突っ込んでいく。
道の両脇には相も変わらずおびただしいハエのたかった屋台やら商店が軒を連ね、常に誰かが大声で叫んでいる。

とにもかくにも、バロチスタン州の州都クエッタまで到着した。
ここまで国境から650km、とりあえずまだSIMは買えていない。一緒に走ってきたイラン人夫婦のMohammadhussain と Narges はBloomstar Hotel の駐車場で車内泊をすると交渉していたけど、管理人は昨晩ほとんど眠れなかったので普通に部屋に宿泊することにした。

が、確かにホテルのスタッフは態度が悪く、外国人はここにしか泊まれないことで足元を見ている。
こちらから積極的に働きかけるまで何もする気がない姿には勤労意欲のかけらも感じないし、何かを伝えてもなお行動を起こすまでタイムラグが信じられないくらい遅い。
ここまでの道中、警察も人によって言うことが大きく変わるし、パキスタン人がフレンドリーなのはいいが、表面的にさえ信用ならないやつらばかりだというのが今のところの正直な印象だし、もっと言えば経済発展できないのは国民性によるものだとさえ思えてしまう。

おまけ

パキスタンの紙幣。
1 USD = 約 280 PKR(パキスタン・ルピー).どの紙幣も肖像は全てパキスタン建国の父 Mohammad Ali Jinnah.

つづく

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