こんにちは、グレートエスケープ中の元勤務医です。
ブログの更新がまったく追いついておらず、既に1週間以上タイムラグがあるのですが、遅れながら更新しています。
Bat地方を出発し、首都マスカットへ向かいます。
Fallah 家を後に
昨晩泊めてくれたFallah家、夕飯に加えて、朝食まで出してくれた。
なんていう名前の料理かは分からなかったけど、オマーンでは朝食にこれを食べることが多いらしい。日本人にはやや重いかも。
でもバイク旅では食べられる時に食べておいた方がいいから、なるべく沢山食べた。
スイカは味が濃く、まんじゅうみたいなのはチョコレートですごくおいしい。
デーツまでもらってしまった。
Fallah ありがとう!
時たま Nahr : 川 にヤシが生い茂る。
ヒトコブラクダの小さな群れ。
野生なのか、家畜化されたものなのかは不明だけど、ヒトコブラクダの野生現存数は少ないというので、家畜なのかもしれない。
Wadi Al Hajar Dam
バハラへ向かう途中、Fallahに教えてもらった地元のスポットに行ってみることにした。
Wadi Al Hajar の水の周りに木々が生い茂っている。
そこに突如として階段があらわれて、水が勢いよく流れおちていた。
たぶんダムなんだと思う。
Wadi Al Hajar Dam.
川沿いだと、時たま花もみかける。マメ科のTephrosiaの仲間(?)。
ほぼ地面と水平にのびる古木。
中東のシオカラトンボの一種。
生い茂る緑、というより 岩山と砂漠の中にひょっこり現れる様が、日本人にはなんとも新鮮だった。
サララにいったらこんな景色が沢山あるんだろうか。
川から離れた岩石地帯に咲いていた花? 種類は不明。いったいどこから水分が来るというんだろうか。
Bahla Fort
しばらく走ると、バハラの街に着いた。
ここバハラには世界遺産:バハラ城塞がある。
全体像はいままで見てきたフォートのどれよりも大きく、まるで不定形の機械美があるよう。
それも、12世紀頃から何百年にも渡って増改築が繰り返された結果なのかもしれない。
内部へ。
・Covid 関連のチェックはなし
バハラの街はナブハーニ朝の主都として、また乳香(Frankincense)取引の要所として栄えたという。
海洋国家であったオマーン帝国は、当然海からの攻撃に対して常に警戒していたのに加え、内陸に入ったバハラでは、ベドウィンや他の部族からの攻撃にも対応するためここまで巨大な城塞になったと説明されることが多い。
監視塔とよべるものは全部で130を超えるらしく、正面観のメインの塔は高さ50mにもなる。
まるでRPGゲームのステージのようにあちこちに階段と通路がはりめぐっていて、完全に迷路。
気温がピークを迎えておりまじで暑い。避難。
受付のおっちゃんに頼んだら、水がいくらでももらえた。5本ペットボトルもらえば入場料がチャラになる。
他のフォートとおなじく、日干しの泥レンガが主な構造原料で、80年代に入るまでは修復作業が行われなかったせいで風化・劣化が激しく、危機遺産に登録されていたらしい。
その後90年代に大規模な修復作業が進めれられ、2000年代にはいってから一般公開されるようになった。
都市全体を取り囲む城壁「オマーンの万里の長城」を撮り忘れた・・・・
規模も含め、とても見ごたえのあるスポットだと思う。
バハラ城塞麓でとらえた中東のセミ。種不明。
Faraj Daris Park
バハラから、アフダル山周囲の道を進むと、ニズワの街へとつづく。
ニズワの中心より北に手前に やはり世界遺産に登録されたファラジがある。
ここは Faraj Daris Park という形で完全フリーサイト的な感じになっており、地元 あるいは近隣の人々の憩いの場になっていた。
ファラジはアル・アイン の記事で触れた通り(【アルアインの遺産群を訪ねる~part.1】)、地下水や湧き水を使った灌漑システムで、その起源は不明。
自由落下を用いて水流を灌漑するため、非常に高度な土木技術が必要という。
オマーン国内に数千か所もあるというファラジのうち、この Faraj Daris は最も古いもののうちのひとつで、水源から周辺施設までが世界遺産として登録されている。
アル・アイン オアシスのファラジはほとんどが干上がっていたけど、こっちは水が満ち溢れていて中に魚も泳いでいた。
あと地元の子供たちは水路にはいって気持ちよさそうに泳いでる。
なんてフリーな世界遺産なんだ。
公園内で声をかけてくれたグループ。
ジュースとパンをご馳走してくれた。真ん中の彼はフォトグラファー志望で、愛機はCanonだって。
Nizwa Fort と Nizwa Souq
Faraj Daris 公園から少し南下すると、すぐにニズワの中心地へと出る。
Nizwa Fort の入口にて。
・Covid 関連はなし
・パスポートのチェックあり
ニズワ砦も内部は完全に迷路状態。
築造は1650年代、ヤアーリバ朝治世の頃。
ポルトガルからマスカットを奪還した後のことなので、ポルトガル軍による再奪還に備えて、他の多くの砦と同じく、内陸への要所を守る役割があったんだと思う。
向こうに見えているのが Majis Juma Mosque.
ニズワ砦内にはかなり充実した展示スペースがあり、オマーンの歴史のアウトラインを確認することができる。
上下左右に不規則に入り組んだ階段や通路。
当時はこの3次元的に入り組んだ構造を利用して、落とし穴や落石、熱湯おとし など、様々なトラップが仕掛けられていたらしい。
Nizwa Souq
ニズワはオマーン第2の都市、有名なスークもある。
そのスークでひときわに目を引くのがこの壺。
見渡す限り、壺 壺 壺。
バハラで採取される良質な陶土が原料になっているらしい。
アンティークのハンジャルを扱うお店。
店主、歯が大変なことになってるけど、クッマ(オマーン人男性に特有の帽子)がよく似合ってるね!
※ピントがちゃんとあってない・・・ 暗所だとAF性能に安定性を欠く これがフラッグシップ機との決定的な違いだね…
ハンジャルのほかにも、置物や香をたく台、アクセサリー、ランプなど・・・
バハラ~ニズワにかけては銀細工でも有名なんだという。
ニズワスークでは他にもデーツや野菜、木金の朝であればヤギの競りなども行われるらしい。
ニズワの街を後にしたら、首都マスカットへ向かうため、再び海岸方向へと15号線を走るのであった。
Route
約350km.
おまけ
ニズワ砦の前にあった ハンジャルのモニュメント前で。
つづく