【Republic of Iraq episode1】イラクに入国 次の街まで30時間

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ヨルダンーイラク国境わずか数十キロ手前にて野営の朝を迎え、再び国境超えに挑みます。

イラク入国に関して

外務省海外安全HPによると、現在イラク全土にわたって レベル3(渡航中止勧告)~レベル4(退避勧告)が発令されています。

米国によるサッダーム政権の転覆後、内政は未だ安定せず、支配層を中心としたイスラム教シーア派と共に、スンニ派とクルディスタン自治の概ね3つの勢力図となっているイラク国内。やはり直近でイラクを走行したライダーなどの最新情報を鑑みるに、特に南部であれば大きな問題はないであろう との判断で入国する。
判断といっても、国際情勢の専門家でもなんでもない人間が 各論を元に判断しているだけなので 何の根拠もないといえば何の根拠もないわけだけど。

ここまでのルート

ぶち切れ寸前の越境

朝、昨晩の雨の影響でフライシートの結露がひどい。拭いた後に朝日にあててなるべく乾かす。

撤収後、国境へ向かう。

ヨルダン側の出国ゲート。
ヨルダンの出国は割りとすんなりいった。しかも前回シリア側へ出国した時にかかった出国手数料のうち 20 JOD は請求されなかった。

ヨルダンーイラク間 国境緩衝地帯。

大変なのはここからだった。

ヨルダンを出国し、イラク側のイミグレスペースに着くと、まずはよく分からない室内に通されて軽く尋問が始まる。

その後は別棟のビルとイミグレカウンター数か所を何度も何度も行き来して、少しずつ作業を進める。
もはや自分でも今何を待っているか、待たされているのか全くわからない状態で、言われるままに移動しては待ってを繰り返す。

スタッフ間での情報共有が全くされていないので、行く必要のない場所に行かされて無駄に待たされる。
それを伝えようとしても国境スタッフで英語が話せる人はほとんどおらず、そしてあまり人の話を聞く気がないようで、とりあえず待てとしか言わない。
結果、あーやっぱ違ったわ的な感じでまた別棟に行き待つ。
いや こっちじゃないあっちだろ とスタッフ間でもめだす。
もめてたスタッフいなくなる。
また数ステップ戻って聞くところから始める。
また行かなくていい場所に行かされる。
謎の待ち時間。
×3回くらい
チャイだよ チャイだよ と謎待ちの度にチャイだけは出してくる。最初はありがたくもらってたけど、だんだん逆にイラついてくる。
チャイはいいから早くなんないのか・・・
途中強制保険の加入なども挟みつつ、ようやくパスポートにスタンプが押されるか、と思いきや
その権限のある人がいないらしく、到着待ちになる。
既に国境に到着してから4時間は経っていただろうに、更に1時間くらい何もすることなく待つ。
ようやくパスポートにアライバル・ビザのステッカーが貼られ、バイク走行に必要な書類が揃ったと思ったら、カルネへの押印忘れがある。
もういっか、と思ったけど、半券を回収されてるから 出国時にもめたら嫌だと思ってカルネにスタンプをもらいにいくが、、、
サラートの時間でもないのにさっきまでいたスタッフが誰も見当たらない。
仕方がないので他の人にスタンプを押してくれと頼むと、こいつがまた何を勘違いしたのか てんで見当違いの場所に電話をかけたようで、一向にカルネのスタンプがもらえない上に話がややこしくなってる。
この時国境に到着して約6時間。いよいよ温厚で寛容な管理人の堪忍袋の緒もブチ切れる寸前まできていたけど、最終的になんとかカルネにスタンプを押してもらい、出国ゲートへ向かう。

そして出国ゲートに到着して言われる。

「今日はもう道路閉まったから 国境に泊って、明日の朝また来て」

 

 

は?

怒りを通り越して何とやら~ とはまさにこのことだ。今の今までその重要な情報を何で誰も伝えてこねーんだよ・・・!
と思ったけど、既に怒る元気すら無く、ただ脱力した。
そもそも相手はマシンガン持った警察だし。

短気になっていたのは、たぶん空腹もあったかもしれない。昨日の夕方から何も食べていなかった。国境スタッフが食事をしていたので、混ぜてもらい遠慮なく満腹になるまで食ってやった。すっかり気持ちもフラットになり、考えてみれば国境に泊るなんていい経験じゃないか とポジティブに考える。

国境にあるモスクの1室に泊めてもらうことになった。宿泊料はかからない。

こういう国境だからなのか、今までの国境に比べて敷地が広く、なぜか店が沢山ある。ほんの小さな町みたいな場所だ。明日の朝までどうすることもできないと分かれば、のんびりと国境の散歩でもしようという気になる。

管理人のブチ切れメーターが真ん中くらいになってた頃にやってきた GS1250. まさかこんなところでライダーに会うとは。どうやらハンガリー人夫婦のようで、今まさに手続きの真っただ中の模様。
彼らも今日は敷地内のどこかに泊ることになるだろう。

売店のうちのひとつでSIMを買うことができた。SIMを買うだけなのに、なにやら設定にウルトラ時間がかかってる。
もう急いでないからいいんだけど、この国は通常の4~5倍の待ち時間がデフォルトなのか? と先が思いやられる。

Border Information
Border Point : Karamah(Jordan) → Traibeel(Iraq)
DEPARTURE
★Carnet stamped
No Covit
Departure fee : 25 JOD
ENTRY
★Carnet stamped
No covid
Arrival Visa : USD 76 → single 1 month
Customs fee ? : USD 100 + IQD10,000 + IQD 15,000
IDP/Registration Certification confirmed
Vehicle insurance : USD 20 7 days(?)

アライバルビザの USD76 のほかに USD100 の費用がとられた際に、これは何の費用なのか?としつこめに聞いた際 “Ground Transportation” だと説明され、確かに受領書もしっかりとしていたので なんだかなぁと思いつつ了承した。これはこの後明らかになる。

モスク敷地内にある小屋にて、本日はここに宿を確保した。
当初は誰もいないから と言われていたけど、実際にはおっさんが2人同室で、そのうちひとりは遅くまで電話で話すもんだからなかなか寝付けなかった。今日は散々だった・・・。

イラクへ入国 戦車による護衛のもと バグダッド方向へ走行

翌朝、やはり昨日のハンガリー人夫婦も国境に泊ったようで、2人と合流し、3人で走る。
ダンナさんは Zsolt 奥さんは Erika.

事前の情報では国境から数百キロは護衛がつくためゆっくりしか走れない と聞いていたけど、越境直後は特にその様子はなかった。

しばらく走ったところで、道路脇にあるこんなスペースで3人で休憩していると、、、

イラク軍がやってきて、

お前ら一体こんなところで何やってんだ??!

と半ば怒られる。

ここから、噂通りのエスコート走行が始まる。

国境で仲良くなったトラックドライバーがたまたま撮ってくれてた写真が後からDMで送られてきた。イラク軍戦車の後ろをついていくGS×ハンガリー人とTenere×日本人 という稀有な図。しかし、ここからがまた大変だった。

道路に定期的に現れるチェックポイントの度に止められ、パスポートとドキュメント類の提出。
ひどい時は40分近く待つこともあった。

そんなチェックポイントが、全部で15か所はあっただろうか、、、
Erika は完全に呆れ顔だ。

まぁこれも良い経験だけど、問題なのはイラク国内に警察機構が複数(現地の情報では4~5つ)あって、それぞれが情報を全く共有していないことのようだった。Police や Military はそれぞれ general と special に分かれていて、それとは別にMilitia という機構も存在している。入国データも一切電子記録されていないので、止まる度に止めた彼らが各々に確認作業を行っているんだろう。
実際、国境での記録は全て分厚いノートへの手書きで行われていた。

多数のチェックポイントに加え、エスコート車輛の交代にも時間を食う。
国境で支払った Ground Transportation は、この費用だったようだ。考えてみれば、軍がおよそ400kmにわたって護衛してくれているので、$100も致し方なし、と思えるんだけど、問題なのは 一体彼らは我々を何から守っているんだろうか という問題だ。
これはなかなかセンシティブな事案かもしれない。

まだ最初の街まで100km程度残して、日が完全に沈みたがってるじゃーないか。

エスコート車は、戦車からバン、装甲車と交代しつつ、時には70km/h 時には130km/h とスピードも乱高下しながら 最終的に全部で8台交代しただろうか。

運がよかったのは、たまたま出会ったZsolt Erika 夫妻が、Baghdad手前の街 Ramadi のライダーとコンタクトを持っていたことだ。
彼の名前はAbdullah. Ramadi を含む Anbar県のバイカーグループ Anbar Bikers のキャプテンだ。

Ramadi の街に向かう最後のチェックポイント。ここまで、Abdullah が迎えに来てくれたのだ。
最後のチェックポイントでも40~50分揉めただろうか、どうやらチェックポイント間で情報の伝達ミスがあったようで、我々一向が本日中にバグダッドに向かうことにすり替わってしまっていたらしい。

最初はバグダッドに行かなくちゃならないかも 的な雰囲気で、管理人もZsoltもErika も、いやいやまじで?この暗い中150kmくらいあるよ? と全面的拒否ムードを出す。
最終的に、Abdullah が何とか説明してくれて、Ramadi の街に入ることができた。国境に着いてから、30時間以上経過していた。

Abdullah と Anbar Bikers

そしてなんとこの日は、Abdullah の家に泊めてもらえることになった。

Abdullah , Erika と。

Abdullah のバイクは YAMAHA XJ900 Diversion. 確か2003年式といっていたような。とても美しくメインテナンスされていて、大事にされているバイク感が伝わってくる。そしてやっぱり日本製のバイクがこうやって大事に乗られているのは嬉しいね。

夕飯もご馳走になった。

管理人は既にバグダッドの宿を確保してしまっていたため、明日にはバグダッドへ向かわないといけない。Zsolt と Erika は翌日にするということなので、ひとりで少しだけRamadi の街を案内してもらうことにした。

集めってきてくれた Anbar Bikers のメンバーたち。

テネレは出すのが大変だったから、Abdullah の後ろにタンデムさせてもらった。やっぱ4気筒の吹け上がりとフィーリング最高だな。

Anbar Bikers と。

ずらりと並ぶ、ほとんどが日本車。

Ramadi の街を横断するユーフラテス川にて。

Anbar Bikers から、バッジをもらった。

夜、Abdullah と日本製バイクやバイクパーツの、個人輸出入で繋がろうか、なんて話で盛り上がる。あながち悪くないかもしれない。

Abdullah家にもどり、就寝。素晴らしい寝床をありがとうm(_ _)m

Baghdad へ

翌朝、Zsolt が淹れてくれたコーヒーを飲んで、Abdullah と4人で朝食を食べに行くことになった。

やはり内戦の跡は至る所にみられる。Ramadiの街は2015年頃にISISによて制圧され、その後イラク政府によって解放されている。

途中、Abdullah の職場のうちひとつに寄る。

サウジアラビアのメディナで応急的に付けたフェンダーが早くも下に垂れて干渉してきてたので、針金で更に応急処置をしてくれた。

Saddam Magnificent Mosque 前にて。

Abdullah が連れてきてくれた店にて。

街中で見る、働くバイク。

さて、一旦3人と別れ、単独でバグダッドへ向かう。Zsolt Erika 夫妻にはまたバグダッドで会うだろう。

これが、かの有名なユーフラテス川。ここはもう下流域に相当するのかな。

結局チェックポイントは全部で6か所もあったけど、内4か所はスルーできた。2か所では止められたけど、ドキュメント類とパスポートの提出で10分程度で開放された。

途中、道を間違えて Fallujah; ファルージャ の街に入ってしまいそうになった時が大変だった。旧激戦地ということもあるのか、警官がよってたかって、道を間違えただけだからすぐにUターンして戻ると言っても伝わらず。一度バイクの鍵を取り上げられた時はさすがにこっちも怒り気味になって、より雰囲気が悪くなる。
野次馬の中で英語の話せる男がでてきて、助け舟を出してくれ 事なきを得た。

結局市内に着くころにはまた暗くなってしまっていた。

バグダッド、とある橋からの景色。

おまけ

イラクの紙幣。1 IQD;イラク・ティナール = 約 0.09 円。
紙幣の絵柄を見ると、イラク人のアイデンティティは強くバビロニアにあるんだなぁと思わされる。

国内ではホテルなどではUSDでの支払いも可能だけど、市井のお店ではIQDを使うほうが一般的で、今のところカード決済は不可。
ATMの引き出しは可能で、USDを直接引き出せるATMもある。

つづく

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