こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。
超自然的で、超地上的な存在がいわゆる伝統的な「神」であったり、古典的な宗教や崇拝を支えてきたものであるなら、そういったモノ共は一切が嘘偽りか・世界の事象を説明するのが面倒だからあてがわれた適当な口実だということは、もはや多くの人々が自覚し、そして受け入れられ、もはや意識せずとも当たり前のことになって久しいでしょう。
それが科学の成したことなのか、ある種の思考の進化なのか、分かったものではありませんが、細胞生物学であったり、分岐分類学であったり、あるいは宇宙進化論といったあらゆる英知の網の目のようなコラボレーションで、ぼくらが一体どのような存在なのかが、しっかりと言葉で説明できるようになったことが「神の死」のひとつの立役者であることは間違いないでしょう。
誰だって生きていることに意義を見出したいものです。
でも毎年桜が綺麗な桜の花をつけ、それが春の冷たい雨で思いのほか早く散ってしまったなんてことにも意味をみつけることができるでしょうか。何かしら恣意的な所以を探してみたりしたところで、それを裏付けるものなどどこにもありません。自分の人生も 同じようなものだと思うことがあります。
意義などハナから無いのだと、わかってしまえば むしろ自らの人生についての料簡は圧倒的に自由になるような気もします。
ある意味、伝統的超地上的な存在があったほうが手っ取り早いのかもしれませんが、普通に生きていれば、環境がつくった「神」は遅かれ早かれそのうち死んで失墜するでしょう。Very Religious な家庭で育った子が、やがて”Invisible Man in the Sky” を嘲笑する事だってあるんです。だから、自らの意識が及ぶところで、自分の羅針盤は自分でつくってしまったほうがよいのではないでしょうか?
あなたがカタチづくったあなたの神は、何事にも折れない凌雲の志としてあなたの行動を強力に牽引してくれるでしょう。
その選択が良いか悪いかなんてどうでもよくて、これはほとんど信念とかアイデンティティ あるいはそれらの複合体のようなものなので、あらゆる感情の波や社会的圧力から自分を緩衝域に留めてくれる万能のバッファーとして機能してくれること間違いなしです。