こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。
世界をバイクで旅するというと、なんだかものすごい贅沢か、大それたことをしようとしてると思われることが多いのかもしれないし、実際そうなのかもと思うこともあったりなかったり。
実は日本にもこんな大それたことをやってきた・やろうという人が数十名、バイクという移動手段に拘らなければ、一般的な社会規範に縛られず旅して生きている人はかなりの数いると思います。
こういった人たちが、何も考えずに悠々とそういった生き方をしているのかというと、実際はそうでもない。超絶な体力や処世術を身に着けていて、常人を逸脱する馬力で道を切り開いているのかといえば、そうでもない。
ただし、自分の現状を客観視する能力と、その現状を社会ではなく人間としての価値基準で比較する視野があり、そしてその視野の中に自己実現の活路があるならば現状を捨てる勇気と行動力がある という点においては共通しているのかもしれません。
その不安や恐怖 安定した社会的枠組みから抜け出ることへのものだけではありません。
・シベリアで野営中の邦人ライダーがめった刺しにされ殺害される
・カメルーンで外国人旅行者が反政府ゲリラに殺害される
・世界1周中の邦人がコロンビアで銃殺される
・タンザニアで邦人ライダーが暴走バスに追突され即死
・自転車世界旅行中の邦人がペルーで交通事故に巻き込まれ死亡
このような事件は、挙げれば枚挙にいとまがありません。皆、今の自分と同じか、それよりも若い人たちが、夢半ばにしてその道を閉ざされたわけです。
特にシベリアでの邦人ライダー殺害の事件は、世界ツーリングを目指す日本人ライダーにとって衝撃であり、世界が危険であふれている事を改めて痛感させられるものです。現場はバイカル湖手前のヒロクという町で、ウラジオストクからロカ岬を目指す定番のユーラシア横断ルート上にあるだけに、みんな他人事ではなかったのだと思います。
やはり、人間が一番怖い。防ぎようのない不幸もあるけど、日本では想像できなような災難から、自分で自分を守るよう能動的にスタンバるしかないんですね。
今、都内で生活を送っていて 寒い日にバイクで走っていると、、、当然寒い。でもこんなんで寒がってて大丈夫か?とか、
仕事終わって家着いて ふぅ~~~ とか一息ついてると、、、こんな風にくつろげないぞ・・・?とか。
なんだかんだ東京生まれ東京育ちで、なんだったら比較的裕福な家庭でぬくぬく育ってきたような温室栽培っ子が、そんなタフな環境一体どれくらい持つもんだか、と自分でも思ってしまう。自転車で野宿しながらいろいろなところを走ったけど、そういうレベルではないだろうし、帰ろうと思っても簡単には帰れない。
朝起きて、ふと 「おれは本当に行くのか?」と自問したりする瞬間もある。
バイク世界旅を決意した当初、一番怖かったのが そんな不安に負けて自分のモチベーションが段々と薄くなっていってしまうのではないか、ということでした。
ただ、決意後、色々と行動を起こしながらある程度の時間が経って分かったことは、モチベーションは薄まるどころか、現実味を帯びるごとにどんどんと濃くなっていくということでした。別に不安がなくなったわけではなく、むしろ具体的なイメージがしやすくなればなるほど、不安という実態のなかったモヤモヤも、より具体的なものになっていったわけですが、そんなことが、なぜか自分の旅への欲求を更に掻き立てるのでした。
危険なほうが、不安なほうが、がぜんやる気がでる
元々こういう性質の人間だったんだろうな と妙な自己分析をしつつ、そんな自分に安心したりもする。では一体なにが自分のモチベーションを保っているのだろうか、と妙な自己分析を重ねてみる。
これは、元来自分が「世界中の景色を直接目で見て、そこで人々に出会い、その時を感得したい」という願望が支えているに違いないと思うわけです。
今まさにこのときも、世界のどこかを駆け巡っているライダーがいます。そいつの自由と、辛さと、感動は、そいつにしかわからないでしょう。
ただ、彼、彼女らがその感動を共有しようとネットワーク上に様々な写真をアップロードし、そしてエピソードを綴ってくれるおかげで、その感動の一部を垣間見ることができます。
まさにこれこそ、いま自分のモチベーションを保ってくれるもののひとつだといえます。彼らの写真を見ることで、自分がなぜこんな行動を起こし始めたのかを再確認することができるからです。
あーそうだ、おれはこういう景色を見に行きたいんだ。
ホンダ乗りなので、本田宗一郎の言葉を引用してみるとこんなのがあります。
“本当に強い人なんてのはいなくて人は本来弱いもの。いるのは、弱いことに甘んじている人か、強くなろうともがいている人”
もがき方は人それぞれだけど、そうか、それだったらやっぱりやるしかないよな。だってやらなきゃ人生という自由ゲームがただの川流れになってしまう。
とかいって改めて自分で自分を納得させるのでした。