こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。
世界1周というと、今となってはありきたりな言葉となったような気がします。
世界1周クルーズの広告とかも、いたるところに貼られてたりしますね。
なので ただ
「世界1周にいってくるぜ」
といっても、なんだずいぶん贅沢な趣味だなぁとか、豪遊するのねぇとかそんな感想が帰ってくることもあります。確かに、どんな手段であれそれなりの資金がなければできないことではあります。
クルーズ世界1周とか、飛行機を使って世界の名所を回るツアーとか、これは旅行代理店が企画したプランの中で行われるもので、安心・安全や清潔・優雅さが確約される一方で、ルートや目的地は完全に決められおり、あくまで一般的な観光という範疇で行動も制約されます。要は、長めの海外旅行。
実は、バイクを使った世界ツーリングにもツアーがあり、それに関わる煩雑な手続きを代行してくれる代理店も日本に存在します。→海外ツーリングの道祖神:https://www.biketour.jp/
バイクの場合は時間もかかるため、世界旅というよりは「大陸横断ツーリング」とか「オーストラリアツーリング」みたいに国や地域ごとでツアーが組まれることが多いと思います。
いずれにせよ、代理店をかませて旅をするとなると色々と制限があるし、行きたいとこに行きたい時に行くなんて身勝手は許されない。期間だって、数週間~長くても数か月で組まれるのがほとんどで、これのために仕事を辞めるとか、そういう話ではないでしょう。
その代わり、バイクの輸送に関わる煩雑な手つづきを丸投げできるし、ある程度管理された中での安全性などを担保してもらえます。
バイクで世界放浪旅
それは、安全や安心、セレブリティとはかけ離れた世界。日本国籍であることを証明するパスポートと旅の資金をあてに、行きたいところに行きたいように行く。誰も守ってはくれないし、常に(時には死の)危険と付き合っていくかわりに、何にも代えがたい自由を手にすることができます。
移動手段としてバイクは圧倒的ではないでしょうか。ガソリンさえあれば、本当にどこへでも行くことができる。それは車では得られない身軽さと、バックパッカーには不可能な機動力を両立しています。だからこそ、「バイクで世界1周」には他の「世界1周」にはない独特なニュアンスが多分に含まれるんだと思います。
今まで普通に日本で社会人として生活してきた人間が、突然こんな世界に身を投じようというのであれば、残念ながらそれなりの準備が必要です。それは道具がどうの~という準備のことではなく、社会人としての”身の振り”として という意味で です。それは、会社や、家族や、近しい人々に、自分が「そういう事」を本気でやろうとしている事を伝える事から始まります。
長期の旅であること
時には危険を伴う旅であること
いつ帰ってくるかもわからないこと
それなりの収入や安定したポジションがあり、結婚もしているような人であれば、そのハードルは高いし、「なにを血迷ってるんだ、考え直せ」「今の生活でいいじゃないか」という声は当然あります。
ただ、固いモチベーションとそれを合目的的に支える自論が揺れなければ そういった批判や嘲笑は柳に風と受け流せばいいだけです。自分の人生観をつたえ、やらなければならないということを理解はせずとも納得(ってか諦め?)してもらうことはできるはずです。
社会通念からすれば、この上なく身勝手なことなわけで、それに対する罵詈と叱咤は覚悟しなければならなりません。
結局、人の気持ちや本当に心の中で考えてることなんてわからないわけです。
「これをやらずに老いたら、今際に後悔する、生きてきた・生きていく意味がよくわからない」と思えるのであれば、何よりもそれを優先してもいいのではないでしょうか?
周囲の人たちに「バイクで世界放浪の旅」を話はじめたとき、ほとんどのひとは驚嘆しました。
というか、なにを言っているのかあまり伝わっていなかったと思います。
安定した収入や医療法人内でのポジション、家庭や安定した生活 これら全てを捨てて、何になるかも分からない旅をするといえば、そりゃそうなるよね ということです。ただ、時間というのは偉大で、自分さえその意志を曲げずにいれば、やがて周りの人たちもその事に慣れて(?)くれるものです。一番大事なのは自分の中に曲がらないモチベーションを保ち続けること。そしてそれを、正直に言葉を選んでまわりの人に伝えること。
これが旅を実現するために、最初に越えなければならない壁で、実はこれが一番大変だったりするかもしれません😊
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