【Republic of Kazakhstan episode 5】ひたすら走る西カザフの2,000km

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

シムケントの街でSIMの問題は解決したので(というかBekzhanの無償の助けによって解決した)、彼に別れを告げ 出発する。

ここまでのルート

Turkistan の Khoja Ahmad Yasawi 霊廟

カザフスタン南部を横断する道路の脇には、いくつかユネスコが点在しているけど、多くは古いセットルメントの痕跡なんかで、なかなか寄る気にはならんかった。
というか、ここから先1日の移動距離が1,000kmに迫る、あるいは超えるので、なるべく余計な寄り道をしたくないというモチベーションになってしまっていたのだ。

そんな中でも、ちょうど道中にある Turkistan;トルキスタンの街には必見の遺構がある。

なんとなくアシガバードを思い出す整列されたビル群。

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建設中のトルキスタン・モスク。数年前の写真に比べると大分進捗したようだ。

さて、ここトルキスタンにある Khoja Ahmad Yasawi 霊廟は、カザフスタンで最初の世界遺産であり、中央アジア・ムスリムにとってメッカに勝るとも劣らない聖地ということもあって、周辺は整備の行き届いたサイトになっていた。

敷地内には、観光客向けに新しくつくられた施設も沢山ある。

サイト内には数多くの遺構があるけど、最も重要なのはこの巨大なイワーンが圧倒的な Khoja Ahmad Yasawi 霊廟。

巨大な南側のイワーンから裏へ回って、北側の門へ出ると、こちらはまるで違う建物のように美しくタイルで装飾されている。

美しいブルーのドームや、タイルワークは、サマルカンドやブハラで見たマドラサのそれに似ている。というのも、この霊廟は、12世紀に活躍したスーフィ― Khoja Ahmad Yasawi のものだけど、建物自体は後にティムール帝によって14世紀の終わりにつくられたのだ。

廟内は複雑に入り組んだ構造をしていて、旧図書室や旧浴場だった部屋なんかもあって、見取り図を見ないと全体像がわからない。

内部には Khoja Ahmad のみならず、彼の創したヤサヴィーヤを受け継いだホジャ達の墓石も数多くおさめられている。

そんな中、ひときわ巨大な鶯色の大理石でできた石棺が、廟内のほぼ中央付近に安置されている。一説によると写真を撮影することができないといわれているこの石棺が、Khoja Ahmad Yasawi のもの。

メインのドームの直下に位置する一番大きな部屋は、現在足場が組まれていて公開されていないような状態だった。Wikiによると、一般的にミフラーブが存在するドーム直下の大広にはミフラーブが存在しないらしい。

その代わりなのか、脇にある小さな部屋に、精緻なタイルワークで装飾されたミフラーブがあった。

北側と南側で、あまりにも装飾の進捗に差があるから、これらの建設時期には大きなズレがあると推測されているらしい。

2,000km のカザフステップ・ラン

Khoja Ahmad Yasawi 霊廟を出発してからは、もう本当にただただひたすら走るだけ。

風景はひたすら変わる事のないステップ。

途中から天気がよくなってくる。

傾いた陽光が雲を後ろから照らす。

Qamystybas Lake.

遮るものの無い地平線が、だんだん焼けていく。

工事中の迂回路は、トラックでスタックしてる上に道が悪く、一気にペースが落ちる。

もう完全に日が暮れて、

その後もしばらく走ってから野営地を確保した。暗くなってからだと、地面のコンディションがほとんどわからないから、本当はまだ日があるうちに設営すべきなんだけど、この時はとにかく距離をのばしたかった。

Aktobe を経て

翌朝、当然だけど、昨日焼けてたのと反対側から太陽が昇ってくる。これだけ遮るものがないと、そんな当たり前のことをより実感する。夜中はなかり冷え込んだようで、フライがかなり結露していた。

朝日に照らされながら草を食むバクトリア・ラクダたち。しかし、カザフスタンはヒトコブも混じってる。

朝は快晴だったのに、

途中から雲行きが悪くなって、

なにやら渋滞ができている。どうやらけっこう大規模な事故で大型ローリーが道を塞いでしまっているようだ。こんな真っ直ぐな道で事故ってのは、間違いなく無理な追い越しによる対向車との事故だろう。
なにが悪いって、せっかちな奴らが反対車線やら側道にはみ出して前へ前へ詰めるもんだから、結果通れもしないのに現場近くで車同士でスタックしあって更に状況が悪くなってる。警察もそれを規制しないし、この辺やっぱ日本の国民性がいいなとか思っちゃうよな。
バイクだったから、なんとか車と車の隙間を縫って脱出できたけど、かなり時間をロスしちまった。

そんな事故現場を通りすぎてしばらく走ると、天気は快復して Aktobe; アクトーベという街に着いた。アクトーベもなかなか美しい街で、滞在しようか迷ったけど、街にある食堂で補給だけして通り過ぎた。

その後も、ひたすら走る。走る。走る。

感想といえば、「長い」以外 とにかく雲が綺麗だった。

そしてこの日も走りながらどんどん日が沈んでいく。

この日はなんとかまだ目が効くうちに野営地を確保。

緯度は上がっているはずだけど、カスピ海が近いからなのか、昨日より全然寒くない。

Atyrau へ

朝、幸運にも朝から快晴で、気温もけっこう上って来たので、テントと寝袋をある程度干してから撤収する。

元々は、Aktau という街までこのまま走るつもりだったけど、途中で走りながら色々考えて、「Atyrau→Aktau は鉄道旅をしてみてはどうだろうか??」なんて考えてみて、結果その方向に動くことにした。
バイク旅とはいえ、たまにはバイクを置いて違う手段で移動するのもいいもんじゃないか。

この2日間で距離を稼いだおかげで、Atyrau まではもうすぐだ。

この茫漠なカザフステップを走っている時のライダーのオアシスは、間違いなくガソリンスタンド。

カザフスタンの大型ガソスタは、内部がこんな感じで品ぞろえも豊富。場所によってはこんなコーヒーマシンも置いてあって、温かいコーヒーで温まることもできる。

まるでレストランのようなテーブルや椅子も完備されているので、ひと時文明に帰ることができるのだ。まぁ場所によってはWiFiはつながらんかった。

と、シムケントを出てから2,000km強 ようやくカスピ海沿岸の都市、Atyrau;アティラウに到着した。

まずはここから Aktau へ向かう鉄道のチケットを買わなきゃならん。

善は急げで、Atyrau の駅にやってきた。

まじで英語は通じないので、覚えたてのほとんど通じないロシア語0.02%、翻訳アプリ99.98% を駆使してなんとかチケットを購入。乗車時間はなんと20時間!
まぁ距離は約900km, バイクで休みなしで走っても10時間以上かかる道のりだから、途中停車しまくる列車なら当然か。チケット代は7,200テンゲ=約2,200円。

てなわけで、無事チケットを手に入れたので、荷物を分配してぶらり鉄道旅に備えることにしよう。

つづく

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