【Islamic Republic of Iran episode 14】辺境の村 Masuleh; マスレ―村 から、Ardabil;アルダビールを目指して

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

アルボルツ山脈山間部の街にやってきて宿をとった翌朝、さらに奥の Masuleh;マスレ―村を訪れます。

ここまでのルート

Masuleh 村

朝、田園とその向こうにかけてのこれでもかってくらいの曇天で気分が萎える。
無理にでも昨日の夕方に行っておけばよかったか・・・・

と思っていたら、ほどなくして快晴になってくれた。日頃の行いがー と言いたいところだけど、そんなのは関係ない。

この道路は、その名もMasuleh Road. 一瞬ヤギかと見まがうような小型の牛が沢山歩いている。

この屋根の感じとか、庭に植えられてる木のかんじとか。

羊飼いの青年とすれ違う。

Masuleh Road は途中から標高を上げていく。マスレ村の標高は約1,000m。

道ほとんど名前もないような支流の脇をどんんどんと上って行って、

到着、村入口付近の橋から 山の斜面にぎっしりと並ぶ茶褐色の家屋たち。

元々は紀元1,000年頃から現在村のある場所から少し離れたところに集落が形成されはじめたらしい。

Masuleh Waterfall.

超絶坂道を上って、村を一望できるところまでやってきた。よく見るとわかる通り、家屋の屋根がそのまま階段のように街の通路を兼任してる面白い構造だ。

イランにはこんなような山の斜面に敷き詰められたような辺境の村が無数に存在する。

がんばって自撮りしてたら三脚内の小さいパーツをひとつ失くした。

Ardabil への苦難

さて、マスレ村はある程度遠くから眺めるだけで満足だったので、ここから更に北西部 Ardabil;アルダビールという街を目指す。イランでは機能しないと予測していた Google map はどういうわけか普通に機能するので、ルートを検索すると、元に戻らずこのまま進めば着くじゃん やった と意気込んでマスレ村奥の道へ進んでいく。
※シリアとイラクではGoogle map のナビモードは Preview しかできず、ナビは機能しなかった。

途中からダートになるものの、まぁこれくらいなら快適フラットダートだと思い更に進んでいくと、

だんだんと様子が怪しくなってくる。ダートには深い溝がランダムに現れはじめて、流れ出した雪解け水でところどころぬたちゅる化してる。

さらにまじかよと叫びたくなるような急勾配も加わり完全に戦意を折られた。肝心なのはこの道がこの先どれくらいつづくのかが全くもって不明なこと。アルダビールへの予測時間は4時間ちょいとなってたので、引き返すことにした。
あなたなら、行きますか?

舗装路へ復帰。

アルダビールへの道はいくつか候補があって、マスレ村直進コース×。もうひとつの山間部を抜けていく道へ向かう。

イカしたサイドカー付きのトライク(?)に乗るおっちゃんを見かけたので写真撮らせてもらった。

軽快な道に歓喜しながら、快調に距離をかせいでいく。

曇天から紺碧が覗いてくると、感極まってアクセル開度が大きくなる。が、一寸先は闇だぞ と自分に言い聞かせるあたりサウジでのクラッシュの経験が生きている。What doesn’t kill you makes you stronger とはこの事だ。

ちょっとした気の緩みでこの世を去っていったライダーが星の数ほどいるなかで、しぶとく生き抜いてる人たちは皆おのおのの”ゾーン”を持っているに違いない。これ以上はダメ 今はやめたほうがいい なんかヤバい気がする、そういう言語化の難しい感覚に生かされている。

この山間部はイランで3番目に高いサバラン山(標高約4,800m)の裾野に入っている。標高が高くなると、道路脇の草原に小さな小屋が出現しはじめた。

小屋撮り1.

日は影ったり、晴れたり。

小屋撮り2.
こんな異国の辺境でセルフタイマーセットしてポーズきめてって、アホらしく思えるけど いつか撮っておいてよかったと思えるに違いない。

と、調子のって写真撮るのに時間を大量に費やしていた矢先、更に進んでいくと、

チーン・・・・

抜け道なし、迂回路なし、完全に閉鎖。まじかよ、、、盛られ方が明らかに人為的だから、たぶんこの先凍結なんだろうね。
本当になぜだか、こういう事態はこういう事態を全く予想していなかったときに限って唐突に起きる。

マスレ村奥直行コース×
山間部抜けコース×
となると、残るはカスピ海方面へ抜けるコースしかない。これは主要幹線道路だから間違いないけど、かなりの遠回りだ。

もう考えても仕方ないので、来た道をRezvanshahr という街まで全部戻る。写真なし!
そこからカスピ海方面へと抜ける。

カスピ海脇の道路に出たらカスピ海見れるかなー とか考えていたけど、全く見えず。それなり大きな街から小さな村がかなりの頻度で点々とする、あまり面白みのない道路だった。

そんな道路を北西へひた走り、Astara という街からまた山道が始まる。完全に日が暮れた。ただ、Astara-Ardabil間の山岳道路は、さっきまでのような道路と違って、道幅も広く舗装状態もいい、街灯もある安心な道だった。

とはいえ場所によってはなかなかに暗いので、ほどよいスピードの車のテールランプを勝手に目印にさせてもらいながら進んでいく。

Namin の街を過ぎた辺りからはほぼほぼまっすぐのイージーモードに入る。

Ardabil 着

アルダビールの街に着いた。

アルダビールはアルダビール州の州都。アゼルバイジャンとの国境にもほど近く、民族的にはアゼルバイジャン人が多い。言語もペルシャ語からトルコ語系の言葉に変わる(とはいえ多くの人はペルシャ語も解する様子だった)。写真は到着時に一息いれてたら絡んできたおっちゃん。雰囲気がかっこよすぎるだろ。

Saber氏との出会い

アルダビールの宿前でバイクから荷物をおろしていると、
ニホンジンデスカ?? と、ややクセがあるが、でも間違いなく日本語が聞こえてきた。

彼の名は Saber Jahangirpour. 1990年から98年の8年間、日本の堀精工という会社で働いていたらしい。

正直65%は何言ってるか分からないんだが、とにかく日本語が話せる、書けるアピールがすごいのでしばらく話をさせてもらった。
会社のHPを検索すると、どうやら当時サーベロさんが世話になったという社長はすでに違う方に代わっていたので、問い合わせフォームから「30年前貴社にてお世話になったというイラン人から、当時の社長は今どうされているか?と聞かれたので連絡した」という旨の内容を至極丁寧に送ってみた。
もう10日近く経つけど、未だに返信がない。まぁそりゃあないよな。

つづく

管理人の旅を支える道具たちはこちら↓↓↓