こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
出国と再入国を繰り返したウズベキスタンをいよいよ去り、オシュへの国境に向かうのですが、寄り道と迷子のせいですっかり夜になってしまいました。
ここまでのルート
キルギスに再入国
国境に着いたのは午後9時をまわったころ。相変わらずのトラック大渋滞をスルーして中央アジア国境特有のデカいゲートで「来たよ」アピールをすると、警官が気づいてパスポートチェックをしてくれる。
トルクメからの入国時にオシュ国境からの出国登録をしておいてくれたおかげなのか、荷物検査なしで出国手続き終了。ウズベキスタンで撮った写真を見せて “O’zbekistan Good !!👍👍” といえば、たいていのオフィサーは笑顔で喜んでくれるのだ。
つづくキルギスの入国は、イルケシュタム峠の時のようにはいかず、それなりに荷物検査がはじまるが、タンクバッグとパニア片方、moskoのドラムバッグの中をちょっとだけ覗いて終了。入国スタンプをもらい無事再入国。出国/入国共にお金はかからなかった。
No carnet
No covid
No fee
No Carnet
No Covid
No fee
Face photo
Minor inspection
時間が遅いからか、両替おじさんは寄ってこなかったので 越境後すぐの場所にある両替屋でウズベキスタンの余った紙幣をキルギスのお金に交換する。今までの経験上、国境にあるこの手の両替屋は意外にも良心的なレートで交換してくれることが多い。
夜のOsh;オシュ の街を通り過ぎる。以前オシュに滞在した時のドミトリーに行こうか悩んだけど、なんかめんどくなってしまった。
そのままやや北に進んだ辺りで、メインの道路から脇に入る道を見つけ、その先の藪の中でテントを張った。深夜、たぶん近くにあった工場で働いているであろう男が数名近くにやってきて、なにやらスコップで地面をずっと掘っていたのと、彼らが去った後はバカイヌ共との闘いが勃発してあまりよく眠れなかった。
Uzgen;ウズゲンの歴史建築物
ともあれ何事もなく朝を迎える。ここからはキルギスの首都Bishkek;ビシュケクを目指して走っていく。
オシュから北東へ約50kmくらいのところに、Uzgen;ウズゲンと呼ばれる歴史建造物群のある場所があるみたいだったので、まずはそこに寄ってみる。ウズゲンは中央アジアのチュルク系民族国家の中で、最初にイスラーム化した集団といわれているカラハン朝の主要都市だ。タジキスタン編で度々登場したサーマーン朝を滅ぼして、以後ソグドの地(あるいはマーワラーアンナフル)のテュルク化に大きな影響をおよぼしたイスラム王朝だ。
ウズゲン・ミナレットはそんなカラハン朝の時代 11世紀の終わりから12世紀はじめにつくられた。
表の煉瓦の模様は独特。
現在塔の高さは27.4mだけど、元々は40mあったらしい。1902年の地震で塔上部が崩壊したあと、1923年に修復されながらも当時の高さには至っていない。
これは 3 Mausoleum とよばれる3つの霊廟が連なった建物で、数年前に撮られた写真には写っていない囲いのようなものが周りに建てられていた。保護のためなのか、修復用の足場なのか、見た目的にはちょっと残念。
向かって左側から、
North Mausoleum(1153年)
Middle Mausoleum(1012-13年)
South Mausoleum(1187年)
霊廟入口のアーチ。
ゲート脇の彫刻。
Middle Mausoleum 内部、
South Mausoleum 内部。
キルギスの英雄 マナス像。
Saly-Chelek n湖へ向かう
ウズゲンの歴史地区を見て回っている時に、たまたま声をかけてくれた現地の考古学者の人と話している時、キルギスの北西部にある湖を教えてもらった。バイクでも行けるかと聞くと、行けるというので、まぁとりあえず行ってみることにした。
現地人の「行ける」は、「とりあえず道はある」と同義なことがあるので、無理そうだったら途中から引き返そうと思って出発する。
大陸の中心 キルギスの丘陵地を進んでいく。
廃車両の脇でたむろする馬。
“Bridge over the Kok-Art River From The people of Japan” というような意味の看板。Jalal Abad を南北に流れる Kugart川にかかる橋、手前にあった。
途中、数十キロは未舗装路が続く。
褐色の景色は、暑さを助長する。
野良ウシと野良ウマが干上がりそうな川の水に集まる。実際には野良じゃなくて持ち主がいる場合が多い。
後から写真を見返すと、小さな川は何の川の支流なのかもよくわからなくなってしまう。
鉄道の発達しているウズベキスタンやキルギスでは、度々線路を横断する機会がある。
貯水池に集まるウシたち。
資源に恵まれたキルギスならでは、石炭鉱山の黒い丘が道脇に積みあがっている。
だんだんと車両密度の希薄な道になっていく。
キルギス北部へ向かうメインの道路からは外れ、北西部へ伸びる国道へと入っていく。
さぞ道が悪いことだろうと思っていたけど、途中までは普通の舗装路で、小さな村も点在していた。湖まであと1時間ほどかというところで休憩。
湖は生物保護区の中にあるということで、そこに続く道の途中にはゲートがあり止められる。
「16時までしか通れない」と言われ、まじかよ と思って困り果てていると、現地人のおっちゃんが警備員に口を効いてくれて通ることができた。この辺はラッキーだなぁと思う。
そこから先は予想通りダートになり、ところどころデカめの砂利や急な坂もでてくる。
とはいえ、タジキスタンのアラウディーンを思い出せば ノー問題だ。
キルギスの山岳地帯はたいていこの時期午後になると雲に覆われてくる。
標高はだいたい2,000mほどのところまで入って来た。まるで日本の森の中のような場所もあって楽しい。
馬で上っていく現地の青年たち。
そんなこんなで辿り着いた Sary-Chelek 湖。天気は見ての通りながら、着いたーーー!感はある。
入口の雰囲気だと野営はできないんじゃないかと思っていたけど、管理者のような人に頼んだら少しだけお金を払ってテントを張らせてもらえた。
目まぐるしく動く雲と、その間からこぼれる夕日をみながら、簡単な夕飯をつくる。
8時過ぎた頃には轟轟と雷が響いて雨が降りだしたので、テントに籠ってフライを打つ雨音を聞いていた。ここは野犬がいないし涼しくて快適だった。
つづく