【Islamic Republic of Iran episode15】凄まじく砂の舞う Sheikh Safi al Din 廟

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

過去最大規模にブログの更新が遅れていてまじでどうしようという感じの今日この頃ですが、イランではイラン暦の新年 Now Ruz; ノールーズを迎えたのに加え、Ramada;ラマダン月も始まったことでどこに行ってもお祭り状態です。

Shrine of Sheikh Safi al Din Ardabili

朝、一度サベール氏の職場を訪ねて、チャイをご馳走になる。やはり65%は何言ってるかわからん。

さて、アルダビールの街の中心にある、とある廟を訪ねよう。この日は街中砂嵐がひどく、まともに目を開けてられないレベルだ。

空に舞う砂嵐の中を沢山のカラスが泣きながら飛んでいく様子は、さながらヒッチコックの伏線のような雰囲気。

城壁のような壁の一部が入口になっているようで、そこから内部に入っていく。

メイン入口がよく分からずおろおろしていたら、たまたま通りかかった地元のじっちゃま Said 氏が声をかけてくれた。流暢ではないものの、英語で意思疎通ができる。入口を教えてくれて、そのまま内部を案内してくれるようだ。

シェイク・サフィー廟は14世紀の現イランで興たスーフィズムを中心とするサファビー教団の祖 Sheikh Safi al Din の死後、その息子によって建設された廟。
後に力を増した教団は16世紀にはいってサファビー朝の建国にまで至る。

何度も修復を繰り返されているものの、一部700年前の構造物も現存している。

複数ある門のあるうちのひとつ。無色のムカルナスと後世に付け加えられたらしい碑文。

Cheleh Khaneh とよばれる空間は当時瞑想に使われていたらしい。Cheleh は40という意味で、この場所で40日間祈りと瞑想をしながら質素に過ごすことで教義の一部をまっとうしていたらしい。

メインの中庭部分にでると、砲弾型のような、特徴的な建造物が見える。これが シェイク・サフィー廟のメインの建造物だ。

Jannet Sara と呼ばれる部屋に入ってみる。Jannet とは、アラビア語でイスラーム世界における天国を表す。

8角形の美しいホールの屋根は、カジャール期に修復されたもの。

そして床には美しい巨大なカーペットが敷かれていたが、これは2000年代に入ってからイラン人女性達によってリメイクされたもので、オリジナルは元々廟の床面に敷かれていた。世界で最も古く、そして大きく、歴史的に重要とされる件のペルシャ絨毯は、現在ロンドンのV&A Museum に所蔵されている。

さて、メインの廟内に入っていく。
空が砂で茶色いので、目に良いコントラストを失ってしまう。そんな時のドラマチックトーン逃げ 一択。

Ghanadil Khaneh とよばれる空間。

イメージ色としては全体を黄金の光で囲まれるような感覚になる今まででに経験のない装飾。
この部屋の床面に当時敷かれていたのが、先ほど言及した現在ロンドンにある絨毯だ。

2階構造になっていて、それぞれのフロアに6つ、計12の小部屋に分かれていた。

それぞれの小部屋の天井部分の装飾も各々異なる。青×金ないし赤×金を基調とした緻密で圧倒される装飾に満ちている。

正面の装飾も圧巻だ。

後から見るともはやどこをどの角度で撮ったのか自分でも分からなくなるくらい画角が装飾で埋め尽くされる。

ムカルナスの3次元的な複雑さに、

これでもかとう精緻な彩色が相まって、ここ以外では味わったことのない雰囲気に溢れている。

さらに奥に安置されているのが、Shekh Safi al Din その人の棺だ。棺の装飾にも注目である。手前には彼の息子、そしてその息子と 棺が3つ安置されていた。

別の個室に安置されるこちらの棺は、更に時代が遡り、サファビー朝初代国王 イスマーイール1世のもの。

シェイク・サフィーの棺とは全く雰囲気が異なるけれど、こちらの装飾も凄まじく手が込んでいる。

他にも、サファビー朝のハーレムに所属していた女性たちの棺や、ほかのサファビー朝の人物達も多くこの廟に埋葬されている。
14世紀に建設されてから、この建造物がサファビー朝期を経て 時代を追うごとにその重要性を強めていったのがよくわかる。

さらに別の空間、Chini Khaneh.

Shah Abbas; アッバース1世の時代に建設が指示されたとあるけれど、内部にいた学芸員の人の説明曰く、この荘厳な装飾の奥に見える素煉瓦の部分は700年前のものだとか。

くどいようだけど、8か月中東を彷徨ってもこれは初体験と断言できる独特な装飾だった。

各ムカルナスを構成する平面それぞれに違った色、違ったアラベスクが描かれていて、全部個別でノートに写し取りたいくらいそれぞれが美しく、デザイン性に溢れている。

ドームを真下から、と その下部にかけて。

基部のタイルワークは新しく見えるけれど、400年ほど前 つまりアッバース1世による指示の時なのかな、当時のオリジナル。

Chini Khaneh の名の由来か、この部屋には当時中国王朝からサファビー朝に贈呈された中国陶器が沢山展示されていた。

ってなわけで、あまりの装飾の美しさに目も脳も追いつかなかったけれど、ここはイランに数ある建築物の中でも個人的におすすめしたい場所のひとつだと思えた。

Said 宅にお邪魔して

午後になって砂の勢いは更に増してきやがった。水中ゴーグルにN95マスクが欲しいレベルだ。

オマーンやサウジアラビアでも度々砂嵐に襲われたことはあったけれど、街中がこれだけ砂に覆われるのは初めてだ。ギャグなの?と突っ込みたくなるレベルで視界不良。この日出発じゃなくてよかった。

Said 氏に誘われて、廟を見終わったあと彼の家にお邪魔させてもらうことに。最近、基本誘いを断らない術が身についてきた。
え?まじ?あー行く行くー というノリで全然OKである。

Said邸。立派な石造りの家だった。

Said 氏との話は、心底興味深かった。現在のイラン政府に関する事、イスラームとはなんなのか。
1,300年前に始まった習慣や風俗を 今なおどのレイヤーで守っていくのか。

端的な結論としては、「良い人間であるために、宗教は必要ないよね」という同意に至った。
イラン人の年配男性からこういった意見を聞けるというのは、当初かなり意外だったけれど、今では納得がいく。

別れ際、彼の職場によって、何か物事のプロセスを決める時の方法について教わった。大学を卒業して、分院長になってからは 人から何かを教えてもらうという経験が激減したなぁ とこんな時に思い返すもんだ。
国は違えど老者から何かを教えてもらうという時間に 何かしらの心地よさを感じたのはそのせいかもしれない。

おまけ

アルダビールの側溝を闊歩するニワトリ。お前どっから逃げてきたん?

つづく

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