【Islamic Republic of Iran episode16】北西イラン最大の都市 Tabriz; タブリーズへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

アルダビールを出発して、次の大都市 タブリーズへ向かいます。
ニュースではサウジとイランが国交を正常化したというビッグイシューが飛び込んできましたが、はて 中東情勢は一体どこに向かっていくんでしょう。

ここまでのルート

Tabriz;タブリーズ へ

生憎の雨の中出発。アルダビールもタブリーズも、標高は1,300m台の高標高都市なので、それらを結ぶ道もなかなかに寒い。

基本曇天に覆われて雨が降っていたけれど、時折進行方向に晴れ間が広がる。

道の向こう、地面から無数の蒸気が立ち上がっているのが見えるだろうか。神秘的な光景だった。

途中通り過ぎる街のRoundabout にて。戦闘機のオブジェ。

晴れたり曇ったり、峠では雨がシャーベット状になって降ってきたりとはっきりしない天気だったけれど、タブリーズに近づくにつれて完全に青空が広がってきた。

軽快な高原道路をひたすら西に進んでいく。

タブリーズの街に着いたようだ。

Tabriz 巡り

タブリーズはイラン北西部、イースト・アゼルバイジャン州の州都でイラン5大都市のひとつだ。見どころは沢山あるわけだけど、例のごとく可及的にバイクで巡ってみよう。

Arg e Alishah

この日、なにやら行進が行われていた。警察の協力のもとだったから、デモとかではなさそう。

一行はそのままこの巨大なモスクの敷地内に入っていった。

イスラーム行進(?)の影響で同敷地内にあるこの遺跡に近づけない感が半端なかったけど、カメラ持ってうろうろしてたら係員のひとりが内部に通してくれた。
それでも遠くから見ることしかできなかったけど、概観を遠くから眺めるだけで十分ではある。
これはイルハン国の治世、1318年から1339年の間に築造された城塞で、構造的な欠陥や地震の影響で崩壊を経るもロシアーペルシャ戦争では軍の拠点として利用するために修復されたりして現在に至る。

夜はこんな感じにライトアップされる。

Municipality Palace of Tabriz

新しい街に着いた翌日、朝からテネレで散策を開始する時が一番楽しいかもしれない。

1930年代、パフラヴィ―朝期につくられたタブリーズの庁舎みたいなもんだろうか、自治宮殿って直訳になる。
内部にはいれば正面の噴水から建物にむかっての美しい景観が見られるけど、この日は天気もそんなによくないし、外から眺めるだけにした。

Blue Mosque of Tabriz

イランでは特にバイクの管理に気を付けるよう色んな人から喚起されてきたけど、今のところ目立ったイタズラの類はない。まぁ見た目のインパクトは激しいから、そう易々と触る気にもならないとは思う。

やってきたのは  通称 “タブリーズの青のモスク” とよばれるモスク。

メインのドームは長い回廊で囲まれている。

モスクの建築は1465年。カラ・コユンル(黒羊朝)の5代国王 Jahan Shah; ジャハーン・シャーの治世の頃。

青のモスク なのに全然青くないじゃん と思われるかもしれないけど、現在ではほとんど失われてしまった青いタイルで、当時は全体が覆われていたという。

正面入り口に来ると、当時の様子を少し想像できるくらいに青い装飾が現存していた。

少しメタリックがかったようなコバルトブルーは、管理人が大好きな色なんだが、これで全体が覆われていたとなると、一体どれだけ美しかったんだろうか。

室内。

内部のタイルワークは一部がオリジナルで一部が修復。まだまだ作業が進行途中なのか、新しい石膏が露出している部分も多い。

モスクの南側にはメインのドームにくっつく形で王室用の霊廟が位置している。その接続部分にあたるアーチに残る当時の彩色。

青と金のコラボレーションはラピスラズリの美しさのそれで、この霊廟室内も当時はこの色で一面が覆われていたという。

南側のドームに、当時のミフラーブが残っていた。暗い+窓から光 パターンが一番写りが悪い。

ミフラーブ脇には階段が地下につづいていて、墓地となっていて、Jahan Shahと彼の妻が埋葬されていたけれど地震によって棺は破壊されてしまった。

南側のドーム内部。
1779年の大きな地震の影響で、メインのドームの霊廟の屋根は崩壊したらしいけど、1970年代に修復されている。

美しいタイルワーク。まるで十字架のように見えるアラベスクの文様は、火・水・空気・土の4元素を崇拝するゾロアスター、あるいは更に遡る古代アーリア系のミトラ信仰に由来するという。

多くの人はこの文様をみてハーケンクロイツないし卍(manji)を連想するかもしれないけれど、この鍵十字も古くは先の4元素と、特に火=太陽を中心として4方に放射する様子を顕したミトライズムを起源にしているという。モスク内の学芸員Amir氏 が熱心に説明してくれたのは、このミトライズムを起源にする文様は7,000年に及ぶ歴史を持っていて、ハーケンクロイツとは全く関与がないという事だった。

ただ、ミトライズムがヘレニズム期にヨーロッパ、殊更古代ローマに輸出されていったこと、そしてイエスの処刑方法はローマ式の磔刑だったことなんかを考えると、巡り巡って枝葉の幹はひとつなのかもしれない。

Tabriz Firefighting Tower

ここは Tabriz Firefighting Tower.

イランで最古の消防署だ。

Tabriz Grand Bazar

Jameh Mosque of Tabriz の入口にやってきた。

入口を通って内部へ入っていく。通路片手にはJameh Mosque の一部と思わえる壁面と素敵な扉たち。

この日 Jameh Mosque 内部には残念ながら入れなかったけど、窓から内部の写真をかろうじて撮ることができた。
列柱間のようにアーチが連続するモスク内部はとても特徴的だ。

通路の行き止まりはこんな感じの門になっていて、

内部に入ると壮大なバザールが始まる。
これが、世にも有名なタブリーズのグランドバザール。世界遺産にもなっている。

世界最大かつ中東最古のバザールといわれていて、店舗の数は6,000店舗以上にもなる。

区画ごとに絨毯、食料品、金物、衣類、、、、と店の内容が変化していく。

タブリーズのバザールが他の都市のバザールと比して特別なのは、他の都市のバザールが観光地化の傾向を強めるのに対して、タブリーズのそれは未だに現地のトレードの中心となっている点だという。日常的な、そしてローカな需要と供給を仲介する重要な場所なのだ。

アーケードから出ると、バザールを囲う建物の外観がよくわかる。

 

 

バザールを歩いていると、時々こんなような巨大な木の扉を目撃する。これは、Caravan Saray; キャラバンサライ という商人達のための隊商宿への入口で、ラクダや馬が通れるように巨大な扉になっている。巨大な扉に小さな小窓のような扉があるのは、夜間に大きな扉が閉鎖された後に人の出入りを助けるもので、当時のセキュリティに対する工夫なのだ。

キャラバンサライ内部は、こんな感じの中庭のような構造で、周囲を2階建ての建物で覆われている。当時はこれが商人達の宿になっていた。タブリーズのバザールにはこのようなキャラバンサライが全部で14もあるというから、その巨大さが窺える。

Ali との出会い

Jameh Mosque から グランドバザールへの通路にあった食事屋脇に、ややADV感のあるバイクが停まっていたので眺めていたら、中から持ち主のAliがでてきた。この後ここで夕飯を食べて、もしも都合があえば後日一緒に走ろうかという流れになった。

同じくレストラン前にいた黒猫。モフって猫チャージさせてもらった。ほんとに黒猫ってなんでこんなに最高なんだろ。てか定期的に野良猫で猫チャージしないと死ぬっぽい、これこそおれの最大のNomadi Duty だわ (?).

タブリーズの夜ぶらつき

夜、適当に街をぶらつく。タブリーズの街には古くからある8つの門がある。これはそのうちのひとつ Nobar Gate.

内側に入ってみるとなんだか原宿みたいな雰囲気で、Tagha Biett という名前の通りになる。道の両サイドにはモダンな店がずらりと並んでいて、通ってる人も若者が多い。

タガ・ビエットを抜けて市内にある市場へ。

こいつもステッカー詐欺個体だった。

概ね店は閉まって静まったタブリーズの夜。

なんてことない夜の風景。

これはまた別の門、Gajil Gate.

タブリーズの人々は95%近くがアゼルバイジャン系の民族で、言語もトルコ語と同一のオグズ語系アゼリー語を話す。管理人にとってはかろうじて今まで聞いてきたペルシャ語と響きが違うのが分かる。人によってはそれを Iranian Turkish といったりもするけど、まぁこの辺の言語に関しては方言も含めてかなりシームレスに多様性が激しいようだ。

現在タブリーズを含むイースト・アゼルバイジャン州、ウルミアなどのウェスト・アゼルバイジャン州、そして先のアルダビール州(つまりは北西部イラン)は現アゼルバイジャン共和国と共に元々カジャール朝の領土だった。
第2次ロシアーペルシャ戦争の和平協定 トルコマンチャイ条約によって、その北部がロシア帝国に割譲され、アゼルバイジャンは南北に分断されたのだ。その南側こそ、今いるイラン北西部にあたる。なので彼らのアイデンティティはペルシャ帝国にはない。
※イラク人がバビロンに、そしてペルシャ人がアケメネス朝に 強くそのアイデンティティを帰属しているなぁと感じることがあることに比して という意味合いで。

ほっつき歩いているところを誘ってくれて、ジュースとチャイまでご馳走してくれたNavid とその仲間たち。
上述の件に関して、現南アゼルバイジャンに住むアゼリーとしてのあなたのアイデンティティはどこにあるの? と、後にNavidに連絡したところ、あんたは考古学者かぃ と突っ込みたくなるウルトラ長文が返ってきたので現在解読中である。

雨も降ってきてなかなかに寒かったので助かった。バラの花から抽出した少し酸味の強い紅茶。クソ、名前聞く忘れた・・・

おまけ

タブリーズで日本から持参したフロスがなくなったので、薬局で新しいのを買った。Tabriz’s dental floss!

つづく

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