【Islamic Republic of Iran episode11】テヘランでの日々~3. Saaddbad Complex にて 世界旅大先輩の残像を求めて

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

今回は、テヘランの北部に位置するTajrish; タジリッシュ というエリアを訪問した際の記録になります。

Tajrish へ

またまた地下鉄に乗って、Tajrish駅までやってきた。Red Line(というのかは知らないが、路線図で赤い路線だったから勝手にそう呼んでいた)の終着駅にあたる。タジリッシュ駅はテヘラン地下鉄の駅の中でも最大規模で、大江戸線並みの深さまで巨大なエスカレーターがつづく。

SIMのチャージがATMでできるというので、駅のATMをつかってやってみた。ローカルSIMの番号を入力して、キャリアを選択する。
結果、どうやら管理人が買ったSIMはちょっと特殊なようで、ATMでのチャージができなかった。

タジリッシュの街の様子。

ここは北部アルボルツ山脈の麓ということもあって、テヘランの中でも避暑地的なポジションにあたるらしい。

街の一部には高級モールや高級住宅街、現イラン大統領の邸宅もあるということだけあって、テヘラン中心部より更に洗練された雰囲気を感じた。

Saadabad Historical Complex

坂を上り、街の一番高い位置に Saadabad Historical Complex がある。元々はカージャール朝時代に築かれた8000m²にも及ぶ敷地に、後のパフラビー朝時シャーによって築かれた多数のミュージアムや宮殿が混在したエリアになっている。
ゴレスタン宮殿の時と同様、入口で複数ある施設の中から自分が見学したいものを選び、発行されたQRコードをそれぞれの施設入口で提示するシステムだ。外から眺める分には、どれかひとつだけチケットをとれば全て見て回ることもできる。

Omidvar Brothers Museum

今回の訪問で一番訪れたかったのがここ、Omidvar Brothers Museum だ。

あまり広く知られてはいないけれど、1950年代にイギリスのMatchless製バイクで世界を7年間も旅したイラン人兄弟のミュージアムなのだ。バイクで世界を旅している管理人からしてみれば、大大大先輩ってところだろうか。

後ろのシトロエンは、7年間のバイク旅の後さらに3年この車で旅をした際に使用されたもの。

当時の携行品の一部が展示されている。

なんと、カメラはエギザクタじゃん!管理人が持ってるのとほぼ同じモデルだ。

館内に展示されていた写真の一部を紹介したい。

パリのエッフェル塔にて。

日本にも来ていた!奈良の大仏前にて。

カナダとアメリカの国境で検査を受ける様子。今も昔も変わらない国境のめんどさ。

サウジのルブアルハーリー砂漠でスタックしている様子。あぁ、おれもそこで事故ったよ···

中央アフリカにて、ピグミー族と。

大量のゴリラとチンパンジーの頭骨と。

シトロエン車内でチンパンジーの子供と。

インドネシアからオーストラリアへの船に乗り込む。

Jivaro族長とAbdullah Omidvar氏。

他にも、兄弟が世界から持ち帰った沢山のコレクションが展示されていた。こんなのバイクで持ち運べないだろ、と思って聞いてみたら、イランへ輸送していたらしい。まじか、、、バイク旅ということを理由に各地でのお土産を断念している自分になぜか罪悪感が湧いてきた笑

何とも旅情が溢れて止まない当時のダイアリー。こんな素敵な表紙、ずるいぞ!

彼らのルート。

弟のAbdullah氏はつい数か月前に亡くなったとの事。彼は旅を通してチリに移住し、晩年はずっとそこで暮らしていたらしい。外に1台しかバイクがなかったのは、Abdullah氏のバイクは彼と一緒にチリへ持っていかれていたからだったのだ。

兄のIssa氏は存命で、毎月このミュージアムを訪れているらしい。もしかしたら、北西部を旅してテヘラン周辺に戻ってきた時会えるかもしれない。

Green Palace

さて、個人的本命はOmidvar Museum だったのだけど、ここはパウラヴィーの宮殿だ。

Reza Pahlavi の夏の宮殿だった Shahvand House 通称 “Green Palace” にやってきた。

宮殿の外観は独特の緑色を帯びたマーブル文様の石造りで、全体的に緑のオーラを発しているのでGreen Palace と呼ばれる。

グリーンパレス内の様子。こんなにキラキラな寝室でよく眠れたんかな。

ダイニングには壁裏や天井裏に音響設備が仕込まれている。ラジオやアンプリファイアはなんと日本のKenwood製がつかわれている。

グリーンパレス裏にて。半袖なのは完全にミスで、普通に寒かった。

ここは当時テヘランで一番高い場所だった。今でも南側に街を一望できる。

広大な敷地内を歩く。道の両脇には多数のミュージアムが並んでいる。

あまりにも広大なので定期的にマイクロバス的なのが通る。

イラン神話の英雄 Arash Kamongir; アーラーシェ・カマンギール の像。

Complex 内にある複数の門のひとつ。

亡きMohammad Reza Pahlavi の子孫たちは今なにを思うのだろう。イラン国内で厳格なイスラーム法学の断固追行を擁護する声は明らかに少ない。秘密警察が跋扈する中誰も声を高らかにはできないものの、皆が革命を望んでいるように思える。
ややもすればアメリカかぶれと批判される一面もあったパフラヴィ―朝ではあるものの、当時のイランのパスポートは現在の日本のそれ並みに強く、イラン・リアルも非常に強い通貨だった。それが今はどうだろうか。
元来スーフィズムを心の習わしとしてきたイラン人にとって「厳格なイスラーム」が成すものは「よき人であること」とは逆行するものだと感得されるのは当たり前のように思える。

と、思うと、アメリカの属国 と揶揄される日本の一面というのも、一重に悪いようにしか見てはいけないのかもしれない。

Tajrish Bazar

Historical Complex を去ってタジリッシュの中心部へ戻る。途中、こんな近代的なモールもある。

Imamzadeh Saleh.

さて、タジリッシュにもかなり大規模がバザールがあったので、せっかくだから内部の様子を見てみた。

バザールの入口で小麦の飾りを売る男性。イラン暦では3月の終わりごろ(今年は3月21日)がNoo Luz; ノールーズ と呼ばれる新年になる。この小麦の飾りは新年のお祝いに使うもので、バザール内でも沢山みかける。

まぁ置いてあるものは似たようなもんだけど、配置の仕方とかなのか、何度みても楽しい。

場所によって微妙に雰囲気が違うんだ。

バザールの小道を進んでいくと、開けた場所にでた。スクエア上の広間には中央とそれを囲うようにあらゆるものが整列されてる。

これも飾るのかと聞いたら、どうやら燃やして香りを出して魔除けに使うらしい。金魚も売られていて日本の屋台祭りを思い出す。

青い石に目の模様がはいった独特のデザイン。今まであまり見かけなかったなぁ。

テネレにぶら下げられそうだし、100円くらいだったので小さいのをひとつ買った。店番の少年。

バザールのコリドーの様子。

どこもバザールというのは、一部古い建物の間に屋根を渡して拡張されていく傾向があるようだ。イランは中央アジアとアラビア、ヨーロッパを繋ぐシルクロードの経由点を多数含んでいる国土というのもあって、古い都市を中心にバザールが発達している。

目に珍しく見て楽しい食べ物だけど、正直なところ日本人からするとスイーツ以外の食べ物は「是非食べてみたい!」とはならないものが多いと思う。まだまだ知らないだけなのかもしれないけれど、どれも単調で強い味で、日本のダシが聞いた下町のせんべいにすら及ばないというのが本音ではある。

つづく

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