こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
アンマンから北西に約30kmほど行ったところに、サルトという都市があります。
つい最近の2021年に世界遺産にも登録されたこの街に行ってみました。
Palestine Exchange にて
アンマン市内で知り合った Yahya氏に、レートの良い両替屋はないかと聞いて教えてもらった Palestine Exchange が、ちょうどサルトへの道中にあったので立ち寄った。ここで少し多めのUSドルを手に入れておく。
これから入国予定の国ではATMも銀行送金も利用できないから、ヨルダンにいるうちに必須の行動だった。
青いドームが美しい、アンマン郊外のモスク。
As Salt の街
山の斜面に家々の建ち並ぶ様子が見えてきた。
サルトの街への入口にあたる道路を進んでいく。
これがおよそ街の概観だろうか、世界遺産に登録されたからか、街へつづく道はかなりの交通量だった。
道の路肩は路駐の車で埋め尽くされているし、駐車場はどこにあるのかよくわからんので、とりあえず見つけたスペースにバイクを停めて練り歩きスタート。
こういうときバイクはそこらへんに停める事ができていいね。
黄色い壁面が特徴的な建物が多い。
個別の建物の歴史は、ガイドをつけて詳細な説明を聞かないと分からないんだろうけど、概ね黄色い壁を持った古そうな建物はオスマン帝国時代のものの名残らしい。
サルトのスーク Hammam Souq と Hammam Street.
Hammam; ハンマームは日本でいうところの銭湯のような場所を意味していて、ローマ支配時代の浴場遺跡があったことに由来するのかもしれない。
Salt Grand Mosque.
幸い快晴に恵まれて、黄色い壁が青空に映える。
生活感を感じる路地。
とりあえず無暗に歩き回ってみる。坂だらけの街だから、バイク仕立ての恰好で歩き回るのはけっこう大変だ。
上まで歩いてきて、何もなさそうな雰囲気だったら方向を変えてみる。
坂の途中に八百屋。
さらに坂の上までのぼってくると、墓地があった。
Ezariya Salt 墓地は丘の高台にあって、ここから街を一望することができた。
墓地のすぐ近くにはモスクがあって、まるで日本の寺と墓地のように感じたけど、檀家のような関係性があるのかは不明。
長らく打ち捨てられてそう綺麗な色のW114.
いわゆる「町全体が世界遺産」といわれるヨーロッパの街並みのような美しさは正直ないけど、
かつてヨルダン川東地域で最も栄えたといわれる街が、後にアンマンにその座を譲り やがて日常の中に歴史を埋没していった静かさを感じることができる街かもしれない。
なので、煌びやかさというより、
古くからある街に普通に今も生活があるのを感じることができる。
クソガキどもがしつこく付いてくるなんて事にももう慣れてきたけど、自分が彼らくらいの時もっとクソガキだったことを思い出せば大抵のことはどうでもよく感じる。
黄色い壁は、いわゆるウェストバンク(ヨルダン川西地域)由来の職人によるもので、いくつかは19世紀後半~20世紀初頭にかけて建てられている。
街は階段だらけ。
生活感。
特徴的な木の扉が両サイドに並ぶ Hammam ストリートの一画に戻ってきた。
階段の向こうとこちらで織り成されるサルトの景観。
サルトの街もキリスト教とイスラム教が共存している。
St. Geoge’s 教会周辺の雰囲気。
12月の後半で、気温は日中で15℃くらいまであがっただろうか。標高は900~1,000m前後あるので日が傾いてくると冷えて来る。
家や商店の壁と、ミナレットが不思議とマッチする。
Hammam Souq に見える教会。
また別のスーク路地。
スーク内の八百屋。
というわけで、サルトの街の魅力を存分に味わいアンマンに帰るのでした。
帰りの一景
サルトからアンマンへ帰る途中、
夕日が強く 一帯の農業地帯が赤く染まったと思ったら あっという間に沈んでいってしまった。
そんなわずかな夕日タイムで、道の向こうのモスクがいい雰囲気に染まっていた。
チェーンが新品になって絶好調のテネレであった。
そして荷物全部下ろすとやっぱ軽く感じる。
おまけ
アンマン滞在中の食事の一部抜粋紹介。
ケバブとシュワルマ&アラビックサラダ。
アンマン市内で人気の Hashem 食堂にて卵とポテトが混ざったやつと小さいコロッケみたいのがファラフェル(実際にはフィラーフェと聞こえた)。
これで350円くらいと安さが人気のHashem食堂。
首都ラーメンシリーズ ヨルダンVer.
「いや、なんかちょっと違う・・・」系ラーメンであったことは 御覧の通りである zannen!!
つづく
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