【Kingdom of Saudi Arabia episode 16】マダイン・サーレハ Madain Saleh サウジが誇る巨岩の遺跡群

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

世界遺産マダイン・サーレハの遺跡を見るためやってきたアル・ウラの街。
適当な場所でテントを張り迎えた翌朝。

Hegra 1 day tour

朝。
遺跡のサイト内へ自走で入ることはできなくて、バスに乗って遺跡を巡るということなので、8:30のバスに間に合うように撤収する。

指定の駐車場に停めて、このバスでサイト内に入っていく。
こういう時バイクだと荷物の管理が難しい。サウジアラビアは想像以上に治安がいいし、こういった主要な観光地での盗難のリスクはかなり低いけど、施錠していない荷物の上からディスクロックをかませておく。

いざ、Hegra 遺跡サイト内へ。

Qasr  Al Farid

果てしないような砂漠に、奇妙な形の巨岩がいくつも見える。
クルアーンにおいては Al Hijr; 岩だらけの場所として言及されているのも納得の景観だと思う。

ところでクルアーンのその節においては、Al Hijr の地は「サムード人」の土地とされている。

当時この地に住んでいたサムード人が偶像崇拝に陥ったということで、預言者Salih; サーリフ が遣わされたけど、それを無視したサムード人は強烈な嵐によって滅ぼされたという。
Madain Saleh はこのサーリフにちなんで「サーリフの街」という意味があるらしい。
この「神の遣いをおざなりにして滅ぼされる」系のストーリーは旧約聖書に多い。
実際サムード人は紀元前715年のアッシリア(サルゴン2世期)の碑文に登場するけれど、上述のクルアーンの伝承によればそれよりも遥かに昔から北アラビアに住んでいたことになる。そしてこのサムード族の唯一の生き残りが、通過して来たタイフの街のタキフ族だという記載もみられた。
う~ん、いろいろ繋がってくるようなこないような。

さて、そんな「岩だらけの地」に突如として現れるモニュメント。
マダイン・サーレハの中でも最もアイコニックとされるこのモニュメントは未完成の墳墓と考えられていて、下1/3のノミ痕からこの彫刻が上から下方向に行われていた事がわかる。
正面観で下段に4本の柱があるのはこのモニュメントだけだという。

遺跡の作り主は、ヨルダンのペトラで有名な古代のナバテア人。1世紀頃なので約1,900年前のものということになる。
下段のアーチ中央には鷲の像があり、ガイドさん曰くナバテア人の崇拝の対象だったとのこと。

上段の階段のような彫刻は、”After Life” 死後の世界へといざなう階段なんだという。
ここまで唯一無二の観光資源であり、そして2019年以降はサウジ政府も正式に観光を奨励しているにも関わらず、敬虔なムスリムはここを呪われた地として忌むという。

Qasr Al Bint & Qasr Al Sanea

遺跡だけではなく、周囲の雄大な景観もマダイン・サーレハ訪問の際には留意したい。

ほとんど90°に近い断崖の一面に掘られたモニュメントが再び見えて来る。

こちらはファサードに2本の柱。

やはり頭部がなくなった鷲の彫刻が見える。
鷲の下に顔と、その顔を取り囲むようなヘビが彫られているのも特徴的で、これは墳墓内に侵入者が入らないように という警告の意味合いがあったらしい。
古代メソポタミアのギルガメッシュ叙事詩に登場する 「フンババ」にその由来があるとも。

隣接するこの墳墓も、ほとんどのデザインは同じに見えた。
フンババの顔やヘビの曲がり具合が少し違うのと、柱が下部までキレイに彫刻されているのが分かる。

Al Diwan

2つの巨大な岩によってできた自然の通路は、Al Siq と呼ばれ、神聖な地とされていた Jebel Ithlib に向かっている。

通路に入って両脇の壁面を見ると、そこにはナバテア人による碑文や、ラクダの壁画を見ることができる。
碑文の一部は1世紀よりもさらに古く、もしかしたら先述のサムード人によるものなのか??

墳墓モニュメントをミニチュア化したような祭壇も複数彫られていた。

Al Siq の入口右手にある大きな窪み、

ここは Al Diwan と呼ばれ、ナバテア人の集まりの場だったという。何かしらの儀式や、政治的な集会、大勢で食事をしたり 来客をもてなしたり。
Al Siq を通る風によって、常に快適な状態が保たれ、内部は約13×10m四方 高さ8mの広さがあり、3辺には大きなベンチ状の腰掛けが彫られているのが分かる。いわゆるトリクリニウム・スタイルだ。

Jabal Al Ahmar

複数の墳墓がひとつの山に掘られた Al Ahmarは、碑文から,とある人物の娘が彼女自身のためにつくり、そして代々彼女の子供たちまで永代にわたっての墳墓を拵えるためにつくられたらしい。
このことから、古代のナバテア人の間で いかに女性が重要視されていたかが分かるんだという。
そんな歴史的背景もさることながら、とりあえずこの巨岩にいくつもの部屋が彫られた様は圧巻に尽きる。

というわけで、今回のHerga tour ではこの4か所を巡って終了だった。
サイト内には他にも沢山の遺跡があるけれど、ツアーによってはサイト内で宿泊したり、もっと沢山のモニュメントを回るコースもあると思う。
管理人は今日中に別の街へ移動したかったので、ボリューム的にちょうどよかった。

途中の休憩所では紅茶やドライフルーツの試食なんかもできた。
お土産屋なんかも整っていて、一般観光であればいい買い物ができるかもしれない。

Al Ula 街角一景

Winter Park までバスで戻り、バイクを回収して次の町へ出発する前に、少しだけ街をうろついた。

実際には Al Ula の街というより、やや北にある旧市街的な場所なんだろうか?

廃墟化した家屋がいくつかある。

アル・ウラの街も、急速な観光地化への準備であちこち工事中だから、

いずれこういった建物もなくなるかもしれない。

街中のあちこちに大型の重機が出張っていた。

Old Town は完全に工事中で立ち入りできず、遠くから泥レンガが積みあがってできた家々を眺める。

Starbucks in Al Ula.

つづく

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