自分はどうやって生きていくんだろうか?

こんにちは、世界放浪2輪旅を目指す管理人です。

社会人として日々働くあなたは、今後自分がどうやって生きていくんだろうかって、考えるものでしょうか?

そんな10代のアイデンティティ・クラシスみたいなことではないけれど、
普通に生活していると、自分が本当はどうやって生きていきたいのかなんて日常の中にどんどん埋没していくものだし、もしそういった自覚があっても多くの場合は社会と折り合いを付けざるを得ません。

卒後は、目の前の仕事をこなすことに精一杯で、一刻も早く技術を身につけようともがくように仕事に勤しみました。ただ、経験が身につきある意味余裕がでてくると、ふつふつと自分はこのままに今の暮らしをつづけていくんだろうか、自分が人生を実現する上で優先すべきことは何なのだろうか、という自問が出てくるようになりました。
なにがきっかけだったんだろうか?
小さい頃から世界地図と昆虫図鑑を見比べて、ここに行けばこんなすごい昆虫がいるのか と、母親にブラジルを指さして「ここに行きたい」と言っていたのは覚えています。学生時代にマイ図鑑の作成をはじめ、そこに登場する様々な生き物の生態写真を自ら撮りに行く なんて妄想をしていたこともありました。
いずれにせよ、マンションを買って、ローンを組んで、子供が産まれて、、、ごく一般的な幸せ像を想像し、その未来に”今は”自分の幸せを投影することができないことに気づきつつあったのです。

行こうと思えば行くことができる、そのためのインフラもツールも現代は整っている。
それを仕事とか家庭とかを理由にやらないって選択肢は、いよいよ自分にはないんじゃないか?
至極自分勝手な話ですが、いま上っている梯子がどこにかかっているのか、その先になにを見るのか、
一度立ち止まり、梯子を降りる決断に 自分で自分を追い込む必要があったのです。

自分の中で不思議なくらい強い決意が生まれ、それからは自分の考えていることを周りの人たちに伝えることから旅の準備が始まりました。まさに、準備の準備段階。
当然、「はいそうですかどうぞどうぞー!」となるわけがない。

職業人としてのキャリアもそれなりの岐路に際し、
改めて思うことは沢山あります。
職業倫理、社会貢献、そして自己実現とか夢。
強くなりたいわけでもないし、尊敬されたいわけでもない。
社会的な名声なんてもっと興味ないし、貨幣価値にもあまり意義を見出せない。
ただ、”本当に価値あること”のひとつだと、信念をもてることを見つけられた という朧げな実感は、今後自分がどうやって生きていくのかを悩むあらゆる場面で、強靭な牽引力を発揮してくれるでしょう。

どうやって生きていくかなんて、何の意味もないことかもしれません。
そもそも生きていること自体さして意味がない可能性もあるわけで、花が咲いては散っていくのと同じようなもの。
少なくともいまぼくらが認識できる世界の中では、そうとしか言いようがないでしょう。
だからこそ、意味を見出すのも、見限るのも ぼくらの心次第というわけです。
漫然と梯子をのぼりつづけるのもあり、一度梯子を下りて一息つくのもあり、
ただし、自分ののぼっている梯子が、どこにかかっているのか考えないのは、今は愚かだと思うのです。