【Kingdom of Spain episode3】Tarragona; タラゴナと Peñíscola; ペニスコラを経て

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

バルセロナの街を去って、イベリア半島の南海岸に沿って南下していきます。

※この記事は2024年12月ごろのことを書いています。

Amin との出会い

バルセロナにいる時、路駐してたテネレのナンバープレートをみかけて、わざわざ待ち伏せして話しかけてくれたAmin.
バルセロナを出発するとき、交換していた連絡先にメッセージを送って、少しだけ再会することになった。
地元のバルに連れて行ってもらい、ちょっとしたバル飯をご馳走になる。

Amin のワークスペースも見せてくれるというのでお邪魔すると、これまた日本ではかなりレアな Montesa; モンテッサというスペインのバイクが。1980年代につくられた初代 Impala; インパラの復活版、Impala 2. 2ストロークの空冷単気筒。バカでかいファンネルがついてた。Amin はバイクの開発に携わってるようで、このImpala をモデルにした電動バイクのプロトタイプもみせてくれたんだけど、それはまだ公開前ということで掲載は控えようと思う。

そういえば Amin の家の近くで、こんなエンフィのパニアも発見した。
なるほどこういう取り付け方もあるんだな・・・ 日本に輸入されてないブランドの面白くて素敵な商品が きっと世界には溢れてるんだろうなぁ。

ジモティの集うバルと、素敵なワークスペースを見せてくれてありがとう。

Tarragona の街

しばらく西南西に走ると、Tarragona の街に着いた。

特に寄るつもりはなかったけど、海岸に美しい Roman Amphitheater of Tarragona があったので、思わず止まってしまった。
ゲルマン民族による侵略前のローマ帝国では、タラゴナが事実上ヒスパニア領の主都だったらしい。

すぐ後ろには 14世紀 アラゴン連合王国によって築かれた防御塔の Torre de les Monges; モンジェスの塔がみえる。

海岸線沿いにはスペイン国鉄の線路がつづく。

ということで、せっかくなのでタラゴナの旧市街にも寄ってみることにした。

南スペインらしい黄~赤茶系の外壁に囲まれた路地をのぼって、

旧市街の一番高台にまでくると、Catedral de Tarragona; タラゴナ大聖堂 が姿をあらわす。
1171~1334年にかけてつくられた、ロマネスクから移行期の初期ゴシック様式で、上空写真でみると巨大なラテン十字のバシリカになってる。

南西側を向く正面ファサードには、イベリア半島でも最大級といわれるバラ窓が輝く。残念ながら中には入れなかった。

カテドラルのある高台から、また違う方角へ路地を歩いていく。

知らない街を、ただあてもなく歩く。
誰にも気をつかわず、自分が満足するまで。これがどんなに贅沢なのか 本当に気づくのは日本に帰ってからだろうな。

時間帯と日の入り方、あと人が少なかったのもあるだろうけど、なんとなくタラゴナの路地は憂愁に満ちているような感じだった。

Ajuntament de Tarragona; タラゴナ市役所 と、

その前の広場を囲むカラフルな建物たち。
日本の市役所も、日本らしく木造の社寺建築にすればいいのに、どこも味気ない掘っ建てビルばかり。ヨーロッパの「古い建物をつかいつづける」という価値観が、戦災後の急速な復興で失われて、鉄筋コンクリートの圧倒的なコストパフォーマンスと、その無味乾燥なビルで働く方が実直っぽいという国民感情、そして災害対策への観点、、、全てがそれを難しくしてる。

路地に突如あらわれる、ローマ時代の競技場痕。

Tarragona Alley × Tenere

旧市街はそんなに大きくなくて、ちょっと寄り道して散策するにはちょうどよかった。

タラゴナを去って、また南西方向へと海岸沿いを走っていく。

もう日が暮れかかってきたところで、Peñíscola; ペニスコラという港街に着いた。
誰が教えてくれたのか、もう忘れてしまったけど 誰かにおすすめされてMap上にフラッグが立ってたから寄ってみたのだ。

Castillo de Peñíscola

ペニスコラは、半島状に突き出した岬の先端にある要塞化された港町で、細い道路で城壁内へとはいっていく。

城塞内部は入り組んだ迷路状の坂道がつづくので、テネレは停めて 歩きで頂上を目指す。

日が暮れたおかげといったらあれだけど、白壁と石畳の美しい路地がライトアップされて また独特な雰囲気。

岬の頂上付近に到着した。
ここには、1307年 テンプル騎士団によって完成した Castillo de Peñíscola; ペニスコラ城が建っている。十字軍遠征が失敗におわり 欧州に帰らざるを得なくなった騎士団が、イスラム勢力からの奪還地に建てた最後の遺産といっていいかもしれない。
テンプル騎士団は1312年正式に解散させられて、城はアラゴン王国によって新設された Montesa; モンテサ騎士団に引き継がれる。
さっき登場したスペインのバイク Montesa の由来だ。

一方、14世紀はじめ フランス王のPhilippe IV; フィリップ4世の力が強大化して ローマ教皇のそれを凌ぐようになっていた。1303年のアナーニ事件に端を発して教皇クレメンス5世はフランスのアヴィニョンに強制移住、いわゆるアヴィニョン捕囚がはじまる。
この後、ローマ側の「イタリア人を教皇に!」という勢力と、アヴィニョン側の「アヴィニョン教皇庁を保守する!」勢力が屹立する、教会大分裂 “大シスマ” がはじまる。そんな分裂時代の末期、アヴィニョン側だった教皇ベネディクトゥス13世 通称”Papa Luna; パパ・ルナ” は、公会議で偽教皇として廃位を言い渡され、逃亡先として選んだのがこのペニスコラ城だったのだ。パパ・ルナは1423年 94歳で亡くなるまで この城に籠って自分の正統性を主張しつづけたらしい。今でも、そんなパパ・ルナの像が、城壁の一部から覗いていた。

異端としてテンプル騎士団を壊滅に追いやり処刑したアヴィニョン教皇庁の、その正当な後継にあたるベネディクトゥス13世が、今度は自分が異端として排斥された挙句、かつてそのテンプル騎士団が築いた不落の要塞に守られていた、、、

そう考えると、なんて歴史というのは数奇なんだろうと。
事実は小説より奇なり とはまさにこの事で、皮肉にもほどがあるだろ・・・

と、そんなことを考えながら 今では平和な景色を眺める。

ライトアップされた要塞港街の石畳を下って、

この日はもう少しだけ南へ移動する。

イタリアのボローニャで会ったLuca が紹介してくれたバレンシアでの頼り先、Ruben がまたまた紹介してくれた Miguel を訪ねることになっているのだ。

Miguel との出会い

真っ暗になった道を走って、

Castelló de la Plana; カステリョ・デ・ラ・プラナ という街までやってきた。Miguel から指定された場所にいくと なんだか工業エリアのような場所で 大丈夫か・・・ と思ったけど、ほどなくしてMiguel が車でやってきた。

実は、彼の家にはパーキングスペースがないから、職場であるこの工場にテネレを停めさせてくれたのだった。
Miguel は廃品回収のビジネスオーナーで、まさにこの工場が彼の職場だったというわけだ。

必要なものだけ持って、Miguel の車で彼のマンションの一室に移動。
夕飯はがっつり男メシで、開いている一室を貸してくれた。

ありがとう Miguel !

つづく

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