どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
エフェソスの遺跡から西へ、一度Kuşadası; クシャダスの郊外で野営した翌朝、やや北にあるアナトリア半島西端の大都市 Izmir; イズミルへと向かいます。
ここまでのルート
Kuşadasıの朝 Izmir へ
朝。
撤収したあと、すこし海岸線を見て回ってみる。
船上生活者がいるようだ。
トルコ海軍の軍艦。アメリカ海軍から退役して、売却されたノックス級フリゲートのひとつ。
目隠しに天秤を持った正義の女神 Themis; テミス像.
2006年5月17日にアンカラの評議会で起きた銃殺事件に捧げれた記念碑。
イズミル県を北上して、ほどなくして県都 Izmir; イズミルに到着。
Izmir での日々
ただの Izmir 写真集
まぁまずは足でイズミルの街を見回ってみよう。
中華バイクかインドバイクかわからないけど、かっこいいスポークパターンだしエンジンきれいだな。
ここ数年で日本にもシーシャバーみたいのが沢山増えたっぽいね。
賑やかなメインストリート。いや、メインじゃないか。
イズミル・ポリスは HONDA NC750X.
大通りから路地に入ってみる。
服屋、生地屋、縫製素材屋さんが沢山並ぶ。
ありとあらゆる雑貨から、
途中からゴールドスークに。
路地を曲がった路地にも、アーケード下に宝飾店が並ぶ。
また違う区画へ行くと、今度はフードバザール。
ブッチャー。
さすが海沿いの街、海鮮もこの充実。
並んでる野菜も、けっこうみんな綺麗。ぐちゃぐちゃのトマトとかは、陳列されてない模様。
また大通りに戻ると、
ちょうどよい文房具屋で、瞬間接着剤をゲット。
当時何を直すために接着剤が欲しかったのか、、、忘れちまった・・・
タジキスタンのオートモービルショップで、トルコ製の接着剤をつかってから、使い勝手の良さにけっこうハマってる。
コーヒー豆とかナッツ類の専門店は、前を通るといい匂いがしたりしなかったりする。
旧市街に広がる Kemeraltı Çarşısı というバザール。
スーパーサイヤ人然り、海外に輸出されたアニメは独自の進化を遂げる。
素敵なポストカードが沢山ありますねぇ。
カフェのネオンボードが昼から光って、ケバブを焼く煙が立ち込めるホットな路地。
イズミルで最大・最古のモスク Hisar Cami; ヒサル・ジャーミィ
オスマン帝国時代の1592年 築造。
モスク内部は、白地に金飾の豪奢な雰囲気。特にミフラーブ周りの装飾やミンバルのデザインは洗練されていて、壁面にあしらわれた柱の柱頭なんかも、アンカンサスのコリント式のようで どことなく教会のような雰囲気も感じる。
Kızlarağası Hanı というモスク脇の回廊にもいろんな店が並ぶ。
ナイフ専門店を発見。そういえば汎用として使っていた Leatherman のミニナイフをアルメニアで失くして以来、ちょっと不便だったから 何か代わりになるのがないか探してみる。
これはリアルガンなのかな。
イズミルは、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市で、人口も約350万人の大都市。歩いて見て回れるのはごく一部だけど、グランドモスク周りのダウンタウンやバザールを周れば、トルコの中でも特に世俗色の強い街の雰囲気を味わえると思う。
イズミルの路上バイク
トルコでCF MOTO と並んでよく見かける PULSE と、
Marauder ってことは SUZUKI かと思ったら Keeway のエンジンだった。
CRFも発見。
CF MOTO のカラーリングけっこうかっこいいんよね。
XSR125 と、見たこともないクルーザー。
Agora of Smyrna
イズミルには、Agora of Smyrna; スミルナのアゴラ という遺跡があるので行ってみた。
紀元前4世紀、古代ギリシアの都市国家 Smyrna; スミルナの遺跡で、Agora; アゴラとは今でいうスクエア、広場みたいな場所だった。
更に古くは紀元前11世紀くらいからアイオリス人とかイオニア人が都市国家をつくっていたらしいけど、スミルナが大きな都市国家として再建されたのは、アレクサンダー大王が狩りの途中で見た夢に、義憤の女神 ネメシスから「この地に都市を再建せよ」との御告げがあったことに由来する という伝説がある。
スミルナのアゴラ遺跡はあんまりフィーチャーされてないながら、けっこう迫力があっておすすめできる遺跡だ。
特にこのアーチが連なった地下構造はとてもユニークで見応えがある。
地下に眠っていたからか、178年の地震後 マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝によって再建された状態がほぼ保存されている。
そしてもうひとつ興味深いのが、アゴラの地下アーチのひとつの身廊には、古代から機能していたという水利システムの水路に未だに水が流れていたのだ。現地の看板には「現在でも未確認な水源からの水が流れており、古代ローマ時代からオスマン帝国時代まで利用されていたと考えられています。」と書かれている。
調べてみても、まぁよく分からないんだけど 水源は”不明”で 周辺の湧き水とか地下水層に繋がってる可能性があるとのこと。そんでもって、ローマ時代に作られた水路構造はめちゃくちゃ頑丈だということで、本当に古代ローマ時代から2,000年近く水源とそれを供給する水路が機能しつづけてる可能性があるんだとか。すごいな。この水飲んどけばよかった。
3列の身廊となってつづくアーチ。
4方からのアーチが接続する柱はずっしりと太くて重厚だ。
地下から地上を見上げて 見える柱廊。
地上に上がって周りを歩いみる。
モザイクが残る床面。
山羊(?)を襲うライオンの彫像と、大量に積み上げられたコリント式の柱頭。
スミルナの再建に関わった Damokharis という人物を称賛する碑文。
Kadifekale
イズミル中心から、わずかに南東に Kadifekale; カディフェカレという山がある。先のアレクサンダー大王の逸話で 狩りの途中で眠った場所だ。そこ界隈の路地を走って、山の頂上に行ってみる。
こういう100%ローカルで 一切観光的インフラ整備のされていない場所をテネレで走るのがとても楽しい。
カディフェカレの頂上、城壁の入口。
城壁の入口はだだっ広い公園のような感じだけど、
地元の女性が手作業で編んだキルトやカーペットが売られていたのが面白かった。
なんとなく南米を連想するようなビビッドな色使い。
カーペット以外にもスカーフとか小物入れ、サコッシュみたのもあって バイクじゃなかったら買ってるのに定期。
伝統的な機織り機を使って緻密な模様を編み込んでいく。
現在残っている城壁は中世に再建されたもので、
城壁にある塔からはイズミルの街とイズミル湾が一望できた。
城壁から、街の反対側へとパゴス山を下っていく。
Tarihi Su Kemerleri と 巨大なアタテュルク像
イズミルの南東側を走るD30 に出ると、そこには場違いな古代ローマ時代の水道橋が未だに保存されている。
その向かいには、Holywood Mountain を連想するような巨大な アタテュルクの顔面像が聳えている。
なんとなく近くまで行ってみようとしたらテネレでもすぐ近くまで行くことができた。門は閉まってたけど、うろうろしてたら警備員さんがゲートを開けてくれた。
うーん、近くで見るとより巨大だ。
Izmir Historical Elevator “Asansör”
海岸線に沿って少しだけ南西側に行くと、Karataş; カラタシュ地区という場所がある。
この辺りは歴史的にロマニオテ系ユダヤ人の居住区で、現在でも中級~富裕層のユダヤ人コミュニティが存在している。
特に地域のランドマークになっているのが、Asansör; アサンソール というエレベーターで、ユダヤ人貿易実業家の Nesim Levi Bayraklıoğlu という人物によって1907年につくられた。海岸線から急激な崖によって中腹の家屋への行き来が不便だったのが、これによって解消されたらしい。
下層の入口。
今も稼働しているので、無料で乗って上に上ることができる。
上階からの眺め。
また海岸線を北東側に戻って行く。
釣具屋。
Izmir Clock Tower
市内中心に近い海岸エリア Konak; コナック地区。
コナックモスクや、イズミルの市庁舎が囲う綺麗な広場の中心には、
イズミルの時計塔がある。1901年 当時のオスマン帝国スルタン Abdul Hamid Ⅱ; アブドゥルハミト2世の即位25周年を記念して建てられた。
8角形の塔には緻密な彫刻が全周に渡って施されている。今はイスラームを象徴する三日月と星のマークがある場所には、元々オスマン帝国の紋章があったらしい。
基部の4面には噴水があって時計塔の姿をよりユニークにしている。
噴水の側で気持ちよさそうに眠るおっさん。
海岸のコルニッシュぎりぎりまでやってきた。
ってなわけで、雑なイズミル訪問記でした。
おまけ1
海岸のコルニッシュは、夜に来ても👍 昼よりは気温もマシで、行き交う人々を眺めながらぼーっとするのにちょうどいい。
おまけ2
近くの市場でフルーツが激安だったから、宿にいる間は毎朝フルーツを食べるようにした。
キルギスのサモサに近い、肉が詰まったパン。昼メシにちょうどよし。
夜はブッチャーで買った肉を焼いて牛丼(?)
つづく