【Georgia episode10】Uplistsikheの洞窟住居からTabatskuriの湖へ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

Goriの街を去り、次はジョージアの南部の方に向かってみようと思います。

ここまでのルート

Ivan との出会い

朝、出発した後 昨日の晩 Ostri を食べた店に 朝食を食べにやって来た。

朝食を外食にすることなんてめったにないんだけど、この時はちょっと贅沢をしちゃおうと 寄ったのだった。食べ終わって外に出ると、マイ・テネレの横に 来た時にはいなかったテネレが停まってるではないか!!

ユーロマークのHRはクロアチアの略称。

きっと管理人が日本から来た事も分かってくれたに違いないと思ってプレートを見ると、汚過ぎて手描きのJAPANが読めないじゃん。

とりあえずしばらくオーナーが出て来るのを出待ちがてら クロアチアン・テネレを観察する。
おっ! これは噂の World Raid モデルじゃないか。デュアルタンクかっこいいし、ステアリングダンパーもメカメカしくていいね!

タイヤはまだ純正のスコーピオン・ラリーを履いてる。チェンガードはメタル製だけど、そういえば管理人のメタル製チェンガードはパキスタンで折れて以来そのままになってるのをふと思いだした。

テネレ→ハードケース似合わない論があるけど、まぁそんなことないよね。パニアの横のサイドポケットとか、ボトルケージとか 色々見て参考になる。エキマニの癒合形式は 少なくとも管理人のファーストロットとは全然違う。Euro5 対応のためかな。

その後、オーナーのIvanと会うことができた。コーヒーとハチャプリまでご馳走になってしまい、色々と話をさせてもらった。

Ivan とはまたクロアチアで会えたらいいな。

その後、しばらくまたGoriの街を適当に徘徊して、

市内から少しだけ東にある、Uplistsikhe; ウプリスツィヘ寄ってみる。

Uplistsikhe 洞窟住居群

サイトはかなり観光地化されていて、大勢の観光客や大型観光バスで賑わっていた。
バイクを停めるように促された場所には、Ivan のテネレの他に、BMW F800が停まっていた。コーカサスは欧州ライダーのルートになることも多いから、ライダーと会う機会は中東や中央アジアのそれに比べてだんだん多くなってきている。

さて、入場料を払って中に入ると、一応サイト内には番号のふられたプレートが立ってるから それを目安に進むと全体を効率よく見回ることができる。古代からカルトリ地方の中心的な役割を担っていた ウプリスツィヘは、紀元前2,000年頃にまでその歴史を遡るという。
キリスト教の国教化に伴って宗教的な重要性は廃れ、特にモンゴルによる侵攻後は都市としても退廃化していったらしい。

ウプリスツィヘ中心部にある、最もアイコニックな洞窟群。

その西側にある 現地の地図で “Temple of Caissons” と表記された三角屋根とアーチ状のホール。
その天井には八角形と四角形が組み合わさった独特の意匠が目を惹く。

どこも洞窟内に入ると少しひんやりして気持ちいい。

そこからまた少しのぼっていくと、上の方に教会と、その下に沢山の洞窟群がみえる。
看板曰く 左から、”Long Temple” や “Temple of Makvliani ” と名付けられた洞窟で構成されている。

洞窟群を歩きながら、南西方向に目をやると、古代には天然の堀としてウプリスツィヘの街の防衛線となっていた Kura; クラ川が流れ、
手前の盆地には放置された遺構が点在している。

あと、これはまぁ洞窟住居とは関係ないけど サイト内を歩き回ってると 特に観光客があまり入って行かない端っこの方には沢山のアガマが生息している。隙間だらけの岩場が彼らにとって絶好の棲み処のようだ。被っていた帽子をつかって何度もつかまえようとしたけど、ロシア人の女の子に「ママあの人なにやってるの?」「見ちゃダメよ!」的な典型的シチュエーションに心折られ止めた。

途中で写真を撮ってくれと頼んできたスーパーハイテンション中国人おばちゃんが、頼んでないのに撮ってくれた。

“Hall of Tamar” と呼ばれている列柱式の空間や、6世紀頃につくられたとされる “Three Sided Basilica” 残された巨大な壁面が迫力満点。

さっき下から見えた教会は、”Church of Prince” と表記されている。
建てられたのは9世紀ごろ。ちょうどトビリシが勃興しつつあったイスラーム勢力によって侵略され、周辺都市であるウプリスツィヘが栄えた時代というわけになる。

西側ファサードと、南にみえる鐘楼。

教会内。東側の祭壇。

教会内部に飾られた沢山の宗教画。

特に黒い肌をした聖母子像が印象深かった。

さらに上にのぼっていくと、”Single Column Hall” や “Nice Hall” という名前のついた洞窟群がある。

ここはあまり人もおらず、フィーチャーもされてなかったけど、洞窟内に入ると どの洞窟内よりも美しい彫刻で飾られた柱がずっしりとホールを支えている。っていうか個人的にはサイト内で一番好きな空間がここだった。

ってなわけで、思ってたよりボリューミーだったウプリスツィヘの洞窟住居群。
数千年の時を越えて、かつてはここで人々が暮らしてた姿を想像しながら歩き回ると 楽しい気持ちになるね。

Bakuriani を経て

ゴリの街を去って、ハイウェイを西に西に進んで、途中から南方向へと進む道路へ乗っていく。

Borjomi; ボルジョミ の街に入るわずか手前から、さらに南へと伸びる道をいくと、旧ソ感漂う住居群を過ぎつつ

クラ川に沿った気持ちのいい高原道路がつづく。

ふらっと寄った、名もなき小さな教会も、

内部は存外に豪奢だったりして、

シャンデリアが美しい。

途中、Tsaghvei; もはや発音マジ不明 という街から、少し郊外へ走っていく。1階が石造りで、2階には木造バルコニーといういいとこどりみたいなローカル住居いいなぁと思いながら進んでいくと、

Timothesubani Monastery が現れる。

何だか立派な修道院だけど 周辺には誰もいない。

11~18世紀と、長きに渡って建設が繰り返されたという。

 

南側には特徴的なゲートがあって、ここをくぐると内部へとつづいている。これは教会と接触していないから、アルメニアのガビットとは全く構造が違うものだ。

ゲート内の番犬(?) は、管理人を一瞥するなり、なんだ 観光客か・・・ とでもいうような気だるさで、また寝てしまった。

“Assumption Church” は、ジョージア産のピンク色の煉瓦でできていて、中世ジョージア王国最盛期の12世紀頃に完成したと思われる。

教会の西側に3連の鐘。その屋根部分はどこか日本の寺を連想する瓦づくり。

鐘の彫刻も、よく見ると面白い。

西側の入口から内部へと入っていく。メインの教会の手前に、壁で隔てられた空間をおいて

その奥に予想以上の壮大な空間が広がる。
とにもかくにもあらゆる壁面から柱までに描かれたフレスコ画が圧倒的。ほんとに、コーカサスの古い修道院は 訪れてみるまでその実が分からないのが面白い。こんな辺鄙な、観光客が誰もいない修道院が このド迫力で迎えてくれる意外性は 行こうかどうか迷った時に「うん、やっぱり行っとこう」と思える強い動機になる。

祭壇方向。

教会内西側に建って、北側と南側の壁面を見る。

ドーム下面。

教会内東側に立って、北側と南側の壁面を見る。

東祭壇上のイコンは聖母子像。

内部から、西側壁面をみる。

1220年までに描かれたというフレスコ画は、1970~2000年代にかけて洗浄・緊急処理と保存が施された という記述があるけど、ということは概ねオリジナルが保存されているということで間違いないんだろうか。

数あるフレスコ画の中から 管理人が一番気になった この部分。
像が人を食ってる??しかもその後ろには像よりもでかいオリックスみたいなアンテロープが火を噴いてる??
800年前はこんな生き物が、もしかしたらいたのかも とか考えると楽しい。

まったくこんなに素晴らしい修道院とは思ってなかったから、嬉しい意外性に驚きつつ修道院を後にした。

ハイウェイに戻って、さらに少し進むと やがて Bakuriani; バクリアーニ という街に着く。

ボルジョミやバクリアーニは天然水のブランド名になるような場所で、冬場はスキーリゾート地になる。
道沿いにはゲストハウスが立ち並んでいて 深掘りすれば面白そうではあったけど、野営用の買い出しだけしてスルーした。

未舗装路へ突入 Tabatskuri の自然保護区へ

バクリアーニの先から、未舗装路に突入して いく。なんとなく地図で目星をつけた湖に向かうから、どんな道路状況なのか全くわからない。

がったがたの凸凹道から、やがて平坦なダートの高原道路へとなっていく。

見渡す限り緑で覆われた山の間を縫うような1本道。

冬場はここいらが全部雪で覆われるんだろうなぁ。

つづら折りの峠道はどんどんと標高を上げていく。

Tskhratskaro Pass というまたしても発音が不明な峠の頂上に着くと、そこには警察のオフィスがあって、パスポートチェックを受ける。

ここから先、Ktsia-Tabatskuri; クツィア・タバツクリ管理保護区の領域内に入っていくからだろう。

そこから先は、まさに楽園のような道がつづいていた。

Ktsia; クツィア川を渡って、映画の中でしか見たことがないような大丘陵へとつづくダートを、文字通りひとり占めしているような気分だった。

この景色は、間違いなく今まで走ってきた絶景と比しても5本指に入るんじゃないかという壮観さだった。

クツィア川から少し離れて、道はやや南東へと伸びていく。

羊の大群が丘の斜面を向こうからやってくるのを見送って、

さらに進むと、この山間に水を湛える Tabatskuri; タバツクリ湖と その畔の村が見えてきた。

湖畔まで下りようとするも、道が道じゃなさすぎて無理。
斜面の途中、かろうじて平地となってる場所をみつけて、

設営。

ちょうど夕方、放牧に出ていた羊や牛たちが、一斉に村に帰ってくるタイミングだったようだ。
羊飼いや馬に乗ったおっさんに、手を合わせて「ここ お借りします」とジェスチャーで伝えると、皆にっこり笑って手を上げてくれた。

またしても、すんばらしいロケーションに巡り合えた。穏やかな空、穏やかな湖。
タバツクリ湖は、真っ黒なカモ、ビロードキンクロのコーカサスにおける最後の繁殖地といわれている。

SOTOのガソリン缶が空だったから、タンクからサイフォンの原理でガソリンを吸い出す。

からの夕飯。

標高は約2,000m. 夜になるとそれなりに冷えてくる。タバツクリ湖の向こうに見える山には雲がかかって、それがきれいに焼けていた。

今日も色々情報量の多い1日だった、おやすみ。

つづく

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