こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
思ったよりもリモート感が半端ないタバツクリ湖から、ちょうどジョージア中南部に位置する Vardzia; バルジアへと移動していきます。
ここまでのルート
Tabatskuri 湖畔にて ゆるりday
朝、ウシやヒツジたちが村から丘の上へと大移動する声で目が覚める。
もうこの日は移動する気が全然おきなかったし、せっかくのロケーションを楽しみたいからここでもう1泊することにした。
なのでまずは2度寝。
タバツクリ湖畔には Tabatskuri; タバツクリ と Moliti; モリティ という2つの小さな村がある。
半島のように突き出た土地に、家々が並ぶ。冬の生活は、きっと厳しいだろうなぁ。
コーヒー飲んで、
綺麗なセンチコガネの写真撮って、
ギター弾いて、
綺麗な毛虫の写真撮って、
緩やかなせせらぎのようにゆったりと時間が流れていく。
一体お前は1日なにをやっていたんだと言われたら、返答に窮するくらい自分でも何をやっていたのかよく分からないけど、
夕飯をつくる頃には、
朝出て行ったヒツジとウシたちが丘の上から戻って来た。
そうやってあっという間に今日という日が、空に現れたオレンジの光と共に、夜の闇へと消えて行ってしまうのである。
Vardzia へ
翌朝、同じく ウシとヒツジが目覚まし。
「テントからウシを覗くとき、ウシもまたこちらを覗いているのだ」by ヌーチェ。
賢そうなわんこが、器用に大群を整えていく。
皆が丘の上に見えなくなった頃合いをみて、管理人もここを去るとしよう、ってかもう食糧が尽きた。
走りやすそうな草っぱらに見えるかもしれないけど、地面には深い溝が不定期に現れ 無数の岩がごつごつと草の間に突き出している。
後輪が岩を乗り越えたままスリップしてしまい、またもやスタックするも、なんとか自力で脱出し、
丘の上の道に復帰した。
さて、Google Map 的には ここから南西に向かって更に村の方へ下るというルートが示されるけど、もはや斜面の途中は道ですらないから一度来た道を引き返すことにする。
この日はちょっと天気が悪く、たまに雨がちらつく。
道脇を流れる小さな流れには無数のおたまじゃくしがいた。カエルからしてみれば最高の生息地だよな。
カエルだって人と同じで生まれる場所は選べない。都会の水たまりで生まれて車に轢き潰されるカエルから 未開の密林で生まれ未だ人類に同定されていない種まで。
Tskhratskaro Passに戻って来た。向こうに見えるのが管理保護区を管轄する警察のオフィス。
この時も来た時と同様パスポートのチェックを受ける。
ここから、来た道とは反対側の、南西方向へと伸びる道へ切り替える。が、北側の道よりも更にボッコボコでロッキーだ。
キルギスのダートでは、調子のってスピード出し過ぎて大転倒したから 、とにかく深そうな砂利orぬかるんでそうな土 が見えた時は大げさにスピード落とす。
クツィア・タバツクリ保護管理区を抜けていく。
途中で明らかに様子が違う場所を発見して、入って行ってみると これは何かの採掘痕だろうか。
たぶんこのゴロゴロした黒い岩が採掘物なのかな。ちょっと無知でわからん。
今思えばペグ使って割ってみたりすればよかった。
もう放棄されてるのか、鳥が巣としてつかっているようだ。
後半は安心感のあるフラットダートがつづいて、
Ghado; ガドの街から舗装路に復帰。
マーケットがあったから寄って腹ごしらえをする。
どこを見渡しても綺麗に整えられた畑が広がるのどかな村だった。
Akhalkalaki; アハルカラキ の街から西方向へと進むハイウェイへと切り替えて進んでいく。思っていたより全然綺麗に舗装された道だった。
廃車両をそのまま架けるというアバンギャルドな橋。
しかし相当な勇気と健脚がないと渡れないのであった。
Khertvisi Fortress
しばらくすると、左手に立派な城塞が見えて来る。
Khertvisi Fortress; ヘルトヴィシ城塞だ。
ハイウェイをはずれて、城塞の下まで行ってみる。
老体にはしんどそうな坂を上って城塞内へはいると、その全貌がよく見える。
最初の要塞がつくられたのがいつなのかは調べてみてもよくわからない。伝承によると、かのアレクサンダー大王の東方遠征の際に陥落したというから 紀元前300年代には既に存在したということになる。
現在の原型となる要塞は、その後の紀元前2世紀頃から築かれ始め、何世紀にも渡ってメスティ地方の交易路防衛に貢献した後 13世紀モンゴル勢力によって破壊、そして1354年に再建された壁が、現在みることのできる姿らしい。
城壁内部。
城塞の西側に建つ教会内部。
この教会が建てられたのは985年と、再建された壁よりも古い。
棟の内部から上を見上げる。
城塞は、19世紀ロシア帝国統治下としてのジョージアが奪還するまでおよそ300年間はオスマン帝国の所有物でもあった。
1956年の城塞の写真。こうみると、かなりオリジナル(14世紀の再建)を損なわないように修復されたことがわかる。
Vardzia 岩窟群
ヘルトヴィシ城塞を後ろに、さらに南へと道を走って行く。
この川もまた、クラ川だ。小コーカサスの西側に水源があるクラ川は、トルコ東部からジョージア・トルコ国境を経て、今まで訪れて来たゴリやトビリシを通り アゼルバイジャンを経てカスピ海へ注ぐ。
トルコ国境直前のこのクラ川は、ほぼほぼ上流域といっていいんじゃないだろうか。
存外に舗装状態のよい道を進んでいくと、
やがて右手に岩壁に開いた無数の穴が見えて来る。
ウプリスツィヘの洞窟住居に似ているけれど、こっちは更に切り立った断崖になっている。これが Vardzia; バルジアの岩窟群だ。
ここもなかなかの観光スポットのようで、沢山の観光客や観光バスで賑わっていた。
バイクを駐車場に停めて、歩きで内部へと入って行く。
サイト内は、西側から東側へと順々に辿って行けるような構造になっている。
岩窟群がつくられ始めたのは、12世紀後半 中世ジョージア王国の国王 George Ⅲ; ギオルギ3世の治世下で、その娘の Tamar Queen; タマル女王の時に完成したとされている。
13もの階層、600もの部屋で構成されているので、全ての部屋を見て回るのはよほどのキチガイじゃないと不可能。
通路の途中にあるドーム。
門脇と天井の装飾が美しい。
そのゲートを抜けると、更に東へとつづく岩窟群が目の前に広がる。
それぞれの部屋は、王室から修道者の独房、台所やワインセラーに厩舎、それらを繋ぐトンネルなど多種多様な役割があった。
とはいえ、現状 どの部屋に入っても雰囲気は同じようなもんだ。
急な階段を上って行くと、
The Church of the Dormition of the Holy Virgin がある。やや蛋白だった洞窟の外観とは異なり、1184-86年に描かれたというオリジナルのフレスコ画が鮮やかに迎えてくれる。南側の身廊壁面~天井と、教会西側の空間。この奥には湧き水が湧いていた。
教会内部、東側を臨む。800年以上も前に描かれたフレスコ画で 内面が埋め尽くされている。
北側の壁面。向かって一番左が、ジョージア貴族の Surameli; スラメリ。右下に見える女性が タマル女王で、その前に立っているのが父親のギオルギ3世 となる。
東祭壇上部のイコンは聖母子像。
南側壁面。
西側壁面。ヴァルジアもまた、先のヘルトヴィシと同様16世紀にはオスマン帝国の支配下に入るけど、教会自体が破壊されなかったのは宗教的に寛容だったオスマン帝国の恩恵なのか、ただ放棄されただけなのか。
教会の奥へと進むと、
青い石が特徴的な小さな礼拝堂と、
狭いトンネルがつづく。場所によっては身をかがめないと通れないくらい狭い通路になっている。
通路を抜けると、教会の東側に出る。
こっちからの眺めもまた絶景である。
南側には、峡谷を流れるクラ川が一望される。
さて、この日はヴァルジアを見終わったあと、駐車場にあったレストランで早めの夕飯を食べていた。
するとさっきまでの青空が嘘のようにみるみる暗雲に包まれて、瞬く間に雷雨になってしまった。
今日もそこらへんで野営場所を探す予定だったけど、これはさすがにそんな気分にはなれないなぁ と、うろたえてると
ちょうどバイクを見かけたおっちゃんが、「ゲストハウスをやってるから家へ来ないか?」と声をかけてくれた。
勿怪の幸いとはこのことか、とか頭んなかで思いながらおっちゃんの車について行くのだった。
つづく