こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
アルメニアの首都 エレバン徘徊録です。
Victory Park と Mother of Armenia
エレバン中心のやや北、小高い丘の上にある Victory Park にやってきた。
公園内は家族連れで賑わっていて、小さいアトラクションやお化け屋敷なんかもある。
公園を西から東へ、奥へ進むと ちょうどエレバンの街全体を見守るように、Mother of Armenia の像が立っている。
1962年まではスターリンの像が立っていたらしいけど、その後 アルメニア人彫刻家 Ara Harutyunayn; アラ・ハルチュニャン 製作のこの像が建てられた。 Mother of Georgia が左手にワインを持っていたのに対して、こちらは両手で剣を支えているせいか よりに凛々しく見える。
Mother of Armenia の足元にある台座は、スターリン像時代から同じもので、現在はカラバフ紛争をメインのトピックとした戦争博物館を兼ねていた。
Cascade Complex ~エレバン中心地
首都エレバンの、更にど真ん中にあたるエリアにやってきた。東京でいえば、青山的な たぶん。
やや旧ソ連の退廃的な印象が国中に残るアルメニアにおいて、それらと一線を画した洗練された雰囲気を醸すエレバンの中でも、最もアイコニックなスポットとされる Cascade Complex. Cascade とはフランス語で滝のことで、その名の通りまるで滝のような500段を越える階段からなる構造物は第1~5レベルまでの階層構造となっていて、頂上には建国記念碑が見える。
カスケード前の広場に立つ沢山の像。
カスケード脇の通路には、やや高めではあるけど雰囲気抜群のレストランが並ぶ。
エレバンの街並み。運転はやや荒めの人多めな感じめ。意外に思われるかもしれないけど、今まで走った国ではロシアの運転が一番ジェントルに感じた。
どうしても公衆電話が気になる。
カスケードから南下する途中、この中心街をちょうどクロスするように通る Mesrop Mashtots通り。そのメインアベニューを囲むような公園 Martiros Saryan Park 内。
これでもかというくらいに沢山の絵が置かれていた。
当然売り物なんだろうけど、日本でもなかなかもうこういう光景を見なくなったよねぇ。
芸術愛溢れる公園を抜けると、Freedom Square と、そこに一際重厚に鎮座する アルメニア国立オペラ バレエ劇場がある。
1933年にオープンした劇場内には、2つの大きなホールがあって、計2,600人を収容することができる。
更に南方向へ歩いていくと、更に人で賑わった歩行者用の通りにでる。
Hyusisayin Poghota (アルメニア語で “北の大通り”)と呼ばれるこの通路はだいたい400mくらいあって、
通を挟む左右の建物は洗練されたレストランやモダンなショップで埋まっている。
普通に観光できて買いものを楽しむなら、絶好のエリアっぽい。
Northern Avenue のバスキング・パフォーマーたち。
Northen Avenue の終わりから少し南西に歩くと、絢爛な建造物が並ぶ Republic Square に出る。
この時計塔とその上のアルメニア国旗が特徴的な建物はアルメニア政府。国会議事堂みたいなもんか。
アルメニア歴史博物館とその前の噴水。東京って素晴らしい公園はけっこうあるけど、やっぱ土地に制限があるから、こういうだだっ広いスクエアってないよね?あんのかな。
エレバンの教会たち
適当にエレバン市内を彷徨っていたら出会った教会たち。
St. Astvatsatsin Kathoghike Church.
手前にある少しこぶりな教会がカトギケ教会で、関連構造物のなかには1,260年代にまで遡る碑文も発見されているという。
奥の大きな教会は2,000年代に入ってから増設されたもの。
ピンクの凝灰岩でできた壁面は、夕日があたると何とも言えない色に輝く。
色々と歴史が複雑で正確にはよくわからんのだけど、1695年に建てられ、1930年代のソ連時代に取り壊された聖堂の内部から現カトギケ教会が発見されたらしく、建設されたのは17世紀初頭で、1679年のエレバン地震を生き延びた唯一の教会ということになるらしい。
だけど、1930年代に取り壊される聖堂の写真には、現在にみられるような教会の形はなくて、このカトギケ教会が現在の形になったのが何年のことなのか、よくわからん。
左が小ぶりな聖カトギケ教会内部で、非常に狭い空間しかない。右が奥の新しい教会内部。
くどいようだけど、ソ連臭ただようこのアパートの壁面がなんか好き。
アルメニアにはいってから頻繁に目にする水飲み場。プルプラクというらしい。
海外でこれ系の水を飲むのは気がひけるかもしれないけど、水は無味無臭でとてもおいしい。正直これがあれば、スーパーで水を買う必要すらない。
ひきつづきエレバンの街を適当に走りまわる。
つづいてやってきた Zoravor Saint Astvatsatsin Church.
鐘楼を伴ったファサードには Saint Ananias; 聖アナニア礼拝堂が併設されている。教会には鐘楼はあるけど、ドームがない。こういうタイプもあるんだな。
元々の教会群は17世紀初頭だけど、エレバン地震で完全に破壊されてしまった後、1694年に再建されたのが原型の元になっている。
先のカトギケ教会に次いで、エレバンに2番目に古い教会と考えられている。
教会内部の主祭壇。
さて、ファサード前面にある階段を下りていくと、
そこには聖アナニアの墓とされる墓石が。
ここで、普段だったら「ふーーん」でスルーしてしまうところだが、聖アナニアって、なんか聞き覚えがあるなぁと思ったら、シリアのダマスカスで訪れたアナニア教会の、あのアナニアだ ➡【オールドダマスカスの情景】
アナニアは、元々キリスト教徒を迫害していたサウロ(後の使徒パウロ)の視力を癒し、洗礼したことで知られるキリスト教最初期の聖人だ。まさかシリアで訪れた教会で知った聖人の墓が、アルメニアにあるなんて知らなかった。こうやって旅を通して訪れた場所が繋がる瞬間はとても嬉しい気分になる。
華やかなエレバンも、ちょっと路地に入るとソ連の香り。特に逢魔が時はアンニュイな雰囲気で👍
北東部から街を望む。
小さなバルコニー付きのアパート。
またある時やってきた Saint Gregory Illuminator Cathedral.
2001年に完成した新しい大聖堂で、トビリシで訪れた Holy Trinity Cathedral と並ぶコーカサス最大の聖堂。
教会内部は中東で訪れた巨大なモスクのような広さ。
そうか、今日は日曜だからか 礼拝日のようで盛大に人が集まってる上に祭壇には司祭数名とおぼしき人達が並び、堂内には讃美歌が響き渡っていた。
教会周囲を歩き回っている時に目に付いたトタン屋根の家々。
まぁどんな都市にも光と闇がある。
つづいて、Kond; コンド地区にある Saint John the Baptist Church にやってきた。
やっぱりエレバン地震で破壊された古い教会の跡地に、1710年につくられた教会。
壁面のハチュカル。
なんで適当に来ただけなのにどんぴしゃで礼拝の時間にぶちあたったのかは分からないけど、内部は人で満員。
そして祭壇にはやっぱり司祭たちが並び讃美歌が響きはじめる。
すると、なにやら主教たちが祭壇から参列者側に歩いてくるではないか、、、 それと同時に近くにいたおばちゃん(いやもはやおばあちゃんだったか)が砂粒みたいのを渡してきた! なにがなんだか???という顔で見返すと、「いいから いいから」的な素振り。
いや、なにが「いいから」なのか全く分からないんだが、
様子を見てると、どうやらの司祭の持ってる袋にこの砂みたいなやつを入れるらしい。
突然の出来事に困惑しつつ、見様見真似でおばちゃんがくれた砂粒を袋の中にいれると、先頭で列を率いている主教と思しきひとが、デカい十字架で管理人の頭をポンポンとしてくれた。全く意味を理解していないというところが不敬で申し訳ないんだが、「なんとなく」ご利益がありそうだし、狙ってできる経験ではなかったからアクシデンタル・ラッキーということにしとこう。
よく日本の宗教に聞かれたときに、「日本人はめっちゃフレキシブル」と説明してるけど、本当に身をもってその通りだ。
リヤドのイマームの元でイスラームを”accept” して、メッカのカーバにまでに入った自分が、今は洗礼者ヨハネ教会で主教にポンポンされてるんだもんね。
Blue Mosque
エレバンの教会をいくつか見てみたけど、実は市内にモスクもある。
道路に面したペルシャ様式の門をくぐると、
東西南北を囲んだ回廊に出る。
中東~中央アジアはモスクだらけの日々だったけど、最近はもっぱら教会だったからなんだか懐かしい。東西を囲む壁にはフジュラが並ぶ。
北側のイワーン。
多くのフジュラ前には絨毯が展示されていたらり、イラン産の物産展を兼ねていた。
そんな1店舗で店番をするにゃん。
各フジュラ。
敷地の南側に位置するメインのドームとイワーン。
修復や再建を経ているものの、当初の築造は1765-66年 当時のペルシャ王朝 アフシャール朝の版図下 この地を治めていたエリヴァン・ハン国のハーン Hussein Ali; フセイン・アリー によってつくられた。
ペルシャ美術独特のアラベスク模様が美しいタイルで装飾されている。
敷地の南東側に位置するミナレット。
エレバンにそれなりに滞在して、アザーンを聞いたことはないけど たまには流れるのかな。
エレバンのイスラム教徒は人口の0.03%ほどで、エレバンで唯一機能しているモスクとはいえ、どちらかというとイランからの観光客や外交官のためのモスクという側面が強い。
東側のフジュラ。
別のにゃんと遊んで、モスクを去るのであった。
Kond のトンネルと Hrazdan; フラズダン渓谷
アパート美(定期)。旧ソ連圏のアパート写真集とか、ありそうだな。
さて、エレバンの隠れ名所 Kond地区のコンド・トンネルにやってきた。
凄まじく治安の悪そうな場所だけど、日中は地元民の散歩コースになっていて全く危険はない。
アンモニア臭のひどい場所もあったから、夜は来ない方がいいかもしれない。
エレバンの街中に突如現れるソ連時代のトンネルの入り口に立つと、内部がひんやりと涼しいのもあってか、
まるで異世界への入口のような感覚になる。
トンネルは500m弱あるようで、向こう側の出口がわずかに明るく見える。
しょうもない落書きから、アートレベルの壁画まで いろいろ。 さすがアルメニア、アララト山のペイントも。しかもよく見ると山の脇に窓が開いてる。
いざ奥へと進んでいく。
天井部分のジグザクな鉄骨と、赤橙色の電灯が また・・・
コンド・トンネルを南東から北西へと抜けると、一度道路に出る。ここから渓谷にどうやって下りればいいのか分からなかったら、アルメニアのガイズが案内してくれた。
大きな食堂のような建物の裏側から公園のような場所に抜け、そこにある階段を下りると、そこには廃墟となた駅舎があった。
駅舎の反対側に下りていくと、そこには都会の喧騒から完全に隔絶された Hrazdan; フラズダン川とその周りの渓谷が広がっていた。
渓谷の美しい自然を見るよりも、まず目に入ってくるのは放置された車両たち。
誰もが同じ表現をするだろうけど、”Stand by me” の世界。
子供用のアトラクションだったものや、実際の運航用車両だったものもある。
鷲とライオンが特徴的なアルメニア国章、最強の組み合わせだね。
車内。やれた木のベンチがいい味だしてる。
機関室。ここに石炭をぶちこんでたんだなぁ。
ん、なんかヴォルゴグラードの街で展示されてたハリコフ機関製のV12にそっくりだなぁ。
ツインカムのカムシャフトが、自然に凌駕されていく。
渓谷に架かる橋と、フラズダン川の水を引いた天然プール。
流れはなかなかに激しい。落ちたら半々で死にそうなくらい急流なんだが。たぶん今が春先で雪解け水が大量に放出してる影響だと思う。
更に線路沿いに歩いていくと、50年代の石造りのトンネルや更に先の駅舎などを見る事ができる。そのまま南方向に抜けることもできるけど、管理人はコンド・トンネルの手前にバイクを停めてあるから引き返した。
ちなみに、このフラズダン渓谷を更に南方向へと進むと、
St. Sargis Vicarial Church の元に辿り着く。
教会側から、フラズダン渓谷を眺める。
南西側にかかる Victory Bridge と、北西側にみえるのは Hrazdan Stadium.
夜 雑景
夜の Northern Avenue.
国立オペラ バレエ劇場。
カスケード周辺。
共和国広場も、ひときわ美しい。
アルメニア政府前にて、光るテネレ。
夜の街を走るのも楽しいけど、4月のアルメニアはまだまだ夜になると寒い。
ライトアップされるエレバンのテレビ塔と満月。
とある高台から、ダウンタウンの眺め。
典型的な「絶景夜景」ではないけれど、どことなく寂し気な雰囲気を今もとどめる旧ソの建物に光がぽつぽつと点く様は なんとなく工場夜景に近いものを感じた。
おまけ
ある日テネレのリアタイヤにはっついてたタマムシ。
タマムシのくせにずいぶん地味なやつだなと思って調べると、コサビタマムシという和名がつけられていた。タマムシなのにサビてるという、なんともジレンマなやつだ。
おまけ2
つくり過ぎて吐きそうになった、ってか吐いた。
つづく