【Republic of Armenia episode 5】Geghard; ゲガルドへの道

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

エレバンを一度去り、やや東方向へと移動していきます。

ここまでのルート

エレバンから東へ

エレバン周遊で空っぽになったタンクにガソリンを満たす。
ガソリン価格は 約490֏/ℓ =約196円/ℓ. ジョージアより更に高くなった。
お隣のアゼルバイジャンはバクー油田やシャハ・デニーズガス田で有名な一方、アルメニアにはこういった資源がほとんどない。にも関わらず、アゼルバイジャンともトルコとも国交がないため、どうしたって石油価格は高めになるんだろう。

穏やかな丘陵の中を走っていく。

トルコの国境からは離れる方向に走っているけど、後方に凄まじい存在感で聳えるアララト山。
左が小アララト: 3,896m で、右が大アララト: 5,137m
現在はトルコ領だけど、歴史的にはアルメニア人が居住したいわゆる「大アルメニア域」の中心部で アルメニア人のアイデンティティに深く根差した山といえる。
それにしても、小アララトは本当に富士山にそっくり。

道中、1957年Rafayel Israeyelianというアルメニア人建築家によってつくられた Arch of Charents というモニュメント。
アーチには、アルメニア人の詩人 Yeghishe Charents の詩が彫られている。

「雪を頂いたアララトほど美しいものはない。果てしない栄光の頂への道のように、恒久の愛を」

脇道天国。
比較的雨の多い4-5月に、突き抜けた快晴に恵まれる。

Garni; ガルニ神殿

南東へと伸びていく道の途中で Garni; ガルニの遺跡へ立ち寄る。

アルメニアの観光スポットは、概ね入場料がかかったりかからなかったり。
入場料がかかる場合は概ね1,500ドラム前後が多い。めっちゃ安くはないけど、ここまで来て渋る値段でもない。

ここガルニ村にあるこの神殿は、軽いノリで訪れたわけだけど、実は旧ソ国々の中で唯一現存するローマ・ギリシャ式神殿なのだ。
そういう意味では、アルメニアに現存するキリスト教以前の宗教関連構造物として非常に重要性が高い。

柱頭は典型的なイオニア式。
修復されたであろう跡とオリジナル部分の差が激しく、モザイクように見える。これは、やはり1679年のエレバン地震によって崩壊した遺跡を修復する際にアナステロシスという手法を用いたことによる。可能な限り元の建材を用いて、必要な部分だけ現在の材料を用いた事が明確に分かるように修復する手法だ。

全部で24本、約6.5mの柱が並ぶ。レバノンのバールベック神殿を、ミニチュアにしたようなこじんまり感が、何となくかわいらしい神殿だなぁとか不敬な事を思った。

 

上にのぼって、回廊部分。

天井部分にもアンカンサス風の紋様が彫刻されている。

内部の部屋は外観に比してとっても狭い。主祭壇と思われるものはほとんどが修復材料によるものだから、きっと損傷がひどかったんだろう。ガルニ神殿がつくられた明確な時期や目的は色々と議論の対象らしいけど、パルティア アルサケス朝の分家としてアルメニア アルサケス朝の王となったティリダテス1世が、アルメニアの太陽神ミフル信仰のために77年頃建てたとされている。

神殿を、裏手から。
4世紀初頭に、キリスト教が国教となった後 異教の神殿の類は遍く破壊されたらしいけど、どういうわけかガルニ神殿だけは破壊から免れたらしい。そのどういうわけか に感謝である。

神殿のすぐ裏側は、Azat; アザット川を挟む深い Garni; ガルニ渓谷が広がっていた。

ガルニのニャン。

ガルニ村の小さな教会

ガルニの村を徘徊していると、

たまたま見つけた Saint Holy Mother God  Church.
たまたまというか、アルメニアは地方の小さい村でも 少し徘徊すればこんな感じの古めかしい教会はすぐに目に入る。

全く観光地となっていない無名の教会は、人もほとんどおらず 静寂としている。

内部は、むき出しの煉瓦からシャンデリアが下がり ひんやりと涼しく、しーんと静まり返っている。ガエルネのブーツで歩く自分の足音が コツン、コツンと響いて心地よい。

絢爛さはないかもしれないけど、コーカサス的牧歌感の漂うこの雰囲気もまた可也。

敷地内の石棺や、

ハチュカルたち。

次にやってきたのは Mashtots Hayrapet Church.

この絵本に出てくるような石造りの小さな教会は、

そのこじんまりとした雰囲気とは裏腹に、精緻な彫刻がドームから各壁面までまんべんなく施されている。

西側に面するファサードの意匠。

壁面の碑文とクロス。

敷地内にはやっぱり沢山のハチュカルや墓石も見られる。
「同じような教会ばっかり見てて飽きない?」と思うかもしれんけど、漫然と見ていたら飽きる。だから、飽きないコツは、より細部を見る事だ。同じように見えるハチュカルも、近づいて細かいデザインの違いを比較すると 新しい発見がある。

教会がこじんまりしてるから、中も狭いけど、誰もいないアルメニアの小さな村の教会内部は、薄暗く、ひんやりと、極東アジアからデカいバイクでやってきた旅人を迎えてくれた。

柱状節理が織り成す Symphony of Stones

そのままガルニ村の某急坂をアザットの支流沿いに下っていくと、そこには地理マニアが涎を垂らして喜びそうな地球の芸術がある。

少年に150ドラム渡してバイクの番を頼む。

綺麗に整備された通路を進んでいくと、

圧倒的な玄武岩の柱状節理が現れる。

とりあえず、くどいくらいに写真を貼っておこう。

アトランティックシティ・コンヴェンションホールもお手上げの地球製パイプオルガンである。

一般的に6角柱が多いらしいけど、ここでは3面・4面・5面と様々な形態が確認できる。
溶岩流が冷えながら垂れさがって、冷却固結する過程で規則的な裂開を生じる。一体何年前か知らんけど、”その時” ここには真っ赤に煮えたぎる溶岩が確かにあったんだねぇ。

 

柱状節理といえば、京丹後の立岩で見た事があるくらいだったけど、世界にはまだまだ規格外の景色があるもんだ。

さっきガルニ神殿から見下ろしていた渓谷の谷間に下りて来たから、今度は渓谷下から上を見上げることになる。

天然パイプオルガンの元には、レディバードポピーが咲いていた。アヘンの原料となる、いわゆる不正ケシと同属に分類されるけど、モンツキヒナゲシの和名で知られる本種は規制外。

はいみんなこっち向いてーー とは言えなかったよね。

Geghard; ゲガルド修道院

ガルニ村を離れ、更に東方向へと進んでいく。

元々こうなのか、工事の影響なのか、途中から道は未舗装路になり、けっこうデカめの砂利道だったりして予想外にビビる。

この道の終着点にある Geghard; ゲガルドの修道院に辿り着いた。

坂を上っていく途中にある、崖面の洞窟修道院。ゲガルドには、このような洞窟修道院が かつて沢山あったらしい。

登って中を覗いてみる。

ゲガルドの修道院を囲む城壁の一部、たぶん西側がゲートになっている。

どこの国にもあるよね、こういうの。岩にできた窪みに、一生懸命石を乗せようとする人たち。
日本だと鳥居の上に石を投げることが多い。

Geghard; ゲガルド修道院、西側ガビットより。

ガビットファサードの壁面ハチュカル。

ガビット入り口。

入口の周囲に彫られた精巧なアンカンサス様の意匠。

ガビット内に入る。

天井部分の装飾は、イスラームのモスクやイワーンにみられるムカルナスにかなり近い。
現在の修道院がつくられたのは、1210年代~1280年代にかけて。即ちイスラーム勢力による征服の後なので イスラム建築の影響を受けているという。

ガビットを支える重厚な柱。

ガビット内をそのまま東側へ進むと、カトギケ教会へと至る。1215年、ガビットと同時期につくられた教会は、ジョージア王国 Queen Tamar;タマル女王の治世のもと 高職として起用された従者のZakare Ⅱ Zakarian ; ザカレによってつくられた。

カトギケ教会の南側に位置する門には、ハトやザクロ、ブドウの彫刻の他、ザカレをはじめとしたアルメニア貴族ザカリアン朝の権威を表わす「牛を襲うライオン」の紋章があしらわれていた。

ガビットの北西側に空いた小さな通り口を奥へ進むと、

やっぱりムカルナス装飾を伴った天井が特徴的な空間に出る。この空間は、1240年に岩窟教会として岩盤をくり抜く形でつくられた。

その最深部に湧き出るこの水が、300年代初頭 啓蒙者グレゴリウスによって発見され、初期の洞窟教会がつくられる由縁となった湧き水だ。管理人も一応飲んどいた。完全に無味無臭。エレバン市内の飲み水用噴水と同じ味。

岩窟教会の壁面に施された装飾。

入口から見て右側、つまり東側には この岩窟教会の祭壇があり、石の十字架が鎮座している。

一度ガビットに戻って、今度はガビットの北東側に空いた入口を通ると、Zhamatun; ザマトゥンと呼ばれるプロシアン王子の霊廟に通じていた。プロシアン家は、先のザカリアン家の家臣として13世紀半ばにゲガルド修道院を譲り受けている。

鎖に繋がれた2頭の獅子と、羊を掴んだ鷲の紋章は そのプロシアン家の象徴らしい。このアーチの奥に、墓が安置されている。

ザマトゥンの、更に東側には女性の頭と鳥の胴を持つハーピィのような生き物と、プロシアン家の人々とされる彫刻が、ハチュカルと共に次の部屋への入口となっている。

プロシアン礼拝堂はカトギケ教会と共に一番東側に位置する部屋で、1283年につくられた岩窟教会。ここにはムカルナスの装飾はなく、よりシンプルな意匠の半球の天井含め、壁面の意匠も全て岩盤から削り出しでつくられている。

ゲガルド修道院、東側 カトギケ教会より。現在は修復中。

修道院の城壁を越えて、東側のアザット川へでると、川に架かった石造りの橋や、

誰かが捨てたパンくずを遠慮がちに食べようか悩むにゃんこなんかを見る事ができる。

修道院を囲む城壁、南側より。

修道院入口の坂道の途中には、お土産として種々のパンやらなにやらを売るおっちゃんやおばちゃんで賑わう。

完全に腹がへっていたから、バカでかいパンを半分だけ買った。最初2,000ドラムとか言ったのを500ドラムまで値切ったけど このパンは砂糖が練り込んであるのか、中央アジアの硬くてすぐに食べるのを断念したくなるパンと違くてめちゃくちゃうまかった。
これなら1,000ドラムでもよかったし、なんなら1枚全部買えばよかった。ごめんなおばちゃん。

Camping 3 GS

この日は、FB のオーバーランディンググループからの情報で聞いていたキャンピングサイトに来てみた。
その名も、Camping 3 GS.
ちょうどガルニ村とゲガルド修道院を結ぶ道路の中間地点くらいに位置している。

お隣さんは、ロシア製UAZ のDIYキャンピングカー仕様。

1950年代からほとんどデザインも機関系も仕様変更の無い 不思議な会社だけど、実は日本にビッグファンが多い。

キッチン周りとバッテリー。手作り感が👍

就寝スペースと運転席。

後部にはギアが収納されてる。全部取り出して見せて欲しかったけど、さすがにそこまで図々しくは頼めないよね。

そんなUAZの横でテントを張る。

さておき、ちょっとキャンプ場内の設備を前のめり気味で紹介したい。
こんな感じのくつろぎスペースには電気ケトルや清潔なタオルが完備されていて、中央にはプール。

キッチンルームも信じられないくらい Super Clean!! で、コーヒーや紅茶、砂糖や塩の類は使いたい放題。

勿論WiFiも完備でスピード問題なし。屋外スペースにもコンセントが備えつけられていて、Super Clean!! なキッチンスペースが更にもうひとつ。

どう考えてもキャンプ場とは思えないような Super Clean!! なトイレと(しかも紙流してOK)、

使うのが申し訳なくなるくらい Super Clean!! なシャワールーム。

日本でもここまで綺麗なキャンプ場を探すのは難しいんじゃないか?とビビるほどに美しいサイトであった。
オーナーはオランダ人女性で、彼女の拘りが随所に散りばめられてるようだ。

先ほどの、UAZのオーナー  ドイツ人ノマドワーカーのフィリップと。

今日も濃ゆい1日だった、おやすみ。

つづく

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