【Syrian Arab Republic episode 2】ただある普通の生活~オールド・ダマスカスの情景

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

シリアに入国し、ダマスカスまでやってきました。
シリアに滞在した数日の間、何度もダマスカス旧市街を歩き回ったので、その際の写真を紹介しようと思います。

オールド・ダマスカス

ダマスカスの起源は古く、東西世界の中継点として紀元前3,000年よりも古くには既に都市が形成されつつあったという。
紀元前1,200年ごろ、鉄器の使用によって当時のオリエントにて最強だったヒッタイトが系統不明謎の民族「海の民」によって衰退すると、セム系の民族が台頭しはじめる。
このセム系トリオといわれるのが、ヘブライ人・アラム人・フェニキア人で、このうちのアラム人が陸上交易の拠点としたのが、既に要所として機能をもっていたダマスカスだったのだ。

その後のインド・ヨーロッパ語系民族→ローマ、ビザンツやエジプト系、そしてアラブ人→イスラム勢力、オスマン帝国 あらゆる時代のあらゆる勢力の影響を受けながら、現在はシリアの首都となっている。ダマスカス旧市街は全体が世界遺産に登録されていて、なおかつ内戦による破壊の危惧から危機遺産にもなっている。

そんなダマスカス旧市街の写真を、またただ羅列していこう。

ダマスカス旧市街はダマスカス全体から城壁によって明確に区別できる。
楕円状に市街を囲む城壁は、13世紀頃から十字軍による侵攻に備えて築造されたものが現存していて、東と南北に渡って7つの門がある。
7つの門にはそれぞれ BAB~ と名前がついていて、旧市街への入口となっている。

BAB TOUMA 付近の路地。

BAB TOUMA Street 付近。

BAB TOUMA Street を南へ歩くと、ダマスカス旧市街を東西に貫くVIA RECTA にでる。VIA RECTAはStraight Street とも呼べる。
路地や通りのあちこちには、軽食やスイーツを売る店が沢山ならんでいた。

 

VIA RECTA.
イスラムの勢力に入るよりもずっと前、紀元前4世紀にマケドニアの遠征によってアレクサンドロス帝国の版図下にはいったころより、ギリシア人の好んだ格子状の街が整備された。

なので中心の Straight Street を基準に各路地は直角に行き交うため、自分が今どこにいるのかとても分かりやすい。

この VIA RECTA、ナザレのイエスを「救世主」だとする一派(すなわち後のキリスト教徒)を迫害するためにやってきたサウロ(パウロ)が、盲目になった後に訪れて、アナニヤから洗礼を受け視力を取り戻し改宗した場所としても知られている。

VIA RECTA; 直線通りを西に進んでいくと Souq Midha Pasha というアーケード上のスークにつづく。
石鹸屋のおねえさん。

 

ダマスカスでしか手に入らないというバラの一種? やスパイスの数々。

スークを抜け、西側の城壁の外に出た。

1個買ってみた。うまい、甘い、おいしい。
たぶん中国製の100cc前後のバイクが沢山ある。

ダマスカス旧市街で見かけた白バイは SUZUKI!
そして旧市街、西側の城壁外にあるサラディン像。

旧市街北側を流れるBARADA川。夏には水がなくなり、においがひどいらしい。

再び北西付近から旧市街へ。

どうやら工場が集中したエリアの路地。

いい雰囲気だ。

鍵屋の雰囲気は万国共通説。

街中には、軍関係者も普通に歩いているけど、多くの市民はこれをあまり好まないという。

旧市街北西付近の小さな商店街。

Hamidiyeh Souqにある旧市街で一番人気というケーキ屋のケーキ。タンクのペイントと荷台のカゴがウルトラミスマッチなバイク。

Hamidiyeh スークの出口にある神殿様の建造物は、一神教伝来前 Multi God 崇拝時の雷神 Hadad を祭っていたもの。紀元前64年にローマの支配下に入った後も、ローマ人の天候神 Jupiter と同化して Jupiter神殿として残りつづけた。この、アラム系の天候神とローマの天候神の同化は、この時期のオリエントで数多く起きた現象なのかもしれない。
その柱の間からウマイヤド・モスクのミナレットがみえる。

 

Jupiter神殿跡の前にはウマイヤド・モスクが鎮座するけど、その間にはちょっとした広場があって、未だにサンタコスの子供が一生懸命何かを売ろうとしていた。

そこからウマイヤド・モスク脇に沿って進むと、

また軽食やお土産の並ぶ狭い通りにでる。

とっても賑やかな区画から、

だんだんと人気のないところも。

ダマスカスの黒猫。

 

MVPを与えたい扉。シャッターは基本シリアの国旗に塗られてたりする。

ダマスカス旧市街の東側にはキリスト教徒が多く、そして教会も多い。先ほどの「サウロの回心」のストーリーにて、アナニヤがサウロを洗礼したとされる場所にある教会 Hananiya Church.

教会内。洗礼の時の様子や、その後籠に入って城壁外へ逃げる様子が描かれている。

夜になると、発電機や大型のバッテリーが無い店では停電により光がなくなる。
蝋燭で光をとるなんて、プリミティブな事もごく普通だった。

 

ライトアップされる旧市街東側にあるアルメニア正教会。

その脇に、いまだに飾られるクリスマスツリーの横で踊るシリアン・カップル。

一画では停電してるというのに、イルミネーションに贅沢に電気を使う一画もあるから不思議だ。

シーズンには人で賑わうというここも、寒いせいか人がほとんどいなかった。

未だ内戦がつづく国の首都とは思えないほど、和やかで笑顔に溢れた街で、ごく普通の生活があるのであった。

ところ変わってこれは旧市街にあるSayyidah Ruqayya Shrineの内部。シーア派の分離を決定的なものとしたカルバラーの戦いで、戦士したフセインの幼い娘Ruquyya は、父の首を目の前にしてショックで死んでしまったという。そのRuquyyaの墓が内部にあった。
外観はチェックポイントが近く撮影できず、カメラは入口でお預けとなってしまったのでスマホ撮影。
スマホのカメラはOKなのに、いわゆるカメラだとダメだというのは、本当に無意味だと思う。これはサウジアラビアの一部のモスクやモールなどでも体験したことだ。

BAB TOUMA を出て、少し北東方向に歩いていく。

ここらもやはりキリスト教徒がマジョリティのエリアで、ダマスカス内でも特に治安のよい地域にあたる。

んーおいしそうなケーキ。とまた白バイを発見したけど、今度はSUZUKIじゃなくて中国のCFMOTO製だった。

BAB TOUMA から北西方向に伸びる道路は、原宿のような雰囲気でモダンな洋服店などが多く並んでいる。

 

ぐるっと、回ってバラダ川から旧市街側へもどる。

シリアでみかける車は、もはやエンブレムも無くどこの車なのかもよくわからないボロボロの車が多い。
これら、廃車が放置されているのではなく バリバリの現役なのだ。

これはどこの門だったっけかな・・・

ジェッダを思い出すような、すこし張り出た2階部分が特徴的な区画。

また、ウマイヤド・モスク脇の店並みに戻ってきた。

その場でオレンジを絞ってくれるにいさん。

おいしそうなドーナツと暗くなりライトアップされる路地。

これは、BAB TOUMA から旧市街外へ出て少し歩いた場所にある地元で有名なスイーツ店。
Konafa; コナーファが好きだと言ったら Sana が連れて行ってくれた。ん~一瞬で食べてしまううまさ。

VIA RECTA を少し入った路地にある、Antique Khan Hotel.
16世紀に建てられたという古い屋敷がそのままホテルとして利用されていた。

 

地下には洞窟のようなバーもあった。

VIA RECTA に並ぶ扉。金曜の朝は人が全然おらず、閑散としている。

An Old Beatle in Old Damascus.

ダマスカス旧市街のユダヤ人居住区にやってきた。
ユダヤ人居住区といっても、今はほとんどユダヤ人は住んでいない。90年代にみんなイスラエルへ移ったのだ。これはたぶんPLOとイスラエル間のオスロ合意が関与しているんだと思われる。

そんな一画で商店を営むおじさんと猫。
この猫は、おじさんが入院して店を閉めてる間、ずっとここで帰りを待っていたらしい。ハチ公みたいな猫じゃん。

そんな”旧”ユダヤ人居住区を進んでいくと、

Hotel Talsman というホテルがあった。内部を見せてもらう。

1640年頃にユダヤ人が建てた屋敷が、リノベされてホテルになっている。
部屋にはシリア製の象嵌箪笥やシャンデリアなどがあり、どの部屋も違う調度品で装飾しているんだとか。

 

モロッコ調の壁面と、開業時イランから送られたというタイルワーク。

そしてユダヤ人所有だったことを想起させるダビデの星が入った古い箱。
中庭にはオレンジに似てるけど直接食べることはない Naranj; ナランジェ の木。

客室の扉もこの雰囲気。 シラコバトがいい感じに休んでいる。

一室の内部。

とあるパレス内部。

これは一体 何様式というんだろうか という精緻で繊細な装飾。

デブトラちゃん。

路地のサビすけ。

ウマイヤド・モスク脇の Nawfara coffee shop にて。

 

というわけで、またもやただ写真を貼りまくるだけという雑な記事になってしまったけど、2023年 現在のダマスカス旧市街の様子でした👍

つづく

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