こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
西カザフの茫漠としたステップ地帯をひたすら走って、カスピ海の沿岸都市、Atyrau; アティラウまでやってきました。
走りながら予定を変更して、ここから900kmほど南にある Aktau; アクタウ という都市まで、鉄道で行ってみることにしてみました。
ここまでのルート
Sergei との出会い
Aktau まで行くにあたって、バイクの保管がまた問題になるんだが、どうにも運がよくて、たまたまアルマティのバイク屋で会った Alex が、アティラウ在住の Sergei を紹介してくれた。
真ん中の白ティーの男がSergei氏。彼の友達の船に乗せてもらって、Ural 川をクルージングする。
途中でしばらく運転させてもらった。無免許運転。
そしてここが、アティラウのバイク乗り達が集合する店。
バーベキューをご馳走になって、
店の中の一画にテネレを置かせてもらえた。
Aktau 行 ぶらり鉄道の旅
朝、少し時間があったので Stlovaya; ストロバーヤ という、何だか大学の学食っぽい雰囲気の食堂で朝食を食べる。
駅前で干された魚を売るおばさん達。たぶんカスピ海で捕れた魚なんだろうな。わからん。
どのホームに行けばいいのかさっぱりだからどうしようかと思ってたけど、Sergei が座る席まで案内してくれた笑
おんぶにだっこだな。いいんよ、助けてもらえるときは、助けてもらって。助けてもらえない時は、本当に誰にも助けてもらえないんだから。
客室はこんな感じの寝台車。たまたま同室だったRomanと。彼とはこの後、しばらく一緒に行動することになった。旧ソ圏で珍しく英語を流暢に喋るので、いろいろと通訳もしてくれて本当に助かった。
鉄道が出発し、まぁバイクで走ってるときに見たのと同じステップをちんたらちんたらと進んでいく。
車両の廊下。
夜22時くらいだろうか、途中の大き目の駅で40分ほど停車する。
その間に、沢山ある商店で夕飯を買って Roman と一緒に食べた。これも含めて、この後食事代やらなにやら、全部Roman が払ってくれることになる・・・・
ソファベッドは意外と快適で、何でだろうか、ガタンゴトンと揺れる車両の方が、静寂なベッドよりもむしろ心地よい。
日本のサラリーマンが電車の中で爆睡してしまい、あまつさえ時に床にまで転げてしまう由縁かもしれない。ちなみに、ドバイやドーハ、テヘランやラホールにタシケント、色んな都市でメトロにも乗って来たけど、確かに日本のように電車内で寝てる人は一度も見なかった。
20時間の乗車を終え、Mangystau 駅に到着。
Mangystau 1 day Tour
さて、マンギスタウに到着して、バイクが無いのでここからは事前に申し込んでおいたツアーに参加する。
Roman は電車の中から何やら電話していて、管理人と同じツアーに同行することになった。Aktau から数キロの村に40年以上住んでるにも関わらず、一度もマンギスタウを訪れたことが無かったんだと。
駅まで来てくれたドライバー Savely と合流して、MITSUBISHI PAJERO に乗り込みダイレクトにツアーに向かう。
マンギスタウ自体はカザフスタン最南西部の州で、その州都がAktau になる。マンギスタウ州の大部分はこの車窓から見える台地で、アラル海とカスピ海の間を石質の砂漠が埋め尽くし、ウスチュルト台地と呼ばれる。
ソビエト時代のウラン採掘痕や、現役油井が多数ある。ここらの油田は、元々Shell が利権を握っていたらしいけど、今は中国企業と共同所有のような状態らしい。このポンプジャックは既に稼働していないのか、間近で見ることができた。
これならテネレでも走れそうだな、という道だったり、いや、これはちょっときついなという道だったり。
突如、台地に現れた亀裂。
ここは Ybyk Gorge という自然の浸食でできた渓谷。
渓谷の下に回り込んで、クリフの間を奥に進んでいくことができる。集合体恐怖症のひとは直視できないかもしれない、無数の穴がクリフの両側に並んでいる。
この場所はつい数年前に発見されたばかりらしい。2023年になっても、地球上にはまだまだ人類未踏の地というのが存在するらしい。
渓谷の底から、複雑に入り組んだ崖面を見上げた時の景色が、このサイトのみどころだ。ちょっとサウジアラビアの Al Qarah Hill を歩いたのを思い出した。
岩壁の上に上ってピース。
なんとも特徴的な渓谷だった。Aktau からの距離も近いので、1day ツアーでマンギスタウを巡るのであれば、是非立ち寄って損は無い場所だと思う。
次にやってきたのは、Karaman Ata のネクロポリスと地下モスク。
西カザフの一帯はだいたい8世紀以降急激にイスラーム化が進んでいったけど、キプチャクによる支配やその後のモンゴル帝国による侵攻(→ジョチウルス)など激動を経ることが原因だのだろうか、地下に潜んだモスクを散見する。
このマンギスタウの台地に突如現れるネクロポリスは、古いもので13世紀頃の遺構が残っていて、地下モスクでは「清めの誓い」が行われていたらしい。
明確なミフラーブなどはなく、地下につくられたいくつかの空間が狭い通路で結ばれていた。
各部屋は地上と煙突で交通していて、通気の役割を果している。
ネクロポリスの遺構たち。
Roman 曰く、大きな家の形をしたお墓は、かつて旅人の一時的な休憩場所も兼ねていたらしい。なんだか墓の中で休むというのは不敬な気もするけど、お地蔵さんの隣で雨宿りするような感覚か。
ちょっと日本のそれに似た墓標。
再び、ウスチュルト台地の広大な道を進んでいく。人の運転で移動するってのもいいもんだなぁ。
まるで列柱に支えられたような独特の浸食痕を見せるテーブルマウンテン。
まさに地球の火星。別の惑星に来たような気分。
Roman と。
カザフスタン紙幣の絵柄にもなっている Sherkala Mountain. 見る場所によって違う形に見えることで有名で、この角度はまさにユルトの形そのものだ。
そんな Sherkala Mountain の一画で、ドライバーの Savely と Roman と昼休憩。メシは各自用意と言われていたけど、Savely の厚意なのか、パンにハムにトマトにきゅうりに、全然自分で用意する必要ないじゃんってくらいしっかりした昼めしを用意してくれた。
昼を食べている時、近くを飛んでいた鷲。OMD EM-5 MkⅢ + M.ZUIKO 40-150 f4 pro だと、飛んでる鷲はこれが限界だった。
かつてシルクロードの隊商人たちの休息地だったという巨岩群のひとつに上ってみる。Roman と2人で上まで上って、数百メートルは離れているだろう場所から Savely に話してもらうと、まるですぐ近くで話しているかのようにはっきりと声が聞こえた。どういう原理かわからんけど、これを利用して、かつての隊商人たちは敵の接近をいち早く認識することができたらしい。
Sherkala Mountain を別の角度から見ると、こっちはライオンと言われている。確かに、スフィンクスの横姿のように見える。
マンギスタウの広大な台地に広がるサイトを指し示す看板。それを眺めるRoman.
Savely と。
Kok Kala 台地は、かつて海底にあったジュラ紀の地層が、カラタウ山脈系が形成される過程で隆起した場所だ。
そこら辺に落ちてる岩をよくみると、ジュラ紀の木や葉の化石をたくさん見ることができる。そこら中にクリスタルが落ちていて、稀にこれらの内部に金を含有しているらしい。時間があったら1日中石割りをしても楽しそうだ。
独特の縞模様を伴った地層の隆起が見渡す限りに広がっている。
時間が経つのは早いもんで、既に日が傾いてきている。1 day tour の最後にやってきたのは The Valley of Balls.
その名の通り、まるで人工物のような丸い岩が丘の上に無数に並んでいる。
この奇妙な球体の巨岩がどのようにしてつくられたのかには諸説あるらしいけど、最もよく説明される原理としては “Concretion” と呼ばれるものがある。海洋生物の死骸などの有機物を核として、溶出した炭素や酸素と、海水中のカルシウムが結合することで形成される炭酸塩が堆積することで形成されるらしい。確かに、上の写真をみると、割れたボールにはまるで木の年輪のような同心円状の模様がある。
炭酸塩(おもに方解石などの炭酸カルシウム)の形成は急速で、このサイズのコンクリ―ション結石もわずか数か月という短いスパンで形成されると考えられてるという。
これだけの結石があるということは、ここもかつては海底だったということだけど、ボールの分布には偏りがあって、
丘のリッジを挟んで逆サイドを見てみると全くボールが存在していない。この分布の偏りは謎らしい。
まるで巨人の頭頂骨と前頭葉みたい。
巨岩を這うトカゲ。
本当に美しい球体から、複数のコンクリ―ションが結合してまるで異形のクリーチャーの様相を呈するものまで、色々な形があって面白い。
てなわけで、これにてマンギスタウの 1 day tour は終了。あっという間だったけど、Savely と Roman のおかげで楽しく濃密な日を過ごすことができた。
Aktau のカスピ海沿岸散歩
さて、Aktau 市内に戻ってから、宿を確保した後、Romanとカスピ海沿いに散歩に出かけることにした(ちな宿代は知らぬ間にRoman がまた払ってくれていたっぽい、合掌)。
人生で初めて見るカスピ海には、美しい夕日が沈もうとしていた。ん、いやイラン走ってる時にカスピ海みたっけ・・・・?覚えてねぇ。
アクタウ中心部のケンタで夕飯を買い出して、
沿岸に綺麗に整備された遊歩道にあるベンチで食べる。
アクタウの港は、カザフスタンで唯一の不凍港で、ここからアゼルバイジャン、バクーへの航路は旅人の間でも有名だ。管理人も、コーカサスへの抜け方のひとつとして、アクタウ→バクーへの海上輸送を考えたけど、アゼルバイジャンは空路以外での入国を認めていないので、この場合自分は飛行機で現地入りして港でバイクの受け取りをしなければならない上に、費用がかなりかかるので、やめた(ちなみにピックアップさえしちゃえば陸路での出国は可能)。
ひとしきり夜のカスピ海を散歩して、就寝した。
Atyrau へ戻る
朝、この日はまた同じ鉄道をつかって Atyrau まで戻る。出発まで時間があったので、またRomanと2人で街を散歩する。Roman は完全にジモティーのはずなんだけど、市内中心はよく知らないらしい笑
大量の Post It が貼られた喫茶店。ここには画家でも集結してんか?
昨日歩いた場所を、またぐるっと歩く。夜もいいけど、朝の海沿いも気持ちいい。
マーメイドに痴漢するRoman.
カザフの女性兵士が描かれたビルと、
Aktau にもやっぱり、2次大戦時に戦死した兵士を追悼するモニュメントと炎がある。
ザックリと市内を見て回った後、再びマンギスタウの駅に向かうのであった。
またまた、乗る客室まで Roman が見送りにきてくれた。
しかも管理人のイヤホンがぶっ壊れていたのに気づいていたらしく、新しいイヤホンを別れ際にプレゼントしてくれた。なんちゅー優しい男よ。なかなかまた会うことはないかもしれないけど、いつかまた会えたら、沢山返す借りができたなぁ。
この後、再び20時間の乗車を経て、Atyrau; アティラウの街へ戻るのであった。
つづく