こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
ウズベキスタンのヒバの街にて、トルクメニスタン入国の準備が整うのを待っていたのですが ようやく Invitation Letter の発行が完了した知らせを受けて やや重くなった腰を持ち上げ国境を目指します。
ここまでのルート
トルクメニスタンに入国
トルクメニスタン と聞いて、どんな国なのか想像できる人は非常に少ないと思う。たぶん日本人にとって最も謎めいた国のなかのひとつなんじゃないだろうか。中央アジア「スタン」系の国の中では唯一ビザやインビテーションレターの発行が必要で、各国の旅人の間でも入国難易度が非常に高い国として知られている。
特に自分の車両を持ち込む場合は、
・現地政府から認可を受けたトラベルエージェンシー発行のインビテーションレターが必須
・そのトラベルエージェンシーの同行が必須
・トラベルエージェンシーのツアー扱いとして入国~出国までの過程が管理される
という条件の元入国が可能で、色々な情報を見ても一般的な大使館発行のビザで入国するという正攻法はまず通用しない。一部トランジットであればイラン内のトルクメニスタン大使館で発行できたという情報も見られるけど、信ぴょう性は?で、万一ビザ自体が手に入ったとしても車両に付随する複雑な書類手続きを独力で行うのはほぼ不可能だろう。
ヒバからウズベキスタンートルクメニスタン間の国境へはわずか50kmほど。農地に囲まれた長閑な田舎道を進んでいく。事前にトルクメニスタン側のエージェントによく確認をして、いくつかある国境の中から向かうべきポイントを確実にしておく。
トルクメニスタンへの国境に到着した。これでウズベキスタンを出国するのは2回目だ。毎度のこと、国境には人がたむろしていて、得体の知れないおっさん共がすぐに寄ってたかってくる。こいつらは一体なにをやってるんだろう、と毎回思うけど その中から両替おじさんを探して、ウズベキスタンの現金の一部をトルクメニスタンの現金に交換してもらうことができた。
トルクメニスタンの通貨もイランほどではないにせよ、「表レート」は崩壊しているので、ブラックマーケットレートを知らないと損をする。2023年7月上旬の段階で 1 USD = 約 19 manat だ。
国境緩衝地帯。ウズベキスタンの出国手続きは、荷物検査がややめんどくさかったものの、1時間もせずに終わった。今回も出国料はかからず。
この後、トルクメニスタン側のイミグレでわちゃわちゃしてる時にエージェントのOraz氏と無事合流。その後はほぼ100%彼があっちへ行って、こっちへ行ってで書類手続きを全て終わらせてくれた。書類が全て揃うのにかかった時間は4時間。
トルクメニスタンの入国で印象的だったのは、まず今回の旅を通して初めてコロナの検査があったこと。検査といってもザルで、ちゃんとテストにかけてるというか形式的にやってる風にしているという感じではあったが・・・。
車両に関する手続きは煩雑で、予定されているルートを地図にトレースして、それに沿って燃料税みたいのが計算される。これが一番入国料の中で高額になる。その他にも車両の消毒や保険、車両のエントリー料のようなもなんかも含めて、最終的にはミグレーションの方も含めてレシートが10枚くらい発行された。内訳は複雑だ。
トルクメニスタンのビザ(アライバルでパスポート・ステッカー方式)
発行された書類。
“for compensation of the fuel cost” という項目が、国内移動距離に応じて計算されて 予定距離およそ1,400kmの分で USD 240 もとられる。しかし「燃料費の補償として」ってのはイマイチよく意味がわからない。現地での燃料費は当然自分で払うんだが・・・たぶん環境負荷税みたいなもんなんだと思う。
No carnet
No covid
No fee
Luggage inspection
No Carnet
Covid negative test
Finger scaning
All luggage inspection
USD 80 → Visa on Arrival, Migration tax, Covid test…..
USD 290 → Vehicle disinfection, Vehicle entry&transit fee, Fuel cost, Insurance, Documentations……
時間とお金はかかったけど、無事トルクメニスタンに入国。
この日は、いきなり大目玉のガス・クレーター 通称「地獄への門」へ向かう。
カラクム砂漠南下
ここからトルクメニスタン国土の大半を占めるカラクム砂漠のど真ん中に突っ込んでいくため、先に給油。
実測にて RON95 で 1.5 manat/ ℓ = リッター約10円。
イランの最安値は絶対に更新されないだろうと思っていたけど、ここにきてほぼ同列1位の圧倒的安さ!
Dashoghuz の街を通て、ひたすら南下するハイウェイに入っていく。
道は舗装されているものの、100kmほど進んだ辺りから非常に悪くなって、穴だらけ亀裂だらけでまともにまっすぐ走ることができない。
「黒い砂」の意味を持つ通り、やや黒みがかった場所もあるけど、イランのルート砂漠のように茶色でサラサラの砂丘がつづいたり、ステップ砂漠のように低木が生い連なったり、色々な景観が移りかわっていく。
注意深く走っていても、たまにけっこうな窪みに突っ込んでしまい、ガクン!と強い衝撃が走る。その度にフロントのリム打ちが不安になる。荷物もフル積載なので、振動による車体へのダメージも相当だ。
横を通ったカナダからの旅行者が車の中から撮った動画を後から送ってくれた。舗装路なのにほぼずっとスタンディングで穴を避けながら走らなければならない。
だんだん日が傾いてきた時、雲間からこぼれる光が美しい。
地獄の門 Gas Crater
そんな感じで、国境を越えてから300kmほど南下した場所で、ハイウェイを逸れて未舗装路へ入っていく。
概ねフラットダートなものの、砂漠のど真ん中なのでフカフカの砂地も何回か越えなければならない。ほんとに砂は怖い。
車のタイヤ跡がなければどこを進めばいいのかも分からない。実際には前をガイドの車が走ってるんだけど、砂漠を走ってる時はいつも死の世界を連想する。ルブアルハーリー砂漠でのクラッシュは、軽くトラウマになってるんだな。
途中出会った旧ソビエト製のネイキッド。リアの柄がかっこいい。
夕暮れのカラクム砂漠、西の方がやや橙色に染まるなか、
トコトコと更に進んでいくと、
ついに、突如としてメラメラと燃え盛る炎が砂の平原の向こうに見えてくる。これこそ、” The Gate of Hell” 通称 地獄の門だ。
自分がどうやってこのガスクレーターについて知ったかはもう覚えていないけれど、アフリカツインでユーラシア横断をした合田氏が訪れていたのを以前なにかの記事で拝読して記憶に残っていた。それ以来、自分のバイクでここに来るというのが、「頭の片隅にある夢」のようなものだったけれど、ついに実現することができた。
ここまで1年、色んな場所を走ってきたけれど その中でも自分にとって非常に特別な瞬間のひとつになった。
クレーターの脇にテントを張ってもよさそうだったけど、クレーター脇は熱風で暑いし、ユルトをつかっても金額は変わらないので、この日はユルトに宿泊することにした。
完全に暗くなった後、砂漠のクモやカゲロウを眺めつつ改めてクレーターへ向かう。
暗くなってからが地獄の門の本気なのは言うまでもない・・・
なんという光景だろうか、、、事の始まりは1971年、ガス田調査のため当時ソビエトが持ち込んだリグなどの掘削重機が洞窟に崩落する形でクレーターが形成されたらしい。これによって内部に貯留していたガスが放出し出したため、環境負荷と地域住民の健康への配慮からガスを燃やし尽くす算段で点火されたのが、未だに燃えているのだ。もう50年以上。クレーターの直径は70m、深さは30mもある。一応柵は設置されているものの、ギリギリ縁まで行くこともできて、まさに地獄の淵に立っている気分だ。吹き上げて来る熱風でより恐ろしい気分になる。
2010年には大統領によって封鎖の命がだされたらしいけど、結局未だにガスクレーターは一大観光地として外貨の稼ぎ頭になっている。これを旅人の間ではトルクメニスタンの消す消す詐欺と呼んでいるが、果たしていつか本当に封鎖されてしまう日はくるのだろうか。
特にクレーター中央からは激しく炎が噴き出している。写真や動画ではただの橙に写ってしまうけれど、肉眼でみると白・緑・紫など様々な色に炎色した炎がまるで幽霊のように噴き出しては空中に消えていく様が本当に綺麗だった。
願わくば、このまま本当に内部のガスが燃え尽きるまでこのままこの奇妙で壮大な光景を残して欲しいところだけど、はて、内部のガスが燃え尽きるなんてことはあるのだろうか、そして一体いつまでこの炎は燃え続けるんだろうか・・・
おまけ
トルクメニスタンの紙幣。1 USD = 19 manat.
イランやレバノンと同様、ブラックマーケットでの交換に留意。
つづく