【The Islamic Republic of Iran episode4】イラン南西部の古代遺跡を巡る Chogha Zanbil; チョガ・ザンビールと Susa;スサの遺跡

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

イラン南西部から首都テヘランへ向かい北上する道中、いくつかの寄り道をして行きます。

エラム人の遺跡 Chogha Zanbil へ

シュシュタールからやや北西に走っていくと、途中に菜の花が咲き誇っていた。なんだか春だねぇ~。

途中しばらくは線路と併行する道路を行く。
これはおそらく Trans Iranian Railway; イラン縦貫鉄道のものだ。

丘陵に低木が茂り、時たま深い亀裂を伴う特徴的な地形。

そんな感じでやってきたのが、Chogha Zanbil; チョガ・ザンビール。

紀元前1.250年ごろ 古代エラム人の王 Untash Napirisha; ウンターシュ・ナピリシャによって建設されたと考えられている広大な遺跡群で、

 

底部の1辺が約100mを越える巨大なジッグラトがそのシンボルとなっている。

イラクのナシーリヤの街で見たウルの古代ジッグラトと同様、ピラミッドの頂上には祭神を祭る祭壇があったらしい。
ウルのジッグラトがNannaを祭っていたのに対して、古代エラム人の神は Inshushinak神 で、アケメネス朝の首都スーサの守護神にもなっている。

アケメネス朝の王都 Susa;スーサの遺跡

チョガ・ザンビールから更に北西へと向かう。
長閑なイランの田舎景色が広がる。

デズ川周囲の特徴的な地形と景色。

30km ほど走るとすぐにスーサの街に着いた。現地の発音ではシューシュと聞こえる。

エラム王国、そしてアッシリアに滅ぼされた後、再びアケメネス朝期に王都として栄えたスーサには、その跡をみることができるサイトがある。

紀元前4,000年よりも以前の都市住居跡が層を成して発掘されている。
かの有名はバビロンのハンムラビ法典も、ここから出土したらしい。エラム人がバビロニアから持ち帰ったという。

サイトは広大で、いくつかのセクションに分かれている。

アケメネス朝のダレイオス1世によるアパダーナの跡。アパダーナとは、古代ペルシャ様式の列柱広間で、そこにあった柱の残骸がのこされている。元々は23m超の高さがあったという。

アパダーナに鎮座するライオン?

菊の16ならぬ12家紋??

爽快な景色と綺麗に整備された順路。

遠くには Shush castel が見える。

エラム時代からイスラム時代まで異なる15の時代の遺跡が点在するなかで、ここは「15番目の都市」と呼ばれる紀元前1,900~1,500年頃の都市塹壕。

城に向かってつづく未舗装の細い道が、まるでファンタジーのひとこまのよう。

しかし、この城は実はそういった歴史と関係があるというのではなく、19世紀末にフランス人考古学者によって発掘の拠点とするために建てられたらしい。

しかし発掘の拠点とするのにここまで壮大な城をつくる必要があったんだろうか・・・

当時使われていたであろう車や器材。

城の裏手より。

バイクは特別に管理棟のすぐ脇に停めさせてくれていた。
見ていてくれた警備員に礼を言って、スサを出発する。

つづく

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