【Islamic Republic of Pakistan episode 6】最後の桃源郷 Hunza; フンザへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ギルギットから更に北へ、最後の桃源郷とよばれ パキスタンの中でも日本人に馴染みのある観光地 Hunza; フンザの渓谷へ向かいます。

蛇足ですが、パキスタンのフンザは「草原の椅子」という邦画(原作は宮本輝)の舞台にもなっています。「カラコルムハイウェイ」という言葉も劇中で登場するので、よかったらチェックしてみてください。

ここまでのルート

Hunza へ

ギルギット以北の道は、非常に舗装状態がよく、なぜか首都イスラマバード近郊よりはるかに走りやすい。これは中国とパキスタン北部のトレードが盛んなためかもしれない。

ギルギットからフンザの中心地 Karrimabad; カリマバード まではそんなに時間もかからないので、自撮りする余裕があった。

ギルギット以北辺りから、カラコルムハイウェイと併行する川は Hunza River と名前を変える。

ハイウェイの東西には7,000mを越える山々の峰が隠れてはまた現れる。

中央に見えている冠雪の峰が、Rakaposhi山で、標高は7,788m.

Rakaposhi View Point なるこの地点には、店も複数出ていて、地元で採れたウォールナッツを使ったケーキを食べることもできた。ちょうどいい昼飯だ。
ラホールから来ている観光バスも停まってたなぁ そういえば。

途中、フンザ川を渡る橋に狛犬的な像が。このハイウェイが中国の協力のもとつくられたことが思い出される。

さすがにこの吊り橋は渡りたくないね!

I ❤ HUNZA のプレート。もうフンザの渓谷に着いたようだ。

圧倒的な絶景。自分で撮っておいてなんだけど、これは絵本かなにかの切り抜きかい?

ハイウェイをやや外れて、更に高台と斜面のつづく場所にカリマバードの街は広がっていた。

Altitfort

カリマバードは1974年までこの地を治めていた フンザ王国のMir;ミール=つまり国王の本拠地、今でいえば首都のようなものだった場所。
なので彼らの居住地であった宮殿のような建造物が残っている。

そのうちのひとつが Altit Fort.
メインの塔に関しては9世紀頃のもので、1,100年の歴史があるといわれている。この辺の歴史に関しては詳しい記載があまりなく、実際にはあまりよくわかってないことも多いらしい。9世紀頃というと、フンザ藩王国よりもはるかに前の時代で、起源には中央アジア遊牧民のエフタルやフン族などが関係しているようだが・・・

塔内部は複数の部屋が複雑に入り組んでいる。急な階段は日本の城みたい。

柱の彫刻。アルティット・フォートは内外共にかなり進んだ修復が施されている。

メインの塔と、

フォート頂上からの眺め。

フォート周囲や、フンザ渓谷を含めたこの界隈には、少数民族の Brusho; ブルーショ族が暮らすと言われている。台車で遊んでいた彼らがその部族の一員なのかはわからない。

このTシャツいいな。

Baltit Fort

カリマバードの Old Fort Road に並ぶ店。

急な上り坂を上っていく。

周囲には登山家たちに愛される名峰が多くあるということで、本格的な登山用品店もあった。

伝統的な織物やかーぺーッとの店。羊毛を編んで作られるカーペットでも有名だ。

そんな坂道の頂上に鎮座する Baltit Fort.

先のAltit Fort と同じく フンザのミールの宮殿が今はミュージアムとして修復・公開されている。

内部の様子。バルティット・フォートは、先述のアルティット・フォートより新しく、約800年前につくられ始めたと言われている。フンザのミールはこちらのフォートに移り、おそらく20世紀まで使われていた。

頂上からの景色と、アイベックスの頭蓋骨。

木の組まれ方や、彫刻は独特で、イメージとしては南米の古代文明を連想するような雰囲気だったけど、何の関係もないと思う。

そしてどこまでがオリジナルでどこからが修復なのかは分からない。

1990~1996年:バルティット・フォートの修復チームの写真。

左は、1950年頃に撮られた当時のミール Mohammad Jamal Khan と、その息子 Ghazanfar Ali Khan.
右は同じく Mohammad Jamal Khan とその妻 Rani と娘の写真。

1930年代、中国とフンザの間の貿易協定を示す証書。

フンザの伝統的な帽子を被った警備員と。いや二人とも笑えや。

バルティット・フォートのすぐ近くに暮らす人々。

Hunza の宝石職人

バルティット・フォートを後にして坂道を歩いていると、ラピスラズリの石が沢山置いてある工場を見つけた。

こんなデカいラピスがごろごろと、、、なぜだろう、何かの小説の影響だと思うけど、ラピスラズリは子供の頃から大好きな鉱石だ。

店主が工場内に招き入れてくれて、色々と見せてくれた。

鉱石を専用のスティックに固定して、それを特殊な工具に固定して研磨機で磨いていく。

ラピスラズリはアフガニスタン産だけど、他の石はギルギット・バロチスタン州 フンザ渓谷界隈で採れたものが多いらしい。

トパーズやオニキス、クオーツにルビーやサファイア。

綺麗に研磨されたエメラルド。このおっちゃんは研磨専門で、それを宝石商や他の象嵌職人に売るようだ。う~ん、やっぱ宝石ってのは、ただの石だけど 不思議な魅力があるなぁ・・・デビアスが炭素の塊に天文学的な金額を付与できる由縁だろか。

Old Fort Road 雑景

フンザは世界的にも著名な観光地ということもあって、観光客向けのお土産屋も多い。

コロナ前は日本人観光客も多かったようで、簡単な日本語を話せる人がけっこういる。

とはいえ、管理人が滞在していた2~3日で、国内以外からの観光客は全然みかけなかった。殊日本人に関しては、桜のシーズン、4月ごろにフンザの桜を見にくる人が多かったらしい。

よく見かける動物を象った置物。

店主が中に招いてチャイを淹れてくれた。

冬は厳しい寒さとなるこの地域ならではの、防寒着など。

宝石関連の店も星の数ほどある。

ギルギット・バロチスタン州登録のナンバープレートにはアイベックスのロゴがあってかっこいい。
パキスタン北部に来ると、明らかに日本で使われてたんだな、っていう「~~工務店」とか「~株式会社」って書かれた車を沢山みかける。

観光客向けのジープツアーもあるようで、こんな感じのジープも沢山みかける。

フンザの Tourist Police なる白バイ? メーカー不詳、たぶん中国製。

Hasegawa Memorial Public School

フンザの人たちは日本人に対して非常に親しみを持っている。まぁ人によるっちゃあ人によるんだろうけど、特に40~50代以上の年配者ではそれを強く感じる。日本人観光客が礼儀正しく、お金を沢山つかってくれるというのもあるかもしれないけど、ここカリマバードには日本人がつくった学校があるのだ。

長谷川恒男という男をご存知だろうか? 彼は日本の登山家で、1996年にフンザにある Ultar山で雪崩にまきこまれこの世を去った。

当時どういった経緯で学校がつくられることになったのかはよくわからないけど、彼の妻 長谷川昌美氏によって夫の死没地であるフンザのカリマバードに学校がつくられたのだ。

校長室には日本の国旗。

ほんの3歳くらいから高校生くらいの年代まで、およそ600人近い生徒たちが今日もこの学校で学んでいる。

学校の建設に際しおそらく資本面で協力した三菱のプレート。パキスタンの北の果ての小さな村にねぇ、、、と、自分は何の関係もないけど、ちょっと誇らしい気持ちになるのは禁じ得ない。

ちょろっと見学するだけのつもりだったんだけど、日本から来たと伝えると 校長先生はじめ沢山の方が歓迎に出て来てくれて、なんだかとっても恐縮でした。

Eagle Nest View

とある日、カリマバードの村の頂上付近までバイクで上っていく。

Duiker Hill と呼ばれる地点にバイクを停めて、更にそこからこんな感じの坂道を徒歩で上っていくと、

鷲の巣からの眺め と形容される眺めは、来た道で見た Rakaposhi峰、その東にDiran峰、Kunyang Chish峰、背後には Lady Finger 峰や Ultar峰、と四方を囲む山々を360°見渡すことができるポイントだ。

残念ながらこの日は雲が厚く、Lady Finger の尖った輪郭線を見る事はできなかったけど、一瞬雲の隙間からその”指先” が覗いた。

こんな細い山道だけど、ある程度舗装されてるおかげで、多くのポイントはテネレで回ることができた。

というわけで、今回はフンザの中心的な村 カリマバードのレポートでした。

つづく

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