こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
カルネの有効期限切れ問題によってインド行を中止し、カルネ非対象国へ移動する必要がでてきました。
イラン経由でトルコまで逃げるのが一番リーズナブルな案だったのですが、来た道を戻るのはどうしても避けたいです。
ということで、何が何でも中国経由で中央アジアへ抜ける道を模索する必要があったのですが、それには中国ビザが不可欠。
在イスラマバードの中国ビザセンターには2度、きっちり書類の耳を揃えて突っ込んだのですが、どちらも玉砕。
外国人が在イスラマバードの中国ビザセンターから中国ビザを申請する場合は、パキスタンビザのカテゴリーが「学生・家族・ビジネス・・・」などでないとだめだというのです。管理人のビザは当然「ツーリスト」なので申請不可。
この時は なんじゃその理由は!と思ったのですが、後々調べたり、他のツーリストの話を聞くと、どこの国も同じよう。
で、その後は紆余曲折に紆余曲折を経て、無事中国ビザを取得するに至りました。
その紆余曲折が大事なとこなのかもしれないのですが、諸事情によりそれは本ブログでは完全に割愛しようと思います。
いずれ、近しい友人達には直接話そうと思います。
とにもかくにも、中国ビザをゲットしたことで、あとは可及的速やかにパキスタンを現カルネで無事出国するのが目下の課題となったわけです。
ここまでのルート
Besham; ベシャム への道中 最悪の事件勃発
長らく滞在したイスラマバードを去って、北へ向かうわけだけど、最も近いと思われる Naran 経由の道は未だ雪で閉鎖されているという本当かどうかよくわからない情報を入手したので、やや北西の Besham を経由するルートで向かう。
イスラマバード→ベシャムには下道とHazara Motorway という高速道路がある。なるべく道を急ぎたいので、高速道路を使いたいのだけど、入場ゲートで止められる。
「頼むよ~~」
と頼んだら、意外にも係員のうちの一人が中に入れてくれた。
高速道路はめちゃくちゃ軽快で、ぐんぐん距離を伸ばせるが、、、、
途中で交通警備隊の警察に止められる。
「この道はバイクは走行できないぞ!」
内心 いや知ってるんだけど・・・・ と思いつつ、
「え?!まじ!知らんかった! でもこれ700ccだから大丈夫! OK?! じゃあ行くよ?」
と振り払おうとするも完全に止められる。全く融通がきかない。
「白線の外を逆走して入ってきたゲートまで戻れ」
と無茶苦茶な事を言ってきたので、それはさすがに危険すぎるだろバカか?と思い 次の出口で出るという提案をしたらOKだった。
一旦事なきを得て、そのまま進むと、ほどなくして出口が見えてきたが、、、
無視してそのまま高速を直進。このまま警察にさえ会わなけりゃ知らんぷりで一気にベシャムまで行けるだろ、、、と思っていた矢先、
再び別の交通警備隊に止められる。
「なんで出口で出なかった?」
「え?! 出口ってもうあったの?? 全然きづかなかった!!」
としらばっくれるも、ちょっとお怒りのようで、いろいろ取り繕って事なきを得たけど、今度は出口まで併走されることになって、結局次の出口で下道におろされた。
しかしまぁ30kmくらいは高速で距離をかせげただけでもよかった。ここからは長い長い下道がつづく。下道で時間を食うひとつが、小さな街を通過するごとの渋滞だ。でもまぁこうやって渋滞に巻き込まれながら次々に現れるパキスタンの街を見るのも、大事なことではある。
全てがこんなに舗装状態の良い道なら楽なんだけど、、、実際はぼっこぼこのでっこぼこで、大量のデコトラでスタックしてる道が多い。
この日は朝早く出発したから、昼前に睡魔に襲われた。10分くらい草むらの上で横になって目を閉じる。これだけで気分がリセットされて再び運転に集中できる。
昼休憩をした街。もはや今自分がいるのが地図上のどの街なのかをいちいち確認することもできない。
この日、いや いままでの出来事の中でも最悪といっていい事が起きたのはこの後だった。
崖崩れで半落した狭い道路になぜかバカでかいタンクローリーがスタックして道が閉鎖されてしまっていた。迂回路として地元警察が案内してくれた道がとても大型バイクで通るような道ではなかったんだけど、この道を行くしかない。
まじでこかしそうになりながらもなんとかこのエンデューロみたいな道を上っていく。
あと、少し ようやく閉鎖されていた道路のつづきの道に出る直前 という場所にさしかかって、なにやらぬかるみのような場所を通らなければならない。
なんだかやたらハエが沢山いるなぁ と思いつつも、冷静にその理由を考える前にクラッチを繋げてしまったのが運のつきだった。
当然ノーマルタイヤでしっかり減圧もしていなかったから、グリップせずに転倒。
転倒したバイクを起こそうとして身をかがんだ時に臭いでそのぬかるみの正体に気づいたのだ。
上を見上げると目指す舗装路の脇に設置された公衆便所・・・・
このぬかるみは、ちょうどその「垂れ流し」が溜まっている場所だったのだ。
この時の気分といったら、サウジアラビアの砂漠でクラッシュした時のそれを違う意味ではるかに凌駕する精神的ダメージだった。
徒歩で道先案内をしてくれていた警官も手伝ってくれて引き起こすも、再びウ〇コの中に転倒。
もはや絶望を通り越して無の境地に至れそうだった、というかバイクもろとも無に帰したい気分だったけど、もう一度引き起こして今度は支えた姿勢のまま脱出を試みる。
ウ〇コの上を後輪が高速で空転し、ウ〇コが焦げる何ともいえない新たな悪臭が辺りを包む。
その煙と共に昇天してしまいたい気分を抑え、なんとか脱出。
ウ〇コまみれの車体右側を引きずってようやく舗装路に復帰した。
この圧倒的不幸中のわずかな幸いといえば、ウ〇コが新鮮ではなく、やや土壌細菌の分解を受けた後の状態だったようで、「わずかに」臭いがマシだったことだろうか。件の公衆便所の水を汲んで、可及的にバイクとパニアを洗って再出発した。
ようやく帯状疱疹が回復しつつあり、「禍福は糾える縄の如し」に沿えばきっといい事があるだろうと考えていた矢先、その期待をマイティ・ソーのハンマーで完膚なきまでにぶち壊された気分だった。
だがなぜだろう、その後しばらく走っていると、だんだん気分は爽快になっていった。というか笑えてきた。Tough Time というのは、その渦中は辛さしかないけど、過ぎ去ってしまえばそんなもんである。
中国との国境も近いため、標識には漢字が混じりだす。
途中、Battagram という街の付近、橋の上全体がバザールになっていて印象的だった。
Battagram で、Hazar Motorway と今まで走ってきた下道が合流し、ほどなくして ベシャム へ到着した。
ベシャムに到着したのは、既に出発から8時間。高速をあのまま走れていたらベシャムまで3時間、今日中にギルギットまで行けたが、この日はベシャムで一泊することにした。ベシャムで食べた夕飯のチキンカレーが、パキスタンに入国して食べたものの中で一番うまかった。そしてチャイをまともにちゃんと飲んだのはこれが最初な気がするけど、、、ちゃんとしたチャイってまじでおいしい この日の疲れが一掃されるようだった。
宿の人が床掃除をしていたので、洗剤を貸して欲しいといったら、そのままテネレと荷物とブーツのウ〇コ付着部位を洗剤でキレイにあらってくれた。まじ感謝。
今日は色々あった。色々あり過ぎだ。
Gilgit; ギルギットへ
この日も朝早めに出発。
相変わらずのインダス川を見下ろしつつ、山道を進んでいく。
チェックポイントも度々現れる。基本的に長く止められることはなく、パスポートとビザの提出で5~10分で解放される。
イランのホウラマンバレーを思い出すような斜面の家々。
デコトラとのすれ違いは要注意。
イスラマバード→ベシャム→ベシャムから50kmくらいは、ハイウェイと呼ぶのも憚られるようなひどい舗装状態/未舗装な場所が多い。山の上から流れる水で氾濫した道路を渡らなければならない場所も数えきれないくらいあった。
それでも、この険しい渓谷にこれだけの道をつくってくれたのには大変感謝である。
舗装路に放牧の山羊や牛、ロバがいきなり出てくることも多いので、いずれにせよスピードは出せない。斧を背負ったロバがかわいかった。
途中、街の雰囲気を撮っていると、
こっちこっち! と手招きしてチャイをご馳走してくれた。
彼らもまた、アフガニスタンからの移民で、この街で小さな商店を開いて生きている。
カラコルムハイウェイの道中、一番怖かった川渡り。流れも強く、深さは膝下くらいまであっただろうか。
何かの復旧作業で現場にいるパキスタン人が、 Go! Go! と煽ってくるのがまた・・・
いやちょっと待てや、こっちにも心の準備ってもんがあるだろうが!
きれいな高山植物。
道路の復旧作業なのか、何かの建設施工によって道路が一時的に閉鎖されてしまうこともある。この時は20分ほどで開通したが、、、
道の上から声がするから見上げると、子供たちが手を振っていた。
停めて写真を撮っていると集まってきた。きっと大型バイクを見たのは初めてかもしれないけど、「2輪のデカい乗り物」をなんとなくかっこいいと感じるセンスは子供ほどピュアに残っているらしい。
石レンガ上に木造の商店が連なる街。
そしてまた暫間的な通行止め。みんな長蛇の列をなして開通を待つ。
トラックの運ちゃんたちも皆運転席から下りてきて、道端でだべっている。今回の封鎖は、開通まで1時間以上もかかった。
封鎖されている最中、100~150mくらい先の道路に、軽自動車くらいのバカでかい落石があった。落石というか、あれは落岩?音も雷みたいな音がした。
おいおいおいおい ちょっと待てぃ!
あんなのに当たったら万に一つも助からないどころか一瞬でお陀仏じゃねーか!!
この付近で網の目の様に支流を成すインダス川。
ベシャムを過ぎて50kmほど走った辺りから、道路の舗装状態が急激によくなる。
冠雪の山々も見えてきて、いよいよ本格的にパキスタンの「北部」にやってきた雰囲気だ。
未舗装区間はほんの断続的に現れる。
南部に比べると、デコトラの数はだいぶ少なくなってきたような印象だけど、そういうもんなのかな。
谷の底を流れるインダス川の岸に、白い砂丘のような砂浜が広がる。
と、そんなこんなで、計3回の道路封鎖もあってかこの日はギルギットに到着するまで 11時間かかった。
早朝に出たのに、ほとんど長めの休憩なしで既に日が沈みかかる時間になってしまった。
ギルギットに着いてすぐ、来てみたのが Kargah Buddha と呼ばれる、崖面に彫られたブッダの像。
パキスタン北部はガンダーラ帝国の治世の遺物が多く残っているけど、今回北西部の遺跡などは訪れなかった。この彫刻は7世紀頃に彫られたと考えられていて、イスラーム以前仏教の中心的な場所だったこの一帯には、このような遺跡が。点在している。
ギルギットの夕暮れを進む。
収穫を行う女性たちと手伝いの子供たち。
ギルギット界隈ではテントを安全に張れるような場所は見つからなかったので、市内中心にもどって行き当たりばったりで見つけた宿に投宿した。
つづく