【Islamic Republic of Iran episode18】西アゼルバイジャンの巨大な塩湖の今  そしてウルミアへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

数日滞在したタブリーズを去り、北西イランのアウトラインをなぞるように西へ進んでいきます。
アルメニアとの国境付近にあるアルメニア教会を見に行きたかったのですが、全体的な行程を鑑みて直接西アゼルバイジャン州の最大都市 ウルミアへ向かいます。

ここまでのルート

Tabriz Railway Station

タブリーズを離れる前に、市内西部にある鉄道の駅にやってきた。

古い駅舎か、倉庫だろうか。

実働の方の駅はこんなに立派で綺麗だった。

稼働当初に使われていたであろう蒸気機関車の一部が展示されていた。

現在はこっちが現役。

Kandovan村

ウルミアへ向かう道中、少し寄り道をしていく。

道中、高台の道路から見た集合住宅。

天気はよく、気温も暑くも寒くもない。

と思っていたら、だんだん標高が高くなるにつれけっこう寒くなってくる。

そして到着した、Kandovan;カンドヴァン村の入口。

ウェルカムボードには日本語の「ようこそ」もあってちょっと嬉しい。

カンドヴァン村の標高は2,000mを越えるため、辺りは雪景色。気温は10℃前後といったところだったか。

雪山の手前に、まるでとんがりコーンのような尖った岩々が連なっているのが見えるだろうか。カンドヴァンの村は、700年ほど前に遊牧系のイラン系民族として知られるカシュガイ族の一派によってつくられたらしい。

現在の村の男衆。

村に巡る石の階段を上っていく。まさに”Rocky Villege”.

かわいい小さな扉たち。

カンドヴァンのにゃんころ。

いまでも人が住み、暮らしているこれらの住居からは時おり生活の音が聞こえてくる。
しかし、村を歩いている時にかすかにチョコレートのような香りがずっとしていたのは何だったんだろう・・・?

主の帰りを待っているのか、ただ通りを眺めているのか。

村自体は本当に小さな村なので小1時間もあれば全体を見て回ることができる。

街のお土産屋。カシュガイ族は遊牧に使われるテントや伝統織物のキリム、伝統衣装などのデザイン性が非常に多彩なことで知られる。

おっ、こりゃあシートに敷くのにかなりベストサイズなシープスキン・・・南米走行中のゆーしはどっかで買って敷いてたな。

豊富なナッツの類と、バラの花を見せてくれた店主。翻訳アプリで一生懸命話しかけてくれた少年。

遊牧されている山羊や羊も、よく見比べてみると色々と種類があるみたいだ。

駐車していたテネレに集まってきた黒猫たち。寒いからエンジンの熱に引き寄せられたか。Neko Charge はさせてくれなかった。

Qadamgah の Mithra Temple

カンドヴァンの村を後にして、次の寄り道ポイントへ向かう。

タブリーズをウルミアを結ぶ大きな21号線を南に外れ、かなり寂れた雰囲気の村なんかを通り過ぎつつ、

辺境の道を進んでいく。

春を迎えつつあるイラン北西ののどかな田舎。

そんな感じで辿りついたのが、Qadamgah Temple という名の岩肌を直接くりぬいてつくられたであろう古代のテンプル。
元々全然知らなかったけど、タブリーズのAliが教えてくれた。主要道路からそんなに離れてないので、寄ってみたのだ。

  

入口にはやはり Mithra のハスの花びらの紋様がある。

おそるおそる中にはいってみる。

内部は半球形のドーム状で、ちょうど頂上部分に天井穴があって太陽光が天然の照明となっている。ベースは直径30mにもなる広さで、ひとりで中にいるとやや恐怖を感じた。
このテンプルがつくられたのは1,200年前くらいとされていて、時期としてはちょうどイスラームの勃興と同時期か少し後だけど、おそらく初期の崇拝対象はゾロアスティックなものだったに違いない。サファビー朝の頃からはモスクとして使用されはじめて、現在にいたる。暗いドーム内にはサラートのための絨毯が1枚敷かれていた。

Urimaへ ~今旅最大の失くしもの

主要道路に戻りウルミアへ向かっていくと、道路の左、南側はやがてまじでなんもない平原へと変わっていく。見渡す限りの地平線。

途中、売店に寄って休憩していると、ある事に気が付いた、、、

ジャケットの右胸ポケットが開いたままだ・・・

まさかと思い中を確認すると、入れていたはずの紙のうち1枚がない。
1枚はバイク用の走行許可証で、もう1枚はビザだったのだが、ビザの方がない!

辺りを探すも見当たらず、こりゃ完全に道中走行風でどっか飛んでったな、、、
F〇uuuuuuuuuuuuuck!!!

ah sorry.

ここまで特段盗難にも紛失にも見舞われずなんとかやってきたがついにやっちまった。
まぁ戻って探すわけにもいかないし、ないもんは仕方ないので 嫌な気持ちのまま走りだす。ウルミアの街でなんとかならないか、後でAhmad に確認するしかない。

Urmiaの塩湖

ごつごつとした殺風景な山間を貫いていく道。

そして左手に、ついに巨大な塩湖 ウルミア湖が姿をみせはじめた。

16号線の道はこのウルミア湖のちょうど中心を横断する形でウルミアの街へとつづく。

あの橋を渡る。

橋の手前の検問で警察に超絶ガン見されるのを華麗にスルーして橋上へ。イラクだったら確実にとめられている。

死海の時に経験したそれと一緒で、どうやら塩分濃度が高いと湖面と空の境界が不明瞭になるようだ。これはなんていう現象なんだろう?

ウルミア湖はイラン最大の湖で、世界的にみても巨大な面積を誇っていたけど、やはり水の異常蒸発と流入水量の低下によって湖面低下や至るところでの湖底面露出という危機に瀕している。近年になってから保護活動が開始されて、一時よりは水量に回復がみられるらしいが、今後はどうなるんでしょう。
塩分の堆積による大気汚染と健康被害 があるというのをネットで見ていたけど、なるほどたしかに、ウルミア湖に近づくと海の磯臭さを凝縮したようななんともいえない嫌な臭いが鼻にのこり、ここでずっと呼吸はしていたくないなと感じた。

橋を渡り、

ウルミアの街に着いた。

さて、まずはビザ紛失問題をクリアしなければならない・・・

つづく

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