こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
Kufa の街を去り、イラクを少しずつ南下していきます。
ここまでのルート
Samawah の街に途中下車
クーファを去る時。宿のじっちゃま。
この日は次の町 Nasiriyah;ナシーリヤ まで行く予定だったんだけど、途中のチェックポイントで通過するのに2時間もとられてしまった。
Nafaf県からQadisiyah県、そしてMuthanna県へと県をまたぐルートだったけど、なぜ今回のチェックポイントでこんなに時間がかかったのかは不明。
サダム政権時の旧スンニ派地域から、旧シーア派地域への境界だったのかもしれない。
北部のクルディスタン自治区はより自治制の強い(というより彼らは自分たちをイラクの一部だと認めていない)地域なので、北部へ行かず南下したのは正解だったかもしれない。この調子ではわずか100km進むのに何時間かかるかわかったもんじゃない。
クーファを出発する前に ラマディの町で世話になった Ambar Bikers の Abdullah氏 に紹介してもらった Dhi-Qar Bikers の Karrar氏に連絡をいれておいた。
そしてあまりにもチェックポイントでの時間ロスが大きかったので、道中のSamawah;サマワという街から Samawa Bikers の Tamar氏がチェックポイント出口まで迎えに来てくれた。
Tamar の愛車は御覧の通り、Honda Gold Wing.
こうやって現地のバイク乗りが一丸となって助けてくれるのも、バイクで旅しているからに他ならない。特にイラクは日本製バイクへの愛情が強い。
サマワの町に着いたところ。こっちこっちと言われて民家のマジレスに通してもらいボリューム満点のシュワルマをご馳走になった。
今日はナシーリヤまで行かず、Samawa Bikers のリーダー Sarmad氏の家に泊めてもらうことになった。
イラク南部の家では、こんな感じで内壁に必ずといっていいほどイマーム・アリーの肖像画がある。
テネレはSarmadの経営するバイク屋さんに停めさせてもらえた。左がSarmadの愛車、GS 1250.
店内の様子。
販売されてるパーツ類は地域で需要の高いスクーターや125~250cc中華バイクへの汎用品が多い。
テネレは置いて、Tamar にタンデムさせてもらいサマワの街を見せてもらった。
途中、道端のペットボトルで給油。
すっかりシーシャ漬けになってきてしまった。
クレイトップやホースのストック。
一度Sarmadの店に戻ると、フロントフェンダーを換えないかと提案される。確かに、サウジのメディーナでハリボテ加工してからなんとか針金で支えている状態だった。
ちょうどいい形のフェンダーを探し出して、
良い感じに補強、ロングカラーでオフセットしつつ、
取り付け完了。完全にハイフェンダー化された👍
ついでに足回りの洗浄もしてもらった。全部無償だ。
SarmadのGSで気になったところも少し紹介。あまり見たことがないサイドパニアの上方エクステンション。これで50ℓくらいなのかな?
ウィンカーガードってなんかいいよね。重箱の隅を~的な感じで。
クラッシュバーに装着されたUS army の水筒とサブポーチ。
スクリーンは各県のバイカーズ・ステッカーで埋まる。
しかしこの調子だとイラクを出国するまでにテネレのスクリーンも同じような状態になりそうだ笑
Sarmadの家に戻ると、ちょっとお腹が出てるんじゃない?なDaniel と妖精みたいにかわいい Zahre が取っ組み合いとクッションの叩き合いをして遊んでいた。
そんなDaniel がセッティングしてくれた今日の寝床🤣
Nasiriyah へ
翌日は、朝 サマワ市内にあるミュージアムに連れて行ってもらい、出発した。
GS と Sarmad.
荒れた土地に電線が延々とつづく道を東に進んでいく。
途中再びチェックポイントでしばらく停められる。その間に Karrarに連絡を入れたら、また市内入口まで迎えに来てくれるという。
Dhi-Qar Bikers の登場だ。
鮮やかなオレンジに塗装されたSteed とFaqar氏。
やはりSteedと、Dhi-Qar Bikers のリーダー Karrar氏。
そして 本当に金色のGold Wing と Ahmad.
Ahmad のゴールドウィングには日本のステッカーが沢山貼られいる。
この車輛を売った人も、まさかイラクで大事に乗られてると知らないだろうなぁ。M男注意・・・・?
4人で昼飯を食べて、これから Ur の遺跡に連れて行ってもらえることになった。
牛乳みたいなのは Leban; レバン 飲むヨーグルトみたいでうまい。
つづく