こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
なかなかに骨の折れる国境越えと、その後の護衛走行を経て Ramadi へ、そしてようやく首都 Baghdad; バグダッドへやってきました。
バグダッドは交通量が多く、あまりバイクで走り回りたい気が起きなかったのですが、そんな中巡った場所を紹介しようと思います。
まずは髪でも切るか
バグダッド滞在中の3大のミッションは
・無くなった洗剤の購入
・在バグダッドイラン大使館でのイランビザ取得
・散髪
だった。
宿の近くあった床屋に適当に入ってみる。
ドーハにつづいて、これで旅を初めて2回目の散髪になる。彼らからすると管理人の直毛は珍しいようだった。
Firdos広場とAl-Shaheed Monument
Firdos 広場前と、そこに面する 17 Ramadan Mosque.
フィルドス広場といえば、2003年イラク戦争の終結と共にサッダーム・フセイン像が米軍のクレーンで引きずり倒された場所だ。あれから20年が経った。当時中学生だった管理人は、「はぁ、イラクでは今こんなことが起きてるのかぁ」と無思考にただテレビの映像を見ていた記憶がある。当時は米軍の思惑通りといっていいのか、倒れたサッダーム像を踏みしだく民衆の映像をみて、正義たる米軍の民主主義輸出をポジティブにとらえていた人も少なくないんじゃないだろうか?
イラク警察の白バイは、YAMAHA XJ900.
巨大な荷台が屋台を兼ねるトライク。
バグダッド市内の “Freedom Monument”.
1958年、イギリス委任統治からの独立を記念してつくられたんだと思う。7月14日革命までの出来事が模式化されてるらしいけど、よくわからなかった。
やってきたのは Al Shaheed Monument. 後ろに割れた桃みたいに見えてるのがそれである。
入場料が6,000 IQD =約530円 かかるというので、外から眺めるだけでいっか と思ったけど、後から来たZsolt Erika 夫妻と合流して入場することにした。
近づいてみると、その巨大さに圧倒される。
イラン・イラク戦争中の1983年 サッダーム政権下で完成されたこのモニュメントは、同戦争でのイラク人殉職者を悼む目的で建設されたという。
巨大なターコイズ・ブルーのタイルで外装されたこの半割のドームは、戦争で死んでいった人やその家族の涙を表している。
湾岸戦争~イラク戦争前にはイラクー日本間の貿易取引は多くあったようで、このモニュメントも 実は三菱商事/鹿島建設が建設を請け負ったらしい。
巨大なティアドロップのドームの下には、ミュージアムを兼ねた地下空間が広がっている。
入場口ではミュージアムは閉まっていると言われたけど、扉が開いていたので入ってみる。
中に展示されていた絵などの一部を紹介しようと思う。
それぞれが具体的にどの場面を表しているのか分からない。
元々はイラン・イラク戦争での死者を悼むものだったのが、今ではあらゆる内戦、戦争死者・殉教者を追悼しているというので、あるいはサッダーム政権下でのクルド人、シーア派への迫害をテーマにしたものも含まれているのかもしれない。
戦争や迫害で死んでいった人たちの写真や、
投獄中のものだろうか? 身に着けていた遺品も沢山展示されていた。
この記事を書いている時まで、多くのイラク人に「差支えが無ければ」教えて欲しい と聞いてみた。
サッダーム政権の時と、その後と、どっちがあなたにとって良かったですか?
そして帰ってくる答えはいつも「サッダームの頃の方がよかった」。
サッダームとカダフィがいれば、中東はもっとマシだっただろう とどこかの誰かが言っていたようないないような。
ただ、「明らかに国が開かれ、給与が増えた」と言うひともいる。国内で迫害を受けていたクルド人やシーア派の人々の中には確かに解放を感じた人もいるかもしれない。
少なくとも当時日本のメディアが伝えていた「恐怖と殺戮に満ちた独裁政権の終わりと自由で明るいアメリカ主義の移植」が凄まじく何かに傾倒したものであったのは間違いないでしょう。
正義の反対は、常に他方の正義だというのを忘れると 善悪二元論が大好きなマスの聴衆とそれにつけ込むテレビの偏向に飲み込まれてしまう。
ともあれ、管理人は高度経済成長を終えた日本で生まれ、戦争も そこに顕在化する人の残酷さも 映画や本の中でしか見たことが無いし、できれば死ぬまでそのままであって欲しい。
ところで、このモニュメントでは偶然イラクまで走りにきていたオマーンのライダー Ahmad と出会った。
Ahmad の友人のGSも並べて、こんなところでビッゴフが3大揃うなんて。
Iraq Bikers と Football ガルフカップ イラク優勝おめでとう
イラクにきても、特に食事がそんなに変わり映えする印象はないけど、シリア・レバノン・ヨルダンに比べて更に肉肉しくなってきた感は強い。
日本の焼き鳥を思い出してしまったけど、
正直に言おう、焼き鳥のような「うまさ」はない。
店内に広がる焼き窯でひっきりなしにパンが焼かれる。
Zsolt Erika 夫妻とAhmad 達と夕飯を食べる。イラクは、何かを注文すると大量の Appetizer的なのが出て来る。全部酸っぱい。
配達待ちのバイク便たち。
Iraqi Bikers のメンバーが集まってきた。Super Tenere!!
どうやら今日はガルフカップ(湾岸諸国のワールドカップ的な)の決勝ということで、彼らと一緒にモニターのあるカフェに観戦しにいくことになった。
そのカフェはどうやらバイク乗りのたまり場みたいなとこのようで、既に沢山のバイクが泊められていた。
ゴールドウィングの人気はアラビア半島南部から変わらず。基本デカいバイクが好きなんだね、きっと。
そして試合は延長からの延長にもつれ込むという善戦に。
そいでもって最終的にイラクが勝ち優勝👍
もう街中の騒ぎといったら、軽く暴動だろと思うような様相だった。
そこら中で花火やら癇癪玉が飛び散り、煙が立ち込める中爆音のアラブミュージックやらよくわからんラッパの音が鳴り響く。
軽めの反政府デモの方がマシなんじゃないかという中、10回くらい人を轢きそうになりながらなんとか帰った。
オマーンから来た NIZWA BIKERS からステッカーもらっちった。
つづく