【Republic of Uzbekistan episode 6】ブハラ旧市街の徘徊録

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

東西に長いウズベキスタンのちょうど中央辺りにあるブハラまでやってきました。ここも、タジク系最後の王朝といわれるサーマーン朝の首都が置かれていた古い交易古都で、沢山の遺構が街の旧市街に点在しています。

Lyabi Hauz 周辺

ちょうどブハラの街の中心部に位置する旧市街の一画へやってきた。

極度に乾燥した大地のつづく中央アジアにあって、ブハラもまた ザラフシャン川の恩恵を受けた水資源を豊富に利用できるオアシス都市だった。その名残もあってか、街中には水を湛えた池や水路がある。池の多くは、疫病の蔓延防止ということでソビエト時代に埋められてしまったらしいけど、ここ Lyabi Hauz; リャビ・ハウズ とよばれるエリアには大きな池が残っている。

1620年頃にこの池が当時のブハラ=ハン国によって建設されようとしていた時、ここはとあるユダヤ人女性の所有する土地だったとか。当初彼女は国からの土地購入の打診を断ったらしいけど、最終的にシナゴーク(ユダヤの礼拝所)の建設と新たな住居との引き換えに私有地を放棄したらしい。そんなわけで、ブハラには今でもユダヤ人地区やシナゴークもある。

イスラム世界では有名なトルコ民話の主人公 Khoja Nasreddin; ホジャ・ナスレッディンがロバに乗る像。

ブハラを象徴するコウノトリの像も街中で沢山みかけることになる。池の中央にはなぜか、後述するチョル・ミナルのミニチュア。

さて、このリャビ・ハウズの周りには、東西と北の3面を囲うように遺構が建っている。まず北側にあるのが Kukaldosh Madrasah; クケルダシュ・マドラサ 1568-79年の築造。

イワーン内部。

アーチのコリドーを抜けて、

中庭に出る。

2階建ての城壁には沢山のフジュラが並ぶ。160もの部屋があるらしいけど、さすがにそんなにあるようには見えなかった・・・

ウズベクの伝統衣装を着た駒がかわいい手作りのチェス。

彫金皿に彩色をする職人さん。まるで機械のように正確に、同じ紋様を狂いなく描きつづけていた。

そしてこちらは池の東側に位置する Nodir Devonbegi Madrasah; ナディール・ディバンベギ・マドラサ.
1622-23年の築造。

このイワーンも、サマルカンドのシェルドール・マドラサと同様 イスラムのデザインとしては珍しくイワーンの上部に鳥の図柄があしらわれている。これはSimorgh; シムルグというペルシャ神話の怪鳥で、日本でいえば鳳凰、西欧だとフェニックスみたいな存在なんじゃないかと思われる。

ファサードは横に長く、12の小さなイワーン。

中庭へ。

だいぶお土産だらけの様子。

コウノトリ型のハサミも色々あるのねぇ~ いつか再訪して買いまくりたいなぁ・・・

ここは木工細工の職人さん。

全部胡桃の木から手作りされていて、寄せ木細工とかからくり箱みたいなのもある。

ブハラな鍛冶でも有名で、ナイフも魅力的なのが沢山売られている。もうこりゃいつか再訪決定だな・・・

日が弱まってからはレストランになるっぽい。マドラサ内にここまでがっつりテーブル出したレストランがあるのはここがはじめて。

リシタン陶器も。ん、これはもしかしてブハラ産でリシタン陶器とはいわないのか??

池の西側にあるのが Nodir Devonbegi Khanaka; ナディール・ディバンベギ・ハナカ.
1619-20年 築造。ハナカとは、スーフィズムの集会所のようなものだと理解しているけど、どうなんでしょう。やっぱりイランと歴史を共有している時代が多いからか、スーフィズム関連の遺構を目にする機会も多いようだ。
ここだけ内部はミュージアムのようになっていて、入場料がかかるようだった。

3つのToki

さて、街の水路を眺めつつ リャビ・ハウズの周辺から西側に向かって歩いていく。

町全体が世界遺産ということもあって、ゴミ箱も沢山設置されているし、交通整備の警察もなんか多かったような。

この道路の両脇には職人さん達の工房や店が並ぶ。

手書きのイラストも、たくさん見かける。

西側に見えて来たのは Toki Sarraofon; タキ・サラフォン.
タキとは、写真のようにドーム状の構造物で覆われた交差点の事で、バザールの通路が交差する場所に近いイメージだ。どうやらブハラに特徴的なものっぽい。

タキ・サラフォン内部。以前は多かったという両替屋は見当たらず。

ウズベキスタン・カーペットーー!!いいなぁ、、、ペルシャ絨毯に比べれば大分リーズナブル。柄はより幾何学的な印象。

タキ・サラフォンをさらに西に抜けると、Nugay Caravansarai; ヌゲイ・キャラバンサライが左手に見えて来た。

この木製の棚にぎっしぎしにウズベク陶器が並べられた様、たまりませんねぇ~。自宅の食器棚がこんなんだったら毎日のコーヒー/紅茶のテンション120%増しじゃない。

キャラバンサライの中も、概ねお土産屋だらけだった。正直、さすがにお土産屋多すぎだろ という気持ちは否めないが、現地の人が現地の資源をどう使ってどう働こうが、観光客のどうこう言えたもんではない。

18-19世紀の浴場跡。

タキ・サラフォンから北側に向かって、ちょうどリャビ・ハウズのの北西側に出ると、Magoki Attori Mosque; マゴキ・アトリ・モスクが姿をあらわす。ここは、イスラーム以前のゾロアスターに関する神聖な場所だったようで、中央アジアがイスラーム化した最初期にあたる8世紀頭に、モスクが建てられた。

東側の新しいイワーンと、半地下部分で南側を向く古代のイワーン。個人的にはこういう雰囲気が大好きだ。でもさすがに8世紀のオリジナルは残っておらず、この古い方の遺構も、12世紀に再建された際のものらしい。この戦乱の絶えない地政の下で、よくぞ800年以上も姿をとどめていてくれたなぁと思う。

西側に連なるキャラバンサライ。

さて、タキ・サラフォンから北側へと歩いていくと、またドームで覆われた場所が見えて来た。ここが2つめのタキ、Toki Telpakfurushon; タキ・テルパクフルシャン。この見た目は、イランでモスクに併設されたバザールの天井部分によく似ている。

タキ中央の天井。

東西南北へと伸びるタキからの通路。

やっぱり屋根下はお土産屋が沢山。

マトリョーシカは、ロシアからの輸入じゃなく、ここで造られている様子。

かなり立派な刃物屋に、真剣な眼差しで筆を進める絵師さん。

タキ・テルパクフルシャンを北に抜ける。

お、ここもマドラサか、と思ったらホテルだった。高そう だけど単発で普通の旅行として来るならこういうとこに泊まるのもよさそうね。

ここは Abdullakhan Tim Trading Dome 16世紀.

内部は地元でつくられるカーペットが沢山展示されていた。

この無秩序なモザイクみたいな柄、いいなぁ。

タキ・テルパクフルシャンを北側から見たところ。近くで見るよりも天井のボコボコ構造がよくわかる。

そしてその更に北側には、3つ目のタキ Toki Zargaron; タキ・ザルガロンが見える。メインドームの天井にはやぱりコウノトリ。

ドーム下。

今まさに鉄板から切り出しをしていた鍛冶屋のじっちゃん。

なぜ今ドキ? 完全にシーズンではない防寒着たち。特に帽子の種類は豊富だ。秋~冬に訪れたら思わず買ってしまいそう。

どれも綺麗な絵だなと思ってよくよく近づいてみると、まぁまぁ自分でも描けそうだなってのもある。

洒落た “Spice Shop”.

タキ・ザルガロンの通路を東側へ抜けていく。

すると、また大きな広場に出る。東側から見たタキ・ザルガロン全景。

その広場には、また巨大なマドラサが2つ向かい合わせになっている。そのうち南側にあるのが Abdulazizkhan Madrasah; アブドゥルアジィズカーン・マドラサ。1651-52年 築造。

正面ファサード。

 

イワーンと、アーチ下ムカルナスのアップ。

内部へ入っていく。

なぜか中にはアンティーク屋台(?)が。

このDoppa; ドッパ も全部年代物だ。

アーチの右手奥は部屋になっている。

コリドーを通って中庭にでる。

向かって右手、西側のイワーン。

向かって左手、東側のイワーン。これは17世紀当時のままの様子。あまり放置されれば崩壊してしまうから修復は大切だけど、浸食されたままのオリジナルの姿を見られるというのもまた良くて、修復学のバランスってのも難しそうね。

中庭を取り囲む壁面全体に当時のものと思しきタイルが残っている。フジュラがお土産屋で埋め尽くされてしまってるのが、やっぱりちょっと残念だ。

正面(南側)のイワーン。

内部の天井は、特に美しい。

精密につくり込まれたムカルナスとそれらの一面一面に施された更に細かい装飾。

アーチ内側面の装飾の、この絶妙なヤレ具合がやっぱりたまらん。

正面イワーン裏側。

もう一つ、北側に対になって建っているのが Ulug Bak Madrasah; ウルグ・ベク・マドラサ。

実はこっちは 1417年の建造で、南側のアブドゥルアジィズカーン・マドラサよりも200年以上古い。これはまるで、サマルカンド レギスタン広場のウルグ・ベク・マドラサとシェルドール・マドラサが同様に対になっているにも関わらず200年の差があるのとほぼ同じ関係でおもしろい。

内部へ。

中庭全景。

中庭を囲う2層構造の城壁とそれぞれに並ぶフジュラ。煉瓦自体の釉彩色で幾何学模様が描かれている部分が印象的で、おそらくタイルが埋め込まれていたであろう場所の多くは破損している。

正面(北側)イワーン。奥は住宅街へ繋がっていた。

途中であまりの暑さに逃げ込んだカフェ。Lemonade の字に釣られた。

しかしアプリコットがゴロゴロ入ってキンキンに冷えたレモネードはまじでうまかった。
「おれは夏の中東を歩き回ってたんだから大丈夫だ」という謎の根拠でろくに休憩もとらずに歩き回ってたけど、これ以上は熱中症になる と感じた、それくらい暑い。これぞ大陸の夏。これぞ2重内陸国。

Kalon Minaret

さて、回復した後は、さきほどのタキ・ザルガロンを今度は西側へ抜けていく。すると、おそらくブハラで最もアイコニックなスペースにつづいている。

この特徴的な塔 Kalon Minaret; カラーン・ミナレットと Kalon Mosque; カラーン・モスク。
カラーン・モスクとミナレットの建造はなんと1121-27年。カラハン朝の治世につくられて、特にミナレットに関してはモンゴル軍からの侵略・破壊も逃れ 今にその姿をとどめる。13世紀のモンゴル支配によって、それ以前の建造物は徹底的に破壊される事が多かったようで、こうやって建築当時のまま残っているものは少なそうだ。

遠目だとただの煙突のようにしか見えないけど、近くで見ると側面はとても複雑な構造をしている。根本は地下10mまで根ざしていて、高さは約46mある。建造された当時は頂上に灯をともしてキャラバンの道しるべになっていたらしい。まさに陸路の灯台だ。近代までは罪人を袋詰めにして落下させて死刑にしていたとか。

カラーン・モスクの正面イワーン。

入口から中庭へ。

中庭を囲む白亜の列柱群と、奥にはメインのドームが見える。
残念なことに、この日はちょうど金曜で 金曜礼拝が始まってしまい中にはいれなかった。

カラーン・モスクのメインのドームを裏側(西側)から。

そしてミナレットとモスクの正面に建つのが Mir i Arab Madrasah; ミル・アラブ・マドラサ. 1530-36年 築造。

カラーン・ミナレットを路地からとらえる。右は、ちょうど同じ構図で撮られた(たぶん)1920年代の写真。

この路地、ちょうどミナレットの南の裏側には、16世紀の浴場跡とか、

Amir Olimxon Madrasah といった遺構も隠れている。

ちなみに夜に訪れると、塔がきれいにライトアップされ、また違った表情を楽しむことができる。

Registan 周囲

渋銀のワズを見つつ、もっと西側に移動していく。

すると、かなり大きな広場に出て、その広場全体を囲うような巨大な城壁が見えて来る。ややこしいことに、ここいらの事もRegistan Square; レギスタン広場と呼ぶので、サマルカンドのそれとは区別しないといけない。

これがブハラ=ハン国の歴代アミールの住居である Ark of Bukhara; アルク城。ブハラ=ハン国以前から、何かしらの建造物があったようで、モンゴル軍による破壊の後マンギト朝期に修繕されて、再びソビエトの攻撃によって大部分が消失。現在みることができるのは、その後の大規模修復の後の姿となっている。右はやっぱり戦前のどっかのタイミングで撮られたアルク城ゲートの写真。

城内、金曜モスクと天井の装飾。

17世紀 The Throne Hall; 王座の間 を囲う回廊と天井部分。

当然置かれている椅子はレプリカだけど、当時はここに大理石の椅子が置かれ、アミールはそこに座って各方面からの謁見を受けていたようだ。

ここにも狛犬発見。

The Stable と呼ばれる宮内厩舎のような場所。

Greeting Courtyard. 王への謁見に際しての祭事が執り行われていた。階段上の扉の中は簡単なミュージアムになっている。

城内にも、少しだけお土産屋がある。まだ若い少年が音楽を聴きながら金属製の皿に彫りをいれていた。

さて、交差点を行くライトグリーンのワズをみつつ、アルク城と道路を挟んですぐ西側の区画に移動すると、

そこには Bolo Hauz Mosque; ボロ・ハウズ・モスクがある。先述のLyabi Hauz もそうだけど、”Hauz” は池とか貯水池の意味があるらしい。確かペルシャ語だったような。その名の通り、モスクの前には大きな池がある。ブハラに残る数少ない池のひとつだ。

建設された1712年当時は、王宮の専用モスクとしてつくられたためか、かなり豪奢なつくりをしていて、最も印象的なのは正面観に飛び込んでくる高さ10mの胡桃の柱が20本連なる様だ。これをアイヴァン様式というらしいけど、他の中央アジアモスクにある列柱回廊となにを区別してそう呼ぶのかはよく分からなかった。柱頭部分の木彫はなんとも神社チック。

正面ファサードから見える扉。実際には北側の別の扉から中へ入る。

礼拝室内。GoPro で撮ったせいで明暗の縞模様になってしまった。奥に見えるのがミフラーブ。

ミフラーブ上部のムカルナス。

1917年に追加で建てられたアザーン用のミナレット。ずっと遺跡や遺構を旅してると感覚が狂うけど、このかわいらしいミナレットだってもう106歳だ。

夜にライトアップされたボロ・ハウズ・モスクはこんな感じ。

そんなボロ・ハウズ・モスクのすぐ脇には、Tower of Bukhara が聳え立つ。上まで上れるっぽかったけど、もう暑すぎてめんどくなってしまった。今思えば上まで上ってアルク城を鳥瞰で眺めてもよかったな・・・

夜、ライトアップされた Tower of Bukhara.

東の路地

クラブマンスタイルのワズ(?)もかわいい。

なかなかにイカした自転車を発見。コンポーネントも見た事がないのが付いていてめちゃくちゃおもしろい。キューバに走ってそうな詳細不明のヴィンテージカー。

さて、ところ変わってリャビ・ハウズ周囲の遺構群よりも東側にある路地にやってきた。ここにもちらほらと古い建造物を見ることができる。

Domullo Hassan Madrasah 14世紀.

ここも金曜モスク。

さらに路地を行く。

ブハラの路地の、扉たち。

ラクダとブハラの街並みを象った標識がイイ👍!

ここも金曜モスク。モスクより気になる 深めのブルーな LADA 2107.

そんな感じで路地を迷ってると、住宅の間に特徴的な4つのミナレットが覗いている。

 

Chor Minor Madrasah; チョル・ミナル・マドラサ 1806-07年 築造。北東側のミナレット頂上にはまたもやコウノトリの模型がみえる。
トルクメン出身のKhalif Niyazkul; ハリフ・ニヤズクル という人物によってつくられたようで、ブハラにある他のどの建造物にも似ていなくて、とても独特な遺構として知られている。当初はこの4ミナレットの建物の後ろ側にマドラサがあったらしいけど、それは破壊され、なぜかこの建物だけが残った。

チョル・ミナルのちょうど目の前にあった店が超絶気になった。

このピンズでうめつくされたジャケット、カフェ・レーサーのユニフォームみたいだね。

この夥しい数のピンズはほとんどがソビエト製のやつ。全部くれ!

他にも怪しげなヴィンテージ品が所狭しと並んでいた。もしブハラに再訪することがあれば、管理人にとっては最重要再訪スポット決定である。

Ismail Somoni Mausoleum 周辺

またまた所かわって、レギスタン広場よりも更に西 綺麗に整備された比較的大きな公園がある。

その緑地の中の通路を進んでいくと、

現れる遺構。これこそ、今までタジキスタンから何度も登場してきた Ismail Somoni; イスマイル・ソモニ の廟である。
イスマイル・ソモニは タジク系王朝サーマーン朝の最盛期を担った君主で、特にソグディアナの英雄的なポジションとして君臨していると、管理人は理解している。とはいっても、実際に彼自信が埋葬されているかの真偽は判明していないらしい。

892年から50年の月日を費やして943年に完成したといわれていて(諸説あり)、中央アジア最古のイスラム建築かつ、モンゴル軍からの破壊を免れた稀有な遺構なのだ。
一見地味ではあるものの、よくみると煉瓦が縦横斜め、色々な位置関係で積み上げられることによって複雑な表面構造とそれによる陰影美をつくりだしている。にしても、50年ってのは長いなぁ、、、よほど基礎工事に時間をかけたんだろうか・・・

内部の概観。

 

 

色彩がほぼ単色なので、どうしても華やかさはないものの、よく見れば見るほど、確かに初期イスラム建築の傑作といわれる理由が素人にも納得な精緻な作り込みを見ることができる。特に光を取りこむ上部の窓の格子は、全てが違うデザインで構成されている。

廟内でひときわ目を惹くこの石棺が、きっとイスマイル・ソモニのものなんだろうと思いたいところだけど、この廟からは3人の遺体が発見されていて、そのうち個人が特定されているのはソモニの孫で、2代後の君主であるナスル2世 だけなんだと。

記念自撮り。

ソモニ廟の近くにある、Chashmai Ayub Mausoleum と、

Memorial complex of Imam Al Bukhari.

 

そしてソモニ公園の南側には、Abdullakhan Madrasah; アブドゥルカーン・マドラサ 1587-90年 と、

 

Modarikhon Madrasah; モダリハン・マドラサ 1566-67年 がやっぱり向かい合わせで建っていた。

モダリハン・マドラサの方だけ中に入れた。

シンプルな内面観と、正面イワーン。

フジュラの一室は作業部屋になっていて、女性が音楽を聴きながら たぶんチェスの駒と思われる陶土に色をつけていた。

他徘徊

その他も、ブハラの街にはおよそ全部見て回るのは不可能な数の遺構たちがある。テネレで適当に徘徊している中、目に留まったところを追記。

Khazrati Imom.

内部は巨大な墓地となっていた。見回ろうとしていたら物乞いがしつこく付き纏ってきたので早々に退散。バイクは逃げ足が速くていいのよねぇ。

Central Bazar にやってきた。

ここは衣類がメインのバザールっぽいな。

あまり賑やかな感じではない。

台車に積まれたモフモフのウール。最近猫チャージできてないから とりあえずこいつをモフっといた。

紳士服コーナーも。

Faizabad Khanaka.

ハナカとモスクの複合施設なのかな。図らずも、バイク入りの最も映えた写真が撮れたのはここだった。

てなわけで、ずいぶん長々としてしまったけど、ウズベキスタン 西の古都 ブハラの徘徊記録でした。

おまけ

ブハラで発見した Yapona Mama という店。Yapona というのは、つまり 日本の~ という事で、どうやらフランチャイズでサマルカンドにもあったっぽい。早速首都じゃないけどラーメンシリーズを発動する。

ラーメンというより、韓国のチゲ麺っぽい雰囲気のが出てきて、味もそんなかんじだったけどうまい!

店内の壁、「合気道 愛名誉」の意味はよくわからん。

またとある日に適当に頼んだら出て来た細い麺と肉団子が入ったスープ。こういうのがさり気なくあるとホントに救われる。

つづく

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