こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
バーレーン徘徊記録のつづきです。
Muharraq 地区 と”島の経済を物語るもの”
アラビア半島の東に浮くごく小さな島国のバーレーン、その首都マナーマよりわずかに北東にムハッラク島があり、それぞれを繋ぐ橋のおかげで本島と自由に行き来ができる。
この下に凸な釣鐘形の先端部分から、ムハッラクの内陸にかけて、約3.5kmに点在する海岸線~建造物などが「真珠採り 島の経済を物語るもの」という名目で世界遺産に登録されている。
今回はこの周辺の路地写真を超適当にただ貼り付けていこうと思う。
“Pearling Path”
ムハッラクの海で採取された真珠が、水夫や真珠商人によって運ばれた「真珠の道」をうろついてみる。
先がどうなってるのかよく分からない路地にテネレで入っていくのは、時にダートを走るよりこわい。
多くの登録建造物は19世紀末~20世紀初頭にかけてつくられたもので、当時真珠取引で財を成した商人たちによるものらしい。
そんな真珠商人の中でも特に有力だったという Siyadi一族に関わる建造物群のうち、かれらが建てたモスク、Siyadi Mosque はほぼ真珠の道の終着点に位置する。1910年に再建されたもので、たぶんごく最近修復されているように見える。
登録建造物とは関係ない、ただの路地。
前石油時代のペルシャ湾一帯はUAE~オマーン、そしてカタールなどの東側湾岸国全てが真珠の一大産地だった。
その中でもバーレーン産の真珠は評価が高かったという。
日本のミキモトによる養殖技術の確立と、バーレーン国内での油田の発見も相まって、急速に廃れた産業だからこそ、その痕跡を残すものに価値が見いだされたんでしょうか。
今から1000年も経てば、きっとこういう何の価値もないように思える写真も、前時代の暮らしを伝える遺産になることでしょう。
Qala’t Bu Mahir
ムハッラク島の先端部分に出てきた。
ここが、Pearling Path の出発点にあたる海岸線になる。
真珠採取の要所である海岸部を守るために建てられた要塞があるのだけど、ゲートが閉まっていて進めない。
と思ったら、近くにエレベーターがあって、のぼるとゲートの向こうへ橋が渡されていた。
橋を下りると、そこに作業中の Qala’t Bu Mahir があった。
併設の簡潔なエキシビションで、Pearling Path の全貌や、各建造物の位置を確認することができる。
Covid :なし
ムハッラク島の海岸線の中でも、当時の砂浜の状態を留めているものは約100m程度しか残っていない。
この海岸線それ自体も、「島の経済を物語るもの」の一連項目とされている。
てなわけで、パニアつけっぱの大型バイクで バーレーン真珠採りの記憶痕を練り走るレポートでした。
おまけ
Muharraq 路地の美しい扉たち。
つづく
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