【Sultanate of Oman episode11】Qalhat カルハットの都市遺跡を経て、小さな海の町 Sur スールへ

こんにちは、グレートエスケープ中の元勤務医です。

1週間と少し滞在したマスカットを去り、アラビア半島の海岸沿いを南東方向に進みます。

Bimmah Sinkhole

Fallah がくれたデーツの余りをロゴスのメタルコンテナにぎゅうぎゅうに詰めて出発。

白壁の小さな街。

海岸沿いの道を、ラッセルハッドまで進むことにしたのだけど、途中に陥没湖があるようなので寄ってみる。
Bimmah Sinkhole は幹線道路からやや逸れて数キロのところにあり、周辺は公園のように整備されていた。

中へ進むと、巨大な陥没が。
直径は長径部で70m, 陥没深さは約20m とのこと。

一応遊泳は禁止みたいだけど、浅いところを泳いでいる人もいた。水はきれいなターコイズで、深い部分は飲み込まれそうな緑色になっている。
こんな狭い陥没湖でも、最深部は90mに達するらしい。

深層石灰岩の浸食に起因する地盤沈下によって形成されたのだけど、現地の人はかつて隕石の墜落によってできたと信じていたらしい。
アラビア名の Hawiyyat Najm は 「星が落ちてできた深い井戸」の意。

Qalhat の都市遺跡

マスカット以東のオマーン半島北東部を走る17号線は途中からほぼ海沿いを行く。

オマーン湾は、とても穏やかに見える。

途中、また内陸へ入ってみて少しダートを走ったりしてみるものの、

傾斜がエグくなってきたので大惨事になる前に引き返した。

オマーンの世界遺産で、個人的に一番楽しみにしていた遺跡がこの道路沿いにある。
マスカットからスールへと向かう途中の、ほぼスールに到着する20kmほど手前に Qalhat カルハットという街がある。

カルハットは10世紀~17世紀、ペルシャ湾でインド洋貿易の中心的な役割を担っていたホルムズ王国の主要都市だった。
14世紀の地震と、1507年のポルトガルによる占領により その都市はほとんど完全に失われてしまった。

道路から遠くに遺跡が見えたのだけど、どうやって行けばいいのかよくわからない。
Google map 的にはこの道までしか案内がないので、道路脇の塀を越えて歩いて向かう。

石積みの壁や、ちいさな都市跡がところどころに残っているけど、

カルハット都市遺跡のメインは、奥に見える Bibi Maryam Mausoleum だ。

カルハット都市遺跡群の中で唯一当時の原型をとどめる建物で、13世紀にホルムズ王 Bahauddin Ayezが彼の妻 Bibi Maryam の霊廟として建てたとも、Bibi Maryam が王である夫にむけて建てさせたともいわれているが、実際は何のために建てられたのか正確にはわかっていないのかもしれない。

茶色とオレンジの中間のような日干しレンガに、抜け落ちた天井。

少なくとも700年はこの海岸際で潮風にずっと打たれながら今に至るわけだ。

カルハットが、その後マスカットのようにアラブ人の手によって復古されることはなく、ただ砂に埋もれていったという。
マルコ・ポーロの記述によれば「輝くようなバザールと、最も美しいモスクのうちのひとつ」があったというカルハットの都市は、一体どんな姿だったんだろうか。また、夫の死後もホルムズ王国を治めたという Bibi Maryam とはどんな女性だったんでしょう。

小さな港町スールへ

カルハットを過ぎ、少し走れば 南シャルキーヤ行政区の主要な港湾都市 Sur スールに着く。

もう夕暮れ近かったので この日はスールで宿をとることにした。

入り江で泳ぐ子供、

砂浜でサッカーを楽しむ人たち。

スールはとても穏やかで、気持ちのいい海の街。

入り江の入口をつくる小さな半島部分には、スールの代名詞ともいえる橋がかかっている。

英名不明な橋と、カラフルにライトアップされた漁船。

スールはダウ船の造船でも有名ということで、ダウ船の工場を見に行ってみたけど、これは機能しているんだろうか??
ほとんど廃墟にしか見えないけど、確かに製造途中の船はみえる。

マスカットで野良犬に追いかけられてから野良犬にビビッてるのだけど、スールのイヌたちはおとなしかった。
バイクのエンジン音がダメなのかな。

日が暮れてやや快適な温度になった空気に、海風が心地よいアラビアの小さな港町。
明日はスールを去って更に東へと向かう。

Route

約220km.

おまけ

スールの街のモスク。
どんなに小さな街でも、かなり立派なモスクが必ずあるのがすごい。

つづく

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