こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
トスカーナに入り、すっかり日が暮れた後にやってきた駐車場で朝を迎え この日はいくつか中世の都市を巡ってFirenze; フィレンツェへ向かいます。
※この記事は2024年11月頃の出来事を書いています。
ここまでのルート
凍り付く朝
朝。
テントもシートも、
パニアもタンクバッグも 全部凍り付いてる。
だいぶ日が出てきて1℃。夜中はだいぶ冷え込んだみたいだ。
横着してカートリッジでお湯沸かして、コーヒーだけ飲む。
Cappella di San Galgano a Montesiepi とリアル・エクスカリバー
朝、まずやってきたのは Cappella di San Galgano a Montesiepi; モンテシエピの聖ガルガーノ礼拝堂。
1185年に建てられた、独特の円筒形をしたロマネスク様式のカトリック礼拝堂だ。
入口の脇には この礼拝堂にまつわる聖剣伝説を意匠にしたノッカーが。
上部にはメディチ家の紋章が見える。
教会内部。身廊の隔てはなく、煉瓦とトラバーチンが成す縞々模様が同心円状にドーム頂につづく質素なロマネスクの雰囲気が残っている。
この礼拝堂建設の由縁となった騎士 聖ガルガーノは、当初暴力的で享楽的な生活を送っていたらしい。そんな彼は 大天使ミカエルの啓示を受けて改心を決意。ここモンテシエピの丘に建てた小屋で隠遁生活を始めたという。
1180年、彼は隠遁生活の開始と共に 過去の自分との決別を象徴するため 自身の剣を丘の岩に突き立てた。
聖ガルガーノはその1年後に33歳の若さで亡くなり、その後 この剣を保護するように建てられたのがこの礼拝堂なのだ。
そんなわけで、聖堂の中央には ガラスで岩ごと保護されたその剣が、今でもそこに残っている。アーサー王伝説のエクスカリバーのモデルになったという説もあるこの剣、真偽は疑われていたらしけど、近年の調査で12世紀の剣であることが同定された上に、レーダー調査などによって岩内部の部分と露出部分の剣はしっかりとした一体構造であることも立証されたらしい。
剣は岩に対してほぼ隙間なく、垂直に深く刺さっていて、もし単に亀裂に差し込んだだけなら、これほど見事に「突き立てられた」状態で固定されるのは、当時の技術や状況を考えてもあり得ないらしい。「後から誰かが工作して埋め込んだ」ような近代の産物ではなく、12世紀に実際に起きた何らかの出来事がそのままの形で残された歴史的遺物であることは科学的に裏付けられている。
それにしても、いくら鋼の剣とはいえ 岩に突き立てたら岩が砕けるか、剣が折れるかのはずだけど、実際目の前に岩に突き刺さった12世紀の剣がある。こういうのを見ると、物質主義的な近現代になる以前は 本当に神の啓示とか奇跡みたいな事があったのかも、、、と思わせてくれてロマンがある。本当に奇跡が起きたのか、あるいは極めて稀な何らかの物理現象の産物なのか、、、、それは見る人の解釈次第・・・
ちなみに同様のレーダー調査では、剣の真下に 2m×1m の空洞が見つかっていて、聖ガルガーノの遺体が安置されてると予想されてるけど、未だに発掘は行われていないらしい。
内壁には 1334~36年 Ambrogio Lorenzetti作のフレスコ画が残る。
礼拝堂内でもうひとつ異様な展示物は、この両腕のミイラ。
伝承では、聖ガルガーノの剣を盗もうとした悪漢がオオカミに襲われて 両腕が噛み千切られたものらしい。このミイラも、調査によって12世紀のものだと分かっている。
初期ゴシックの傑作 Abbazia di San Galgano
モンテシエピの礼拝堂のすぐ近くに、今では廃墟となった修道院がある。
枯れ木が冬の風情を醸す道を歩いて、向こうに見える廃墟へと向かう。
Abbazia di San Galgano; 聖ガルガーノ修道院.
聖ガルガーノの聖人としての名声が高まるにつれて、1260年ごろに完成した初期ゴシック建築の修道院だ。
南側の館から入場して 特徴的な列柱で支えられた写字室と
屋外の回廊を通って、
今では屋根の無くなった 教会に入る。内部から、西側ファサードの景観。
東西方向に伸びるラテン十字の三廊式バシリカ。長さ69m、翼廊の幅は21m.
この修道院は、シトー会という男子修道会のグループによって建設されたらしい。中世ヨーロッパで発足していた男子修道会のうち、ベネディクト会という一派は 莫大な寄付で裕福になって 戒律に対しても堕落が指摘されはじめていた。
そんな中、11世紀のおわり ベネディクト会に対する改革・戒律への原点回帰をかがけた Cîteaux; シトー会 という一派がフランスで発生し、この聖ガルガーノ修道院もシトー会の元で建築されたというわけだ。
ベネディクト会に対する対抗 という眼目があったため、華美な装飾の類は極力排されて、シトー会の掲げた「清貧さ」が建築の細部に込められている。
東側、後陣の景観。
「シトー会の厳格さ」を体現した建築ではあるものの、石肌が剥き出しな本当に質素なロマネスク様式に比べると、列柱には数学的・対称的な装飾が加えられていて
随所にみられる 尖頭アーチや、Clustered column; 簇柱/束ね柱 という要素ふくめ、ゴシック様式が取り入れられ始めているのがわかる。
ロマネスクの「力強さ」と、ゴシックの「洗練」が、シトー会の「清貧」というフィルターを通して絶妙なバランスで融合した初期ゴシックの傑作なのであった。
San Gimignano へ
さて、聖ガルガーノゆかりの礼拝堂と修道院を見終わって、今日も寄り道しながら北に向かって走っていく。
少しだけ走ったところで San Gimignano; サン・ジミニャーノ という街に着いた。
写真は街の南側 Porta San Giovanni; 聖ジョバンニの門。
古代ローマの時代から、イングランドとローマを結ぶ長大な交易路として発展した Via Francigena; フラチジェナ街道。
10世紀以降はローマへの聖地巡礼路としても発展して、その主要中継点にあったサン・ジミニャーノは ワインやサフランの貿易で12~14世紀にかけて莫大な富を築く。現在街を取り巻く全長2.2km のこの城壁も、その頃に建てられたものがほぼ完全な形で現存している。
バイクを移動する時、一瞬ノーヘルで乗っちゃったのが地元警察にみつかってトラブったけど、幸いすごい優しい警察官で お咎めなしで見逃してくれた。すいません 気を付けます。そう、ここはもう西ヨーロッパなんだ、トルコとか東欧の感覚を完全に排除せねば・・・
旧市街の西側にある小さな門から城壁内へ入って行ってみる。
サン・ジミニャーノは「中世のマンハッタン」と比喩されることもある「塔の街」で、先述の通り交易で財を成した人々が 自らの財力を競うように塔を建てていったらしい。最盛期には70もの塔が聳立していたらしいけど 今では14のみ残っている。写真はその内最大の Torre Grossa; グロッサの塔.
Torre dei Cugnanesi; クニャネージの塔の脇を抜け、
Torre dei Becci; ベッキの塔の脇にある門を通って、
Piazza della Cisterna; チステルナ広場に出る。
Torre del Diavolo; ディアボーロの塔とTorre Chigi; チギの塔 が見える。
クリスマスの電飾がかかってるから、さぞかし夜は綺麗にライトアップされるんだろうなぁ。
チステルナ広場の中央にある古い井戸は賽銭箱化していた。
チステルナ広場から少しだけ北に路地を抜けると、Piazza Duomo; ドゥオーモ広場が広がる。
グロッサの塔の反対側が見えて、その脇には Palazzo del Popolo; ポポロ宮殿 とDuomo di San Gimignano;サン・ジミニャーノ教会が建つ。
ドゥオーモ広場から更に北西側に、メインの S.Matteo通りを歩いていく。
世界遺産だけあって、観光客も多く けっこう賑わってた。
素敵な土産屋、レストランが並ぶ。
旧市街のほぼほぼ一番北側、Porta San Matteo; 聖マッテオの門までやってきたから、
また南側に引き返す。
連なる瓦屋根と、街の東側に広がるきれいな丘陵。
今度は S.Giovanni通りで南側に歩いて行ってみる。
こっち側もおもしろい店がたくさんあって、
イノシシの肉屋に
Majolica; マヨリカ焼の鮮やかな陶器のお店、
中世の騎兵をモチーフにしたミニチュアの専門店や
なぜか日本刀、、、などなど。
ジョバンニの門まで戻って来たとこで、概ねサン・ジミニャーノの散策を切り上げて、次の目的地へ。
さくさく行かないと、あっという間に日が暮れちゃうのが冬の辛いところ。
Monteriggioni へ
サン・ジミニャーノの街から、また少しだけ南東方向に走ると、
ほどなくして丘の上に特徴的な城壁が見えて来た。
Monteriggioni; モンテリッジョーニの街だ。
13世紀 激しく対立していたシエナ公国とフィレンツェ公国、その防衛最前線としてシエナ公国によって1213~19年に築かれた。
シエナ方面にあたる正門の Porta Franca; フランカの門と、東側の城壁。
テネレを停めて、城壁内へはいっていく。
丘の頂上周囲をぐるっと囲んだ円形の城壁と、14の塔で構成される外郭に、東西を貫くメインのMaggio通り と、構成はすごくシンプルでわかりやすい街だ。
門を入って東側の景観と、Piazza Roma; ローマ広場。
ここもまた、中世のまま時間がとまったような街だ。
ローマ広場の北側に建つ Iglesia Santa María. 城壁が築かれた13世紀前半に同じくして建てられた単廊のこじんまりした教会。
サン・ジミニャーノ同様、モンテリッジョーニも Via Francigena; フラチジェナ巡礼路の主要都市だったことから、当時の巡礼者を表わすモニュメントやサインがある。
西側に向かって煉瓦づくりの建物の間を歩いていく。
中世の貯水槽。
これまたナイスな土産屋には
革で装幀された日記帳。欲し過ぎる!欲しすぎるぞ!
すごく良心的な入場料だったから 今回はけちらずに城壁の上にのぼってみた。
西側:フィレンツェ側の防衛を担ったであろう塔たちが並ぶ。
城壁の上から、西側に広がる風景と、
街側、Maggio通りの先に東側の塔が見えるくらいの距離感。
南側の路地を通って、
今度は東側の城壁にものぼってみる。チケットは西側と共通。
城壁の内側に設置された遊歩道をのんびり歩いて モンテリッジョーニの丘から四方を眺めるのもなかなかいい経験だった。
東に広がる田園風景と、街側はローマ広場が一望できる。
ローマ広場からほんのちょっと路地に入ったところに、小さな戦争博物館があったので、そこも見学してみた。
13~16世紀にかけて、シエナ公国がフィレンツェ公国(後のトスカーナ大公国)に降伏するまで繰り広げ荒れた壮絶な争いの歴史が展示されている。
特に当時の兵士たちの重装鎧の展示が豊富で、戦国大名も然り こんな姿で本当に殺し合いをしてたんだなぁと見入ってしまう。
装備のディテールも間近で見られて、
試着体験コーナーもあった。
ミニチュアで再現された戦いの様子。
博物館を出たあと、もう一度西側に行って、Porta San Giovanni; 聖ジョバンニの門 から城壁外へ出てみる。
ブドウ畑とオリーブの木々が、西日を浴びて輝いている。
西側の城壁。丘の輪郭に沿って築かれた全長の570m の城壁は自然の利を生かした中世防衛建築の傑作といわれていて、20世紀にはいってから大規模修復が行われているものの、基礎や石積みの大部分は約800年前のオリジナルを留めている。
さて、もう完全に日が傾いてきたところで、モンテリッジョーニの散策も切り上げて、ようやくフィレンツェに向かうとしよう。
Firenze へ、Brigitta との出会い
北側へとのびる街道を走って、
すっかり暮れてしまったトスカーナ中部の道を北上していく。
途中、きっとここも中世からつづく古い街なんだろうなぁって城壁が見えたりして惜しいけど、ぐっとスルーして、フィレンツェに到着。
フィレンツェでは、またまた Adeleが紹介してくれた WIMAのメンバー、 Brigitta(愛称 Brizy) のお宅に泊めてもらうことになった。
Brizy もテネレ乗りだ!
夕飯をご馳走になって、
お土産までもらって、
雑然とした、フィレンツェ ガチローカルの家、
どんなランドマークを巡るより、こういうのがまじで貴重な体験だなぁと思う。
氷点下近い野営がつづいたから、温かい部屋で寝られるのはありがたい、本当に・・・イタリアに来てからイタリア人の親切に支えられまくってる。
今日も濃厚な1日だった。
つづく