こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
昨日のローマ散歩につづき、この日も可能な限り市内を練り歩いて行こうと思います。
なにせローマの観光スポットは小規模なものまでふくめれば膨大も膨大、たぶんローマだけで半年あっても全てみまわるのは無理なんじゃないかと思えるほどなので、ただ気のむくままに 冬の短い日の間で回れる限り 巡っていこうと思います。
※この記事は2024年11月頃のものです。
とりとめのない、ローマ散歩録—2
今日も今日とて、電車でセンターへ。
朝はコーヒーだけで出てきたから Piramide駅でトーストを焼いてもらう。
昨日はテヴェレ川の東側、コロッセオから北西側を中心にあるいたから、今日はテヴェレ川西側から散歩をはじめようと思う。
バチカン市国をローマ市内から隔絶するバチカン城壁。
9世紀に当時の教皇レオ9世によって築かれたことから、Leonine Wall; レオの城壁とも呼ばれる。元々はサラセン人から聖堂を守る目的で建てられたらしいけど、今ではそれが明瞭な国境として機能してる。
明るいうちのサンピエトロ広場と聖堂をちら見して、
歩いてる途中で見かけたバイク屋さん。
なんかいいなぁ。
やってきたのは Villa Doria Pamphilj という広大な公園。公園の東端には 1859年のArco dei Quattro Venti; 4つの風の門 が建っている。
公園の北側を走る石造りの塀と、Arco di Tiradiavoli o dell’Acqua Paola という門がみえる。
この門の手前側(西側)につづいてる水道橋は、門を介して道を渡り 更に東へとつづいて Fontana dell’Acqua Paola; アクア・パオラの噴水へ至る。1612年、当時の教皇パウルス5世が 古代ローマ期のトラヤヌス水道を アクア・パオラ水道として復活させるプロジェクトの際に東西水道橋の接続部分として建てられた門なのだ。
公園内を進んでいくと、
Villino Algardi; ヴィッリーノ・アルガルディ 別名 Casino del Bel Respiro;カジノ・デル・ベル・レスピーロ という白亜の別荘と、その前のGiardino Segreto; 秘密の庭園が見えて来る。
1644年 当時の教皇 インノケンティウス10世が一族(パンフィーリ家)の栄光の象徴として建設をすすめたらしい。現在はイタリア政府の賓館として利用されてる。
別荘の西側に広がる Giardino del Teatro; 劇場庭園の真ん中あたりにある Fontana del Cupido; キューピッドの噴水 1640年代。
上面の皿を支える柱は半獣の田園神 Fauni; ファヌウスで、古代ギリシアの牧神Pan; パンに似てる。
Gorgon; ゴルゴンや Baccus; バッカスの面も彫刻されていて 全体的にやや不気味で奇妙な噴水だった。
肝心のキューピッドはどこにいってしまったのかといえば、かつてはファヌウス4体が支える皿の上部に載っていたらしい。盗難された後行方不明になったままで、今はレプリカが製作されているとのこと。いつかまた再訪した時には、皿の上にキューピッドが復活してるかもしれない。
キューピッドの噴水と対になるように、東側にある Fontana di Venere; ヴィーナスの噴水。
同じく1640年代につくられたものだけど、多くの像は半身状態になってしまっている。
Anfiteatro Villa Pamphili. たぶん、古代の円形劇場痕に設置されたモニュメント。
劇場痕のすぐ脇にある Ninfeo del Satiro は、まるで古代の遺構のようだけど、これも噴水などと同じく1640年代に自然の洞窟を模してつくられたものらしい。
人工洞窟の中に、像が2体・・・やっぱちょっと不気味だ。
公園を出て、また東側に坂を下りていく。
そしてこれがさっき触れた Fontana dell’Acqua Paola; アクア・パオラの噴水。
パウルス5世の「トラヤヌス水道復活プロジェクト」の終着点として1614年に完成した。ちょっと逆光で写真が微妙だけど、まるで教会のファサードみたいに立派な噴水だ。噴水の頂上にはさっきの門と同じく、パウルス5世のBorghese家の紋章が設置されてる。
噴水が建つ Gianicolo; ヤニコロの丘からの眺めと Chiesa di San Pietro in Montorio.
いかしたごみ収集車。
丘からテヴェレ川側に向かって下りていくと、
ローマでも最も古い教会のひとつ、Basilica di Santa Maria in Trastevere がある。
創建は4世紀にまで遡り、現在の建物も1143年に完成した再建のもの。ローマで見てきた教会にルネサンス~バロック様式が多かったのに対して、この教会はずっと古いロマネスク様式となってる。
幼子のイエスに授乳するマリア像が印象的なファサードのモザイクは13世紀のもの。
ポルチコの壁には、長い歴史の中で教会に関わったであろう枢機卿の墓石の一部などが埋め込まれている。
教会内部。ロマネスク様式の重厚で質素な内面かと思いきや、内部はバロック様式に近い三廊式のバシリカで、イオニア式の列柱が側廊を分ける。
これは 17、18、19世紀と時代を跨いで複数行われた大規模な増築や改修によるもので、12世紀当時はロマネスクらしい質素な内装だったらしい。
画家 Domenichino; ドメキーノによって設計された、黄金に彩色された木製の格子天井。中央に彼自身が描いた「聖母被昇天」が埋め込まれている。
主祭壇前。バルダッキーノの後ろ、アプスには 1130~1143年頃に作製されたモザイクが見える。
中央に座るイエスとその隣のマリアを描いたこのモザイクは、中世モザイク芸術の最高傑作のうちのひとつだといわれている。当時の教皇インノケンティウス2世の命によって製作されたというだけで、作者は不明らしい。
それに対して、半円形のアプス周囲を装飾する周囲のモザイクは Pietro Cavallini; ピエトロ・カヴァリーニによって1296~1300年頃に描かれたものとのこと。
時代を通して修復の履歴はあるというものの、700年以上も前のモザイク画がこれだけ美しく現存していて、それをふらっと入った教会でみられてしまうのは なんと贅沢なことでしょう。
主祭壇の南側にある Altemps; アルテンプス礼拝堂とその天井。
祭壇に飾られているかなり擦り切れたイコンは “Madonna della Clemenza”; “慈悲の聖母” というイコンで、現存する最古の聖母イコンのうちのひとつとのこと。7~8世紀頃に描かれたと考えられている。
資金提供者のひとり Cardinal Altemps; アルテンプス枢機卿の紋章。
側廊のサイドアルター。
枢機卿たちの墓碑彫像。
教会をでて、Piazza Santa Maria; サンタ・マリア広場につづく路地をあるいていく。
この辺もけっこう賑やかで、お土産屋とか軽食屋が沢山集まってる。
アイス休憩。
東側へと路地を歩いて行って、
Ponte Palatino; パラティーノ橋を渡ると、
Basilica di Santa Maria in Cosmedin が鎮座している。
創建は6世紀ごろ、8世紀にはビザンツ帝国の聖像破壊運動から逃れて来たギリシア人修道士たちに供与される形で拡張されて12世紀にこの長大な鐘楼と共に現在の姿になった。実際には18世紀にバロック様式への改修が行われたらしいけど、それは19世紀に撤去されて 12世紀当初の状態に復元されたらしい。
髑髏に見下ろされながら教会内へ、
主祭壇奥のアプスにみえるフレスコ画は、19世紀の修復作業によるもの。
コリント式の列柱で隔てられた身廊は三廊式だけど、
ギリシア人修道士やギリシア人コミュニティに対する教会だったから、正教会の特徴を備えていて 側廊がそれぞれ独立した後陣をもっている。これらの後陣にあるフレスコ画も同様に19世紀のもの。
18本あるうちの11本の柱頭は、古代ローマ期の遺構から再利用されたものがつかわれてる。
入口の脇を支える2本の柱も古代ローマ期のもの。
サイドアルターのひとつ、絵画の前に置かれているガラスケースに収められているのは、(真偽は謎だけど)恋人の守護神 St.Valentini; 聖バレンタインの頭蓋骨。
教会内には地下につづく階段が、、、
下りていくと、そこには6本の柱で支えられた小さな空間が広がっていた。
ここは Crypt of Adrian Ⅰ; ハドリアヌスの地下聖堂 という、当時の教皇 ハドリアヌス1世が掘らせた地下空間だ。
かつてはこの空間に設けられた壁龕に、ハドリアヌス1世がカタコンベから収集してきた複数の聖人の遺骨など(聖遺物)が収められていたらしい。
今でも、地下聖堂にもある石の祭壇には、黄金が放射状に輝く Monstrance; 聖体顕示台 が置かれていた。
唯一 いまでもこの地下聖堂に残るといわれる St. Cirilla; 聖キュリラ の聖遺物が このモンストランスの中に収められているといわれている。
さて、いろいろ調べてはみたものの、この Basilica di Santa Maria in Cosmedin で一番有名なものといえば、教会西側の外ナルテックスに安置されたこれ! Bocca della Verità ; 真実の口!
古代ギリシア神話の大河の神 Oceanus; オケアヌスの顔面を象っていて、元々は近くにある Tempio di Ercole Vincitore; ヘラクレス勝利神殿の排水溝の蓋だったらしい。オケアヌスといえば、前記事で出て来たトレビの泉の中央にいる筋肉隆々のおじさんがオケアヌスだ。
トルコ産のパヴォナッツェット大理石でできていて、紀元前1世紀~1世紀頃に作られたと考えられている。重さは1.2t もあって、13世紀頃教会へ、そして1632年に現在の位置に安置された。
一介の観光客として、管理人もお決まりのポーズで写真を撮った笑
教会のすぐ北西側に建つのが、そのTempio di Ercole Vincitore; ヘラクレス勝利神殿で、紀元前143~132年ごろの築造とローマに現存する最古の大理石建造物とのこと。画角右奥に見えるのは Tempio di Portuno; ポルトゥヌス神殿 で築造は紀元前120~80年頃と古いけど 近年に行われた大規模修繕のおかげでかなり新しく見える。どちらも共和制ローマ期の貴重な遺構だ。
もう日が暮れて来たので、また駅方向に向かってもどっていく。
ライトアップされた Arco di Giano; ヤーヌスの門
4方に通行可能な Quadrifrons; クアドリフロンスで 4世紀初頭に建てられた。商業の中心だった Foro Boario; 牛市場で 行き交う商人達の通行を助けていたに違いない。
北に向かって路地を進んだところに、
Chiesa di Santa Maria della Consolazione al Foro Romano
1470年ごろ、死刑囚への慰めという眼目で創建された後、16世紀後半現在のバロック様式へと改修された。
教会内部。
教会建設のきっかけとなった、1385年の聖母像ではないものの、この教会に飾られているイコンはサイドアルター含め3つ全てがマリア像だ。特に主祭壇の Madonna della Consolazione; 慰めの聖母 は1493年頃に描かれたもので聖母マリアのローブが鮮やかなブルーに輝いていて、暗い教会の中 まるで絵の中から光が放射しているようで本当にきれいだった。
教会裏手の坂道を上っていくと、Foro Romano の 昨日眺めていたのとちょうど反対側に出る形になる。
奥に見える門が Arco di Settimio Severo(203年) 、手前左側が Tempio di Vespasiano e Tito(87年)の残存する3本の柱、右側が Tempio di Saturno(287年or4世紀頃の再建)の現存する8本の列柱とエンタブラチュア 、、、と時代背景の異なる古代の遺構が密集している。
更に坂を上っていくと、Piazza del Campidoglio; カンピドーリョ広場に出た。
マルクス・アウレリウス像とそれを ローマ市庁舎を含む Palazzo Senatorio; セナトリオ宮や Musei Capitolini; カピトリーノ美術館が取り囲む。
最後に、ローマ建国神話の ロムルスとレムス像を発見。
最近リール動画とかでよく見かけるスプレー・ストリートアーティストも発見し、帰路につくのであった。
この日も、Bibi&Danilo と一緒に夕飯、いつもありがとうございましたm(_ _)m
つづく