こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
MotoCamp Bulgaria には2泊して、テネレの整備&リラックスができました。
キャンプ場を去って、少し東にある Veliko Tarnovo という街を目指します。
朝、MotoCamp Bulgaria にて
MotoCamp Bulgaria を去る日、新たにやってきたライダーとの出会い。
イングランドから。
古いハーレーに、軍用ボックスをパニアに改造した渋すぎるマシン。
ハーレーにはあまり詳しくないし、あんま興味ないけど よくメインテナンスされたガチヴィンテージ車両を間近で見ると、やっぱりかっこいいもんだなぁ。エンジンの始動からアイドリングの安定まで見せてもらったけど、音もにおいも最高にクールだった。
この時、彼が教えてくれた “Bunk-A-Biker” というサイトが この後のヨーロッパ旅で大活躍するのだが、、、それはまた後の話。
クロアチアから。GS.
この時彼が「何かの時に役に立つから」と言って渡してくれたラチェット式のストラップ、
当時は「いや、嵩張るから いらないかな・・・」と思っていたけど、この後のアフリカ旅で大活躍することに、、、、それはまた後の話。
Veliko Tarnovo; ヴェリコ・タルノヴォへ
モトキャンプからVeliko Tarnovo; ヴェリコ・タルノヴォまではわずか30km弱くらい。
下道でゆっくり走っても、あっという間に Veliko Tarnovo; ヴェリコ・タルノヴォに到着。
蛇行するYantra; ヤントラ川と 丘に建ち並ぶ家々。
ヴェリコ・タルノヴォは、中世のブルガリア帝国(第一、第二ともに)の首都で、中世後期にはブルガリア最強の要塞都市として繁栄した。
街を走り回って、ランドマークをまわってみようと思う。
Tsarevets Fortress; ツァレヴェツ要塞
街を蛇行しながら貫く Yantra; ヤントラ川を挟むように Tsarevets; ツァレヴェツ, Trapezitsa; トラペジツァ, Sveta Gora; スヴェタ・ゴラ という3つの丘がある。そのうち、ツァレヴェツの丘を取り巻くように建つ城塞が ツァレヴェツ要塞だ。
12世紀、第二ブルガリア帝国の主要要塞としてつくられはじめた要塞は、ブルガリア最強の要塞と呼ばれるようになるものの、1393年 オスマン帝国によって焼き払われた。1930年代にはじまった修復は 1981年 ブルガリア建国1,300年記念を記念すると共に完了している。
丘の頂上には、かつてブルガリア正教会総主教座であった Ascension Cathedral が建つけど、現在は主教座教会としては機能していない。
丘の中腹あたりには、延々と城塞の壁が延び這っている。
市街の雰囲気は独特で歩き回るのも楽しい。ヤントラ川には沢山の橋が架かる。
Nativity of Mary Cathedral
そんな旧市街の中心、ツァレヴェツの麓に建つのが Nativity of Mary Cathedralで、1842-48年に建てられた。1913年の地震で崩壊した後、1934年に再建されてる。
中央ドームの周りに小ドームが沢山配置され、外装の装飾は控えめで重厚。
ビザンティン様式にブルガリア復興様式が折衷したようなスタイルだ。
小さい正教会も 沢山点在している。
Holy Forty Martyrs Church
ボリス3世橋の下につづく地さな坂をおりると、
頑強な城壁があって、
そこに開いた門を通ると、Holy Forty Martyrs Church; 聖四十殉教者教会 がある。
1230年、第二ブルガリア王国の皇帝 Ivan Asen Ⅱ; イヴァン・アセン2世によって、元々あった古い教会の痕に再建された教会で、同年に行われたクロコトニツァの戦いにおける勝利を記念して建てられた。
四十殉教者とは、初期キリスト教徒の故事 「セバステの40人」に由来する。
北側のナルテックスと入口。
教会内部。3廊式バシリカで、イコノスタシスは大理石製だ。
向かって右側の奥2本の柱は Column of Khan Krum; クルムの柱 Column of Khan Omurtag; オムルタグの柱、左側の一番手前の柱は Column of Ivan Assen Ⅱ; アセンの柱 で、ブルガリアの歴史を象徴する重要な碑文がそれぞれの柱に刻まれている。
9世紀頃、ブルガリア最初の聖人 Clement of Ohrid; オフリドのクレメンス.
牡牛の彫刻や、
修復されたフレスコ画。
教会の西側には半地下室があって、
別のフレスコ画が保存されていた。
教会の南側にはたぶん中世の頃からのオリジナルと思われる遺構が少し残っていた。
味わい深い家屋の並ぶ路地。
Church of St.Peter and Paul.
Vladishki bridge を渡って、
トラペジツァ側の路地を少し行くと
Church of Saint Demetrius of Salonica が建っている。
けど、残念ながら中には入れなかった。
違う橋を渡って、丘の反対側へ。
どこからでも、ツァレヴェツ要塞と頂上の教会はよく見える。
南側の丘の上から、街を一望する。
Monument to the Assen Dynasty
そのまま街へ下って行ったところにある Monument to the Assen Dynasty; アッセン王モニュメント.
ブルガリア第二帝国を築いた テオドール・アセン・カロヤン の3兄弟と、アセンの息子 イヴァン・アセン2世
4人の王の像が並ぶ。それぞれの像が誰に相当するのか、ちょっとわからん。
モニュメントのある場所から、北~東側にかけてヤントラ川湾曲部の向こう側に住居が建ち並ぶ。
川の西側には、谷底から支柱が延びたような独特な建築の Grand Hotel Veliko Tarnovo が建つ。
ヴェリコ・タルノヴォの旧市街の風景は また次の記事で紹介するよ。
おまけ
ヴェリコ・タルノヴォでは、偶然出会った Milva が家に招いてくれた。
大きめのソファで寝かせてもらい、
朝日が差し込む素敵な食卓で朝食をいただく。
こういうガチローカルの一端を垣間見れる時が、旅の中でも一番ディープなタイミングだと思う。
家の中には古いものが沢山あって、
ブルガリアの古い地図をもらってしまった。
つづく