【Republic of Bulgaria episode 3】ブルガリア文化の中心都市 Plovdiv 徘徊録

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

ブルガリアに入国して最初にやってきた大都市 Plovdiv; プロヴディヴは、古代から多くの勢力の征服を経てきたことから、街のいたるところにそれらの遺構があります。また、中世以降は長くオスマン帝国内の領土だったこともあり、それに根差した建物なんかも沢山あるため、可能な限り それらを見て回っていこうと思います。

ぶらり Plovdiv

宿の近くから 歩きで散策開始。

そこはかとないソビエト臭のする地下道を通って、

プロヴディヴの旧市街へ。

ブルガリア復興様式の邸宅

旧市街を歩き回ってみると、パステルカラーに外壁が塗られたかわいらしい木造家屋が沢山並んでいる。

これは「ブルガリア復興様式」とよばれるもので、19世紀にオスマン帝国から解放され自治が始まると、ブルガリア民族復興運動の中心的な都市だったプロヴディヴには経済的に成功した裕福な市民が出てきて、彼らは民族アイデンティティを示す手段としてこういった邸宅を建てたらしい。上層階が張り出した様式なんかは、オスマン建築の影響も強く受けている。

いまではその多くが復元されて、博物館や資料館として公開されている。

これは、そんな中でも最も美しいといわれる Kuyumdzhiev’s House.
1847年に Hadzhi Georgi Stanchovski というコソボ村出身の建築家に依頼して建てた家で、クユムジエフ家は金細工の職人として有名だったらしい。現在は地域民俗博物館として公開されている。

Craftman’s Street

旧市街のやや北東側へと歩いていくと、ブルガリア復興期以前のオスマン帝国時代からつづくギルド(職人集団)の名残で、今でも沢山の工房が軒を連ねる “Craftman’s Street” というエリアがある。

昔ながらの機織り機を操る職人さん。

こちらはビーズ職人さん。

ブルガリアも意外と野良猫が多くて嬉しい。

陶器のお店もけっこうある。ポップな雰囲気がいいなぁ~。

やや版権が気になるのは忘れて、オリジナルペイントのオーナメント。

と、職人さんの絵具セット。

ここは木工細工のお店。

шевица; シェビスタ と呼ばれるブルガリアの伝統刺繍を木材にあしらったもの。コースターなのかな、裏面には各デザインにどんな意味があるかがレーザーで印字されている。

色々とみていたら、職人さんが

木材の切れ端をくれた。こっちはくり抜いて捨てちゃうやつだからいらないらしい。

St. Nedelya Church

職人通りからやや南側へと歩いていくと、

1829年、17世紀初頭に建てられた旧教会の後に建てられたという St. Nedelya; 聖ネデリヤ正教会.

教会内はカメラで撮影できなかったので、GoPro写真になってしまうけど イコノスタシスの精緻な木工が美しい。
ブルガリアの正教会では、教会の全体的な内観以上に こういった木彫のディテールに注目したい。

Ancient Philippopolis; 古代フィリッポポリスの遺構

プロヴディヴは、古くはトラキア人、ペルシャ人、そして古代マケドニアを経てヘレニズム期、古代ローマにビザンツ帝国 と中世以前から多くの勢力の支配を繰り返し受けて来た場所だ。そんなわけで、街のいたるところに古代の遺構がある。

旧市街のブルガリア復興様式邸宅が軒を連ねる路地に架かる Хисар капия; ヒサルカピアと呼ばれる城壁門。基礎は2世紀頃のローマ期のもので、11~14世紀頃、第2ブルガリア帝国のときに現在の姿になったらしい。

そこから南東側の住宅地に突如ローマ期の遺跡が現れるのにも、プロヴディヴがかつてPhilippopolis; フィリッポポリスという古代ローマの都市だったことを感じる。

2世紀、ハドリアヌス帝の治世に ビザンティオン(後のコンスタンティノープル、現イスタンブール)とフィリッポポリス(現プロヴディヴ)を結ぶ道路に記念碑として建てられた東側の門の一部が今もこうして残っているのだ。

さらに旧市街を別方向へ歩いていく。

これも古代フィリッポポリスを守っていた城壁の一部。城壁はヘレニズム期(紀元前3世紀ごろ)につくられてから拡張や再建を繰り返されていて、これは初期ビザンツ時代(5~6世紀ごろ)のものらしい。

メヴレヴィー教団の寺院もある。

旧市街のかなり南側に位置する
Lamartin House(1830) と、Klianti House(18世紀半ば) の間の路地を下っていくと、

St. Demetrius Orthodox Church

丘を下る途中に

St. Demetrius Orthodox Church; 聖デメトリウス正教会 が建っている。

なんだかモスクのシャディルヴァンに雰囲気が近い教会の水場。

壁画が目を惹く別棟。

内部は白と金がベースとなっていて、祭壇は明確にイコノスタシスによって区切られていて見えない。

金の柱頭と、白基調の壁面が全体的に純潔な印象だ。教会が建てられたのは1838年ということみたいだけど、どこかのタイミングで修復されていると思う。イコンの中にはそれよりもずっと古い 15世紀ごろのものが含まれているらしい。

そのまま路地を進んでいくと今度は、

The Assumptions of the Holy Virgin Orthodox Church

The Assumptions of the Holy Virgin Orthodox Church; 聖処女教会がみえてくる。
なんだか鐘楼と本棟のギャップが激しいなぁと思いつつ、

門をくぐって中へ。

ここに建っていた最初の教会は9~10世紀にまで遡るらしいけど、オスマン帝国による征服後完全に破壊された教会跡に、
ブルガリア民族復興期の1845年、新たに建てられた教会がこの教会だ。

入口から内部にかけて。さきほどとはうってかわって、暗赤食の柱に黄金の装飾が輝く、落ち着いて重厚な雰囲気。

イコノスタシスと、

その中央部分のディテール。

東側から入口の眺め。

教会をて “猫トラップ Ver.三毛” にひっかかった後、すぐ南側にいくと、

Ancient Theatre of Philippopolis

プロヴディヴの街の象徴ともいえる古代ローマの劇場が姿をあらわす。

トラヤヌス帝の治世 2世紀の初頭に建造されたもので、半円形の劇場部分は直径約27m.
座席は28列あって、約6,000人かそれ以上を収容したという。

フロンス・スカエナエを構成する2重の列柱ファサード。
今でもコンサートに利用されてるのは、保存状態の良いローマ劇場あるある。

そこから、少し西側の方へと歩いていく。

巨大な壁画と、

パステルカラーな住居の間を通って、

Roman Odeon of Philippopolis

ひときわにぎやかな交差点部分に、これまた古代ローマの円形劇場がある。

ただ、こちらはTheatre というより Odeon とよばれるような、ずっと小規模な円形劇場で、
つくられたのは2世紀後半 マルクス・アウレリウス帝~セプティミウス・セウェルス帝の治世といわれている。

Dzhumaya Mosque

そんなオデオンの側に建っているのが、Dzhumaya Mosque; 金曜モスク.
元々は St.Petka Tarnovska Cathedral という教会があった
場所に、オスマン帝国によって1364年に建てられた。
ムラト2世の治世 15世紀に大規模再建されて今の姿に至る。

美しい木工で飾られた外壁。

1階部分にあるレストランの日傘の間を縫って入口へ、

礼拝室内部。
天井部分には9つのドームがあって、それぞれの下面をアーチが連結する。

Prince Alexander I 通り

オデオンとモスクのある交差点から南にアレキサンダー1世王子通りを歩いていく。

綺麗な色に塗られた建物が連なって、1階部分は色んな店舗になっている。

 

ど、ドラゴン?!

プロヴディヴには、素敵なスポットが他に沢山あるけど、どうしても人はこうゆう通りに集中して 結果どの時間帯でもただ商業施設が並んでるだけの目貫通りの人口密度が一番高い。これは面白い現象だよなぁ。

Sveta Maria Church

そんな目貫通りと先のローマ劇場のちょうど間くらいの位置に、

Sveta Marina Church; 聖マリーナ教会がある。

伝承によれば5世紀にまで遡る初期教会があったらしいけど、現在の教会がつくられたのは1851年。

教会を囲む回廊には旧約聖書の場面などを描いた美しい天井画が施されている。

入口部分とその副室。

内部は3廊バシリカ。

緑に光る中央ドームと、白亜の列柱・黄金の柱頭・そして各アーチに描かれたフレスコ画が相まって独特な雰囲気を醸し出す。

プロヴディヴの教会の中でも特に秀逸とされる木彫が施されたイコノスタシス。

メインドーム下面。

 

東側から入口をのぞむ。

敷地内のすぐ北側には、道路へのゲートも兼ねる 6重木造の鐘楼が建っている。中には全部で8つもの鐘がはいっているらしい。

教会から離れて、しかも他の住居と並ぶような形で鐘楼が独立しているのはすごく珍しい。

そのまま街を南北につっきる大通りに出て 少し南側に歩いていくと、

Roman Forum of Philippopolis

古代フィリッポポリスの広場(forum)の遺構が街に溶け込んでいる。
郵便局の建設中に発見されたというこの遺跡は、もはや歩行者用のインフラとして機能しているのであった。

Sveta Petka Nova Church

フォーラムから通りを挟んで向こう側に立派な鐘楼が見えたのでやってきた Sveta Petka Nova Church; 聖ペトカ・ノヴァ正教会.
やっぱり基礎部分からは古代の教会跡が発見されているらしいけど、現存の教会は1888年に建てられた。

ブルガリア正教会のみどころは、イコノスタシスの木彫だということがこの街に来てよくわかった。

猫トラップ Ver.黒 にかかった後、少し西側へと道を戻る。

The Episcopal Basilica of Philippopolis

St.Luis Cathedral のすぐ後ろにある、

このガラス張りの入口を擁した巨大な建物が、The Episcopal Basilica of Philippopolis というミュージアムになっている。
バルカン半島でも最大規模のバシリカで、4世紀頃につくられた初期キリスト教の貴重な床モザイクが大規模に保存されている。

内部はこんな感じで、もはや教会感はないけれど、床モザイクの修復と保全に全振りした施設となっていた。
幅38.5m × 奥行86.3m の巨大なバシリカだ。その内実に1,800㎡もの床面積が当時のモザイクで埋め尽くされている。
ここからは、残念ながらカメラによる撮影は一切禁止。スマホだったらいいよということで、ショボスペックのスマホカメラで撮影した一部を載せようと思う。

前面ガラス張りで保護されているものの、靴にはビニールを被せる徹底さ。

モザイク床上に張り巡らされたガラスの歩道を歩いて、全体をくまなく見学できるようになっている。
もう書くのに疲れてきたから、それぞれのモザイクの詳細は省くとして、およそ1,600年以上昔の職人たちのセンスを感じていただけたらいいなと思います。

というわけで、かなり盛沢山になってしまったけど、ブルガリア第2の都市 そして文化と歴史の中心でもあるプロヴディヴの徘徊レポートでした。

おまけ

夜のプロヴディヴ

 

 

つづく

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