どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
ブルサに滞在している間、少し東にある Cumalıkızık ; ジュマルクズク という村にやってきた。
オスマン帝国時代の町並みがそのまま保存されているという村を少し巡ってみようと思う。
Cumalıkızık のぶらり散歩旅
ブルサから、東へ10キロほど 向かう。
テネレを村の近くに停めて、村の中に入って行くと 石畳のつづく古い町並みは観光客でごった返していた。
海外からというより、トルコ国内の旅行者が多かった。休日だったのかな。
年配女性のアルチザンが、その場で絵付けをするポタリーが美しい。
ユネスコの文化遺産に登録されているということで、ローカルな商店から 観光客フォーカスなお土産屋まで 沢山の店が並ぶ。
観光客が沢山いると、なんだかなぁ ということは確かにあるけど、こういう場所はむしろお祭りみたいな感じで賑やかで楽しい。
村はそこまで広大ではないけれど、なかなかに入り組んでいてどこから見て回ればいいか迷ってしまう。
このマグカップとかも買って帰りてー。謎の瓶詰集もおもしろい。
石造りの基礎の上に木造が組み合わさって、サウジアラビアのジェッダでみたラワシン・バルコニーを思い出す。
工房を発見したので、ちょっと中を覗いてみる。
中には、このお店で焼かれた陶器でできた色んな商品がずらりと並ぶ。
ランプは素敵だなぁ・・・
イスタンブールのツーリスト価格に比べると、かなり良心的な価格で、いつか沢山買いに再来したい。
店主のおじさんが、中の工房も見ていきなと 奥に案内してくれる。
いまから焼成を待つ素焼きの壺や器、高温炉なんかも見ることが出来た。
実働する工房に独特の、静寂の中で道具たちが会話しているような感覚 これ世界共通。
多くの建物は何度も修復や再建を経ていて、現在みられる姿は150年くらいの歴史らしい。
ただ、元々はブルサが初期オスマン帝国の首都に定まる前後の、14世紀半ばにかけて建築されたもので 700年近い歴史がある。
そんなような歴史的な建物が約300棟もひしめきあっていて、そのうち180棟ほどは現役で店舗や住居として機能している。
木製の窓に、花が飾られてる。日本も、こうやって古い家屋を大事に残していく制度を戦後からしっかりと敷くべきだった。
相続税のせいで 先祖伝来の土地・家屋が手放され 無味乾燥なマンションや駐車場に置き換わって行ってしまう。大空襲でリセットされた東京の土地を、江戸の再建という眼目で整備し尽くしていたら どんなに美しい街になっていただろうか。
海外で出会う旅人と、東京の話をする時 自信をもって” Beautiful City ” とはいえない。ただただ ” Clean and Organized ” だよと言うことしかできないと思う。それは、旅を通して 歴史や文化を包含した街全体へのリスペクトが、住民の心に根差す街を訪れた後こそ 如実に感じる。東京ほど不思議で巨大なメトロポリタンはないけれど、そこにあるメンタリティは 世界中で歴史都市といわれる場所にいる住民が持つ都市に対する愛情とは だいぶかけ離れている。
街角でさり気なく売られている小物にも注目な街だった。
外壁に沿ってのぼっていく煙突LOVE
1396年につくられたとされる、村でも最も古い建物のひとつ Cumalıkızıkモスク。
歩き疲れたところで エナジー補給。中東のシャクシューカみたいな、トマトのオムレツ。
Uludağ へトライするも
ジュマルクズクの村を散策したあと、村の南東に広がる Uludağ; ウルダー山の麓へと走って行ってみる。
狭い農地の間を縫うようなダートがつづいて、ナビは全然役に立たない。
農家のおっさんに道を聞きながら 山につづく道を走っていくも、、、
途中からはそれ以上進めないようにゲートが下りていた。
地元の農家さんだけ通れるようで、
ちょうど坂を下りて来た車が通るのを手伝ったら、綺麗ないちごをお裾分けしてもらったりして、
まぁ上までは行けなかったけどこれはこれでいいやぁ とかなるのであった。
しばらくのんびりしながらイチゴを食べて、日が傾き始める中山道をブルサの方に戻るのでした。
オスマン初期の伝統息づくジュマルクズクの村と、その奥にひろがるウルダー山の自然。
ブルサの中心とはまた違った雰囲気を楽しめる場所だった。
つづく