【Republic of Turkey episode 25】Aizanoi; アイザノイのゼウス神殿を経て、Eskişehir;エスケシェヒルでAyfer 一家と再会

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

イズミルの街には何日か滞在して、概ね街を楽しむことができたなぁというところで、次の目的地へと移動します。
トルコ東部を走っている時に出会った家族が住む町 Eskişehir; エスケシェヒルを目指して 再び内陸部へと入って行きます。

ここまでのルート

道中で1野営泊

イズミルのドミトリーにいた猫が、ちょうど子猫を出産した後で 宿にあった猫ハウスにはまだ目が開かないくらいの子猫がミーミー言いながら這いまわっていた。

もうそれがヤバすぎて、なかなか宿を出発できず 結果昼も過ぎ過ぎくらいでようやくイズミルから出走。

イズミルからエスケシェヒルは内陸ルートで420km程度だから、ちゃんと午前中に出発すれば全然1日で到達できた距離なんだけど、もう道半ばで西日になってきたので早々に諦めて野営場所の捜索を開始する。

ハイウェイ沿いはなかなか見つからないので、ローカル道の脇に良い場所を発見。

Aizanoi の古代遺跡

朝。

エスケシェヒルへの道中に、面白そうな遺跡が地図上にあったから せっかくなので寄ってみる。
Çavdarhisar という小さな村を経て、

サイトに近づくと、まずは巨大な Temple of Zeus; ゼウス神殿 が目に飛び込んでくる。

アイザノイは、紀元前3,000年頃には古代フリギア人の居住があったとされていて非常に古い土地だけど、都市国家として発展するのはローマ期以降。ヘレニズム期は セレウコス朝やペルガモン王国の支配を受けていて 大きな発展はなかったらしい。

気が向いた時は 記念撮影。

おそらく神殿のペディメントを飾っていたであろうアクロテリオンの一部。

神殿が建てられたのは、1世紀後期(92~95年)頃 ドミティアヌス帝の治世か、あるいは117~138年頃 ハドリアヌス帝の治世と考えられていて、はっきりとは分かっていない。

アナトリアで最も保存状態の良いゼウス神殿ということで、沢山写真をのせておく。

柱頭はイオニア式だったりコリント式だったり。ひとつの神殿に複数の柱頭様式が混在する。
ゼウス神殿がつくられたローマ期は、ギリシア様式を取り入れつつ ローマ独自のデザインも折衷させるといった風潮があったり、豪奢な雰囲気のコリント式と、優美でスタイリッシュなイオニア式を 同建造物の別部位で使いわけていたりしたらしい。

神殿南~東側。

壁面のところどころに彫られたギリシア文字の碑文や独特の紋様。

それにしても、アイザノイの遺跡の入場料は先述エフェソスの1/11 以下。なのに人は全然いないし、神殿の中にまで入って見学できるし、保存状態も御覧の通りだし、これはめちゃくちゃ良い遺跡だと思った。まぁエフェソスが高過ぎなんだけど、観光地もプロモーション如何でここまで”その実”と関係なく価格差や人気差がでるものかという好例だった。

ゼウス神殿の周りには、大量の石碑が野外展示されていて、これもめちゃくちゃ面白い。

記念碑や奉納碑、法令碑や神殿の一部などがメインのようで 独特の紋章や動物を象ったレリーフを発見できる。

鳥やライオン、太陽や花綱なんかの彫刻が多い。

神への供物を象徴する牡牛の頭(ブケファロス)、そして豊穣や祝祭を表わす花綱(フェストーン)が組み合わさったモチーフは 古代ローマでよく使われたモチーフで、ゼウスへの奉仕や感謝を表していたと考えられている。

神ゼウスの使者とされていた鷲は、同時に 死者の魂を天界へと運ぶとも考えられていたようで、ゼウス神殿の威厳を表現する建材の一部だったかもしれないし、もしかしたら誰かの墓碑なのかもしれない。

扉のような石碑も多い。これも、冥界への入口を象徴していることから 墓碑の一部だったのかもしれない。

アラビア語の石碑も。アイザノイが、ローマ期以降も セルジューク朝やオスマン帝国によって利用されつづけていたことが分かる。

これらは墓標なのかな、ちょっとよくわからないけど、

向かい合った2頭のライオンが牡牛を制圧するレリーフ、かっこいい。
というわけで、紋章やレリーフが好きな人であれば、神殿周りに展示された石碑群は、ゼウス神殿以上に楽しめるかもしれない。

神殿からちょっとだけ離れた場所には、

円形劇場もある。ここはまだ修復作業中といった感じで、まだかなり荒々しい雰囲気だった。
劇場につづく広い回廊と連結したような構造になっていて、総合的なエンターテイメント施設だったという。
修復が完了すれば、当時収容人数20,000人を誇ったという 大規模な円形劇場が復活する。

Eskişehirへ Ayfer 一家との再会

アイザノイの遺跡を去って、

再び北東方向へと走って行く。

途中、Kütahya; キュタヒヤ の街のゲート。陶磁器で有名な街で、このゲートのようなカラフルな彩色の食器が、他の街でもよく売られている。キュタヒヤも歴史の深い街で面白そうだけど 今回はスルー。通過するとき、道路脇に大規模な工場が2-3 つ、煙をあげていた。

Porsuk Barajı; ポルスクダム上流域。この先、キュタヒヤ県とエスケシェヒル県の県境部分にダムがある。

河畔にまで下りて行ってみると、

でかいペリカンがたくさん着水するところだった。

ほどなくしてエスケシェヒルに到着。

Ayfer 一家と無事合流して、しばらく彼らの世話になりつつ街を案内してもらうことになった。

つづく

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