【Republic of Turkey episode13】玄関街 Kayseri; カイセリ からカッパドキアへ

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

アナトリア中央部の高原地帯にて野営明け、いよいよ かの有名なカッパドキア(Göreme; ギョレメ) を目指します。
が、その前に その玄関口といわれる Kayseri; カイセリという街に寄って行きます。

ここまでのルート

朝、今日も突き抜ける快晴。
ちょっとは曇ってくれてもいいんだけど、と思う。

家畜用の水場があったから、案の定放牧中のひつじ達がやってきた。

ロバに乗った彼の顔つきは、キルギス人 あるいはモンゴル人にすごく似ている。
一瞬キルギスに戻ってきてしまったかと思った。
トルコ人 と聞くと、多くの人は彫りの深い中東系の顔を思い浮かべる人が多いと思う。だけど、トュルク民族のルーツは現在のモンゴル高原~中央アジアにあって、元来は顔つきも我々アジア人に近かったのだ。トルコという国は地政学的な要件もあって、民族的な統一性は非常に乏しい。現在「トルコ人」という言葉がもつ意味は、あくまで「トルコという国で生きている」ということ以上の意味をもたず、ルーツはペルシャ系 スラヴ系 コーカサス系 ギリシア‐マケドニア系 アラブ系とまさに坩堝なのだ。

取り出しやすい場所にシングルバーナーがあると、QOLが向上する。

シュラフ干し。

 

周りを見渡すとマーモットの巣穴みたいのがあったから、しばらく観察していると、かわいらしいやつが出て来た。
ジリスの一種で、和名はキハタリスというらしい。レッドリストカテゴリーで準絶滅危惧に該当していた。

あまりにもいい野営地だとついダラダラしてしまう。

Kayseri へ

撤収後、しばらくは砂利道のダートを走って行く。

左右は広大な平原と耕地。

Zamantı River に沿って、西へ 西へ。

見慣れたテネレが、妙にかっこよく見える瞬間がある。
たぶんバイク乗りみんなそういう事あるよね。

Kayseri; カイセリの街が見えてきた。

Kayseri ぶらり

ピカピカの路線トラムが走る街は、予想していたトルコの地方都市よりずっとモダンだった。

街の中心に寝そべるカイセリ城の城壁前にテネレを停めて、とりあえず徒歩で適当に歩きまわる。

城壁周りは商店で賑わう。

アーケードに入ってみると、

まぁもう見慣れてしまったけど、スパイス店や宝石店が軒を連ねるバザールがつづく。

見慣れたとはいえ、この雑多な雰囲気の中に、国や地域 都市ごとに違った雰囲気がある。

荷台で売られる何かの瓜と、トルコではどこでもよく見かけるゴマをふったドーナツ型のパン。

コーヒーの良い香りがすると思ったら、行列のできるコーヒー屋で、皆豆を買っていた。
トルココーヒーといえば超細挽きの粉が沈殿してるイメージだけど、みなさんどんな挽き具合で飲むんでしょう。

トルコで一番よく見かけるSS、CF MOTO の 300SR というモデル。カラーリングけっこうかっこいい。純正でD.I.D のロゴが入ってるけど、果たして本当にD.I.D製のチェンなんだろうか?

13世紀、ルームセルジューク朝時代の Hunat Hatun Complex.
当時のスルタンに包囲されたアルメニア貴族によって、領地と引き換えに嫁がされた娘 Hunat; フナト夫人によってつくられた。

カイセリ城の起源は3世紀にまで遡り、ビザンツ帝国 セルジューク朝 オスマン帝国と 時代と共に増築を繰り返されてきたという。

街を区切る内外郭。

歴史的な建造物の背後に聳える Mount Erciyes; エルジェス山. Peak の標高は3,916mになる中央アナトリアの最高峰だ。

ありがたきトルコの水場。
飲んでよし浴びてよし。

Mother Mary Church.
どうやらオスマン帝国時代に建てられたらしい教会は、いまは美しい図書館になっている。

しかし、オスマン帝国時代に帝国内領土に教会が建設されるっていうのは、どういう経緯なんだろうか?
地理的にも、中央アナトリアで ギリシャ側にもコーカサス側にも近くないのに。

中に入ってみたかったけど、会員制なのか ゲートにカードをかざして入場する仕組みのようだった。

昼休憩、シュワルマ定期。
これで Small.

カイセリのグランドモスクには、11世紀後半~12世紀後半に存在していたアタベク政権のダニシュメンド朝のスルタン Melik Mehmet Gazi の墓がある。

通りかかった刃物屋の前で、おっさんがケバブを削ぐ用の長いナイフを研いでいた。

手作り感湧き出る斧や、

数々のナイフ。

おっさんが店の中に招き入れてくれて、ハンマーで刃先を鍛える様子を見せてくれた。
小気味のいい金属音が響き渡る。

カイセリは金属加工や織物の生産が盛んで、面白い店が沢山ある。

これはよく牛が首につけてるベルかな。
野営中にこの音が聞こえると、あ 放牧から帰って来たんだな ってのが遠くからでも分かる。

裸の羊毛と、これは何用のベルトなんだろか?

グランドモスクの近くにある回廊に入って行くと、迷路のようにつづく屋根で覆われたバザールに繋がっていた。

ここにも鍛冶屋系の店が多いけど、もっと日用品よりの雑貨店も多い。

なにより薄暗い路地にネオンの店看板が光る様子が👍

この木の棒は、よく羊飼いが持ってる杖かな。

肉屋。トルコで食べる肉といえば suçuk; スジュク とよばれる加工肉が多くて 牛肉か羊肉、それらのミックスでつくられる。

メイン通りに戻って来た。交通量は多い。

メインスクエアでひときわ目立つ Burunguz Mosque.

アタテュルク像。

街の中心に戻って来た。城壁の周りにも、小さな店がみっしりと並んでいて楽しい。

城壁前にこしらえられた、ハト小屋?

Kadınlar Çarsısı Heykeli という彫刻。
独立戦争で活躍したトルコ人女性を表わしてるらしい。左足で踏まれた嫁入り道具箱は、財産よりも国の独立を優先する姿を称えている。
ある国で暮らす国民として持って至極当然なナショナリズムを遍く軍国主義と呼びたがるキ〇ガイ共にも見てほしいもんだ。

城壁の1か所に、内部に入って行ける門があった。

門の上に構える1対の、猫??狛猫?

城壁内でバスキング。ギターとアコーデオンって組み合わせは珍しいね!

棟の内部には、お土産屋が並んだり 洒落たレストランが並んだりしていた。

最後、Döner Kümbet をチラ見して、カイセリを後にした。
1,220年頃、Şah Cihan Hatun という女性のために建てられた、精緻な彫刻をもつ八角形の霊廟だった。
先のアルメニア貴族(Kir Fard)の娘とは別人物で、詳細はよくわからなかった。

Göreme へ

カイセリを後にして、更に少し南西方向へと走って行く。
カイセリの街が思ったよりもボリューミーだったから すっかり時間が経ってしまった。
ここいらは標高が高いからか、東部のヒマワリたちより元気そう。

ほどなくして、Göremeの街に到着した。
気球の風景でお馴染みのカッパドキア、どんな旅が待っているか到着前から楽しみだ。

つづく

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