【Republic of Turkey episode 12】Divriğiの大モスクから、トルコ中央部の高原

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

ケマリエのキャンプ場で一夜明け、再び暗闇渓谷を経て次の道へと進んでいきます。

ここまでのルート

暗闇の渓谷 再び

朝、ケマリエのキャンプ場にて。

Bastian のテントいいな。ヒルバーグより少しだけ小ぶりだけど、居住性よさそう。
Forclazという、デカトロンブランドの自立式だった。

Bastian と。
またスイスで会えたらいいねぇ。

両車両の年齢差、なんと32歳。

全てオリジナルのコンディションで保存された、スイス・ホンダ特別仕様の1988年製XRV650.

ガソスタでBastianとお別れして、

改めてやってきた暗闇渓谷の入口。

文字通り断崖絶壁に挟まれた道を崖下に転落しないように進んでいく。

カラス川(ユーフラテス)の色は深い緑。

渓谷のオフロードを覆う長いトンネルを抜けていく。

トンネルの途中には、さらに分岐して奥へつづく道も・・・
まさに暗黒トンネル。怖くて入る気にはならない。

トンネルを抜けている最中に、トルコの現地ライダーと出会った。
Thoska というソフトパニアはトルコブランドらしい。はじめて見た。他のライダーがつかってるギアを見るのは楽しいよね。

確かに最高の道だけど、全長が25kmとやや短くて、走ってしまえばやや物足りない感じは否めない。
道中に寄るくらいのノリならちょうどよいけど、ここを目的地にはるばるやってくるとなると、拍子抜けになってしまうのでは?
と思ったりもした。

エルズルムで会ったドイツ人ライダーにここの話を聞いたときは、けっこうRockyだと聞いていたけど、ロードコンディション的にはかなりイージーな部類で、無事北側の出口へと抜けることができた。

出口にはまた別のターキッシュ・ライダー達が。
しかし、トルコは国土が広いから ちょっと国内ツーリングっつってもかなりの距離になるのが普通なんだろうなぁ。

ユーフラテスはそのまま北へと向かっていくけど、

やや北西へと進路を変えて山道を進んでいく。

この漠漠、トルコ!!

線路を越え 山を越え

灼熱の空気をテネレで引き裂いていく。

Great Mosque and Hospital of Divriği

やがて Divriği; ディブリーという小さな街に着く。
街の北西に聳える小高い丘と、その上のDivriği Kale Camiiへとつづく城壁が見える。

その丘のふもとにある、Great Mosque and Hospital of Divriği にやってきた。

モスクの前の斜面は綺麗に剪定された芝生の広場が広がる。

Great Mosque and Hospital of Divriği; ディブリーの大モスクと病院
見た目の迫力は凄まじいものがある。
1228~1229年にかけて、メングジェグ朝によって建てられた。
メングジェグというとまた超マイナーな王朝だけど、エルズルム編で触れた ルーム・セルジュークで乱立したベイリクの内のひとつだ。
現在のシヴァス県北東部~エルジンジャン県西部にかけてを支配していた。
15~19世紀にかけて複数回の修復を経て、近年も2015年からごく最近まで修復作業がつづけられていて、つい2024年の5月、管理人が訪問したわずか2か月前に一般公開されたばかりなのだ。

大モスクから見える城塞。

メングジェグ朝の統治者は、特に芸術分野において優れたパトロン的役割を果したようで、この大モスクには圧倒的に秀逸な石の彫刻をみることができる。西側の壁面には大きな門が2つ、その内の南側の門。

上部アーチと窓の詳細。

アーチ内部。

ポータルを囲う柱基部。

西壁面、北側の門。

これでもか!!というほどに精緻な彫刻。意匠化されて双頭鷲のモチーフもかっこいい。

北西角に建つミナレットを周って北側にいくと、

北側のファサードが見える。

地元で産出した砂岩が独特の色を放つ。

アーチ内面。

ポータルの枠部詳細。
今までさんざんモスクの彫刻をみてきたけれど、それでも圧倒される複雑なアンカンサス。

コラム詳細と、

基部。

内部へ入って見ると、六角柱の重厚な列柱で支えられた身廊が現れる。

中央ミフラーブと、

その詳細。

西側身廊。

ディブリー大モスクのもう一つのみどころは、身廊の各天井部に施された意匠で、全く違ったパターンのデザインを発見することができる。

大モスクの東側にもファサードが隠れていて、ここは元々王室専用の入口だったらしい。
今では窓となっていた。

Sivas からのライダーと出会う

大モスクの彫刻に度肝を抜かれた後、近くにある高台のテラスに行ってみた。

ディブリーの街を一望する丘の上には、

こんな感じのテラスが伸びていて、

こんな絶景を見る事ができた。çaltı suyu stream がつくる渓谷。
隣には下面がガラス張りでできたテラスもあったんだけど、そっちは入場料がかかる。

その渓谷の頂上には Kesdoğan Kalesı が見える。

Divriği Kale Camii と城壁。

そんな感じで景色を眺めていると、Sivas; シヴァスからやってきた2人組のライダーに声をかけられた。
これから昼飯を食べるから一緒にどうか ということなので、のこのことついて行く。

2人もここに来るのは初めてのようで、色々街中で人に聞き込みをしながら空いてるレストランを探してくれた。エルズルムで食べたジャーケバブを思い出す。

結局昼飯はご馳走になってしまった、ありがとうm(_ _)m
金額的にはわずかであっても、こういう親切の積み重ねで旅が支えられてる部分は大きいと 最近一入に思うようになってきた。

中部高原の野営

2人と別れた後、これから いよいよあの Göreme;ギョレメ=カッパドキアに向かうため、南西西方向へと進んでいく。

アナトリアを巨大な半島とみなした時の、まさに中央点のような場所で、標高はだいたい1,700m前後の高原地帯となる。

マルディンやディヤルバクル、シャンルーファと 灼熱地獄のトルコ南東部からやってくると、まさに天国。
日が傾いてから、冷えた走行風が気持ちいい。

途中のサビれたガソスタで、給油するわけでもなくただ休憩しただけだけど、チャイをご馳走してくれてフレンドリーに迎えてくれた面々。このキツネみたいなピースは、いわゆる人差し指と中指のピースサインと明確に区別してなされる。
なぜなら、いわゆるVサインは、トルコではクルド人労働者党PKKを支援する意味を持つからだ。
トルコ国旗をもってこのピースサインをするということは、言ってみればクルド人に対してAntiな意思表示をしていると取られてもおかしくない、、、けどまぁ管理人にとってはそんなことはどうでもいいのだ。ついこの間まで東部でクルド人の世話になっていたけど、いまはここでトルコ人の世話になっている。国境と地域を跨いで旅をするなら、その都度出会う人々に従ったご都合主義で上澄みをやり過ごしていくのは必要だと思う。

西に落ちていく太陽を追いかけるように、西へ西へと走って行く。

この日は暗くなる直前に辿り着いただだっぴろい高原でテントを張った。

放牧された家畜用の水場もあってちょうどよい。

ってなわけで、トルコも東半分を走ってきたわけだけど まだまだこれから西側の旅が待っている。

つづく

管理人の旅を支える道具たちはこちら↓↓↓