こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
ジョージア、西の都市 Kutaisi; クタイシに辿り着き しばらくは北部の情報収集とブログのキャッチアップ、そして肘の療養なんかをしながら街の周辺を徘徊しようと思います。
Kutaisi; クタイシの街 雑景
クタイシの街にはまぁまぁ滞在した。とはいっても、だいたいブログのキャッチアップのためにPCに貼りついて せいぜいスーパーとドミの間を行き来することがほとんどだった。沈没中の旅人なんてたいていそんなもんだ。でも、常に移動をつづけるオーバーランディングバイク旅では、何もしない何も考えない ただ無駄に時間を消費することがたまには必要。
天気が崩れる日も多かったから、晴れ間を縫うように街を徘徊した時の写真を また雑に貼っていこうと思う。
バルコニーが特徴的な伝統家屋。
クタイシの市内を縦断する Rioni; リオニ川。街にはリオニ川に架かる橋がいくつかある。
コーカサス名物(?) 旧ソ製オンボロワズの荷台に野菜だの果物を詰め込んで売るおっさん。
雨が降った後の流れはまぁまぁ激しい。
クタイシのど真ん中、キンキラキンの像が特徴的な Colchis Fountain; コルキス噴水が中央で輝く。紀元前にコーカサスに存在した、最初のグルジア国家 コルキス王国の出土品を模しているらしい。
テネレは、久々に荷物を外されて身軽な佇まい。クタイシはジョージアの中では一番犯罪率が高いということで、ドミのおっちゃんが荷物を全部別室の倉庫に預かってくれた。フロントパニアはめんどすぎるので空にしてそのまま。
街中には小さいながら独特な雰囲気の教会もたくさん点在してる。
相変わらずの雑居感あふれるビルや住宅地。
White Bridgeの上からは、
ケーブルカーの行き来が見えて、
南北に流れるリオニ川を眺めるのはなかなか気分がいい。
旧市街の一画は、欧州の街並みを連想するような石畳と綺麗な建物が並ぶ。
オペラ劇場。
古代コルキス王国や、中世グルジア王国の首都であった履歴もあるはずだけど イマイチそういう”古代からつづく古い街”の雰囲気は希薄なかんじ。
「世界で最も古くから人が継続して住み続けている街」のひとつに数えられるクタイシだけど、どちらかというとロシア帝国へ併合されソビエトを経た匂いの方が濃い印象を受けた。
まぁ今この街を生きる若者にとっては、コルキス王国の首都だった矜持とかそんなのはどうでもいいというか、頭をよぎることすらないんだろう。
市内で見つけた、古本のフリーマーケット。
古本が積みあがってる様って、なんか本当にいいよねぇ。
あまりにも雑然と積み上げてるから、売る気はほとんど無さそうだけど、その点は神保町も負けてないなと思った。
Kutaisi festival
管理人が滞在していた期間の内、数日間はたまたま市内でフェスティバルが催される時期だったみたいで、街中に出てみると大そうな盛り上がり様だった。
路地には屋台的なテントフードハウスがずらりと並んで、ビールやらバーベキューやらが売られる。
日本のお祭りが懐かしいなぁと ふと思った。
夜には更に熱気を増して、
一画に設置されたステージでは夜な夜なDJが爆音を流し続けるのであった。
Bagrati Cathedral
クタイシの街で、最もアイコニックな存在である Bagrati Cathedral; バグラティ大聖堂にやってきた。
建設されたのは1003年と考えられていて、当時 イベリア王国と統合される直前のアブハジア王国14代君主 Bagrad Ⅲ; バグラド3世の命による(その後、1008年 両国の統合によってジョージア王国が誕生し、バグラト3世は事実上その初代国王となる)。17世紀オスマン帝国の攻撃によって大破したあと、1950年代から実に40年以上の期間を経て修復されてきたらしい。
西側の教会前には、おそらくオリジナルと思われる1,000年前の教会の名残が残っていた。
南に建つ鐘楼。
西側ファサードと、
そのアーチを飾る意匠。
柱の中段には馬や鷲のレリーフも。
教会の北側に施された異様にも見えるエレベーター。
こういった中世建築の再現性を無視した修復作業によって、バグラティ大聖堂は一度登録された世界遺産を剥奪されている。まぁ、賛否はあるんだろうけど、無責任な観光客的視点でいうなら、まるで建物が建物に寄生しているような様でおもしろい。
南側ファサードの一画では、
修道士たちによる演奏が披露されていた。
こういうの見るたびに、ちょっとその弦楽器弾かせてぇ~と思うんだけど なかなか頼めないよね。
東側にも、城塞の一部のような遺構がのこっていたけど、これも教会の一部だったんだろうか・・・?
東側より。祭壇部分のニッチの入り方は、アルメニアの聖堂や教会にも共通する雰囲気。
小高い丘の上に建つバグラティ大聖堂からは、クタイシの街を一望できる。
さて、教会の中に入ってみる。
入口には、しれっと聖ニノの十字架。なんでこんなに曲がってるんだろう。
教会内部は、確かに最近修復されたばかりといった雰囲気。
石の表面は滑沢で、アルメニアで見たようなゴツゴツした粗暴さはない。
ドーム下面。
身廊部分は 宗教画とか 色んな宗教関連物が展示されるミュージアムみたいな雰囲気だった。
教会内の2階部分の構造も、確かにこれはちょっとモダン過ぎたんじゃない とは思う。
写真撮ってくれ勢のイケメン。
まぁ色々と物議をかもしてはいるけれど、クタイシの司教座として そして地元住民の宗教的拠り所として 変わらず強い存在である偉大な大聖堂で、あり続けて欲しい。
Motsameta Monastery
またとあるとき、市内からやや北東に外れた場所にある修道院にやってきた。
参道を歩いて石づくりのゲートをくぐると、Motsameta; モツァメタ修道院が聳え建っている。
8世紀、イスラーム勢力に蜂起したジョージア貴族 ダヴィデとコンスタンティヌス兄弟が敗北の後改宗の打診を拒否し、殉教したことに由来するらしい。現在の教会は、8世紀に建てられた教会跡に、ジョージア王国の3代君主 Bagrat Ⅳ; バグラト4世によって建てられたという。
教会に向かうと、中からは花嫁さんがでてきた。
コーカサスの教会や修道院は 特に由緒ある場合挙式の人気スポットとなる事が多い。
修道院は、リオニ川の支流である、Tskaltsitela; ツカルツィテラ川が成す峡谷の断崖絶壁上に建っている。このツカルツィテラというのは「赤い」という意味があるらしく、先の殉教した兄弟の死体が投げ込まれた川が血で染まったことに由来するらしい。
教会、北側のファサードと、
扉の意匠。
西側から中に入ると、今度はまた違う花嫁花婿が挙式を挙げていた。
もうこうなると内部の写真を綺麗に撮り分けることは不可能なので、マインドチェンジして結婚式の参列者としてしれっと雰囲気を楽しむが吉。
Good Luck, the new couple.
教会の西側にちょこんと置かれていた井戸のようなもの。
しかしこの水は一体どっから汲みあがってるんだ?
Gelati Monastery
モツァメタ修道院より更に少し北にいくと、そこには Gelati; ゲラティ修道院がある。
モツァメタよりもだいぶ観光客が多い印象だった。
修道院は曇天でもいい雰囲気でるからいいよね。
入口と、その上の聖母画。
ゲラティ修道院は 1106年 ジョージア王国第5代王 David Ⅳ; ダヴィド4世の命によって建設がはじまった。
敷地の一番東に位置する St. George; 聖ギオルギ教会。
管理人が訪れた時は残念ながら中に入ることができなかった。
その西側の壁面のレリーフ。
メインの建造物 Cathedral of the Nativity of the Virgin; 聖母生誕大聖堂
管理人が訪れた時は、内外含め大規模に修復用の足場が組まれていた。
北側の扉周辺。
西側の入口から中に入ってみると、
まずは南北に走る身廊を一度介する構造になっている。これはガビットって言っていいのか??
ガビット(?)部分のフレスコ画。古いもので建設当時の12世紀にまで遡る。
教会内部への入口と、
その周りのフレスコ画。
内部にはかなり密集して足場が組まれていて、
内壁を覆うフレスコ画が修復真っ最中という雰囲気。
ゲラティ修道院大聖堂のフレスコ画は、ジョージア国内でも屈指のものなので ちょっと残念だったけど仕方がない。足場の組まれた教会内を見られたことをラッキーと思うようにしよう。
ドーム下面のキリスト像。
教会内に飾られた宗教画たち。
一瞬晴れ間が広がった瞬間に、南側からの一望。やっぱり晴れた方が、エメラルドグリーンの屋根が綺麗に映える。
聖母生誕大聖堂の脇には、鐘楼と St.Nicholas; 聖ニコラス教会が建っている。
鐘楼の1階部分には湧き水がでている。
聖ニコラス教会はまるで鐘楼のような見た目で、
1階部分は列柱のアーチで支えられてる。
その一画には巨大な白化した木の幹が置かれていたけど、これが何のかは謎。
脇の階段をのぼると、
2階部分が教会になっていた。
聖ニコラス教会の更に西側にある倉庫のような建物。
入口の柱には立派なライオンの彫刻が彫られている。
中は木製の梁で組まれた屋根が特徴的で、伝統衣装を着たおっさんが暇そうにTar 的な弦楽器を弾いていた。
で、この建物も何なのかよくわからない。
さて、広いゲラティ修道院の敷地内で、一番南の方にあるのが この修道院の建設を開始・指揮した ダヴィド4世の霊廟となっている。
霊廟のアーチ状に飾られた、たぶんダヴィド4世 その人の肖像。
この時は、霊廟内で地元の学生たちが輪になって、先生と思しき人物と一緒に歌のようなものを歌ったりしていた。
「建設王」の異名をもつダヴィド4世は、11-12世紀の中世ジョージア王国黄金時代の創始者と考えられていて、日本でいえば織田信長とかそんなようなポジションの人物なのかもしれない。
アーチの奥に見える墓石が、ダヴィド4世のもののようだ。
そんな霊廟にちょっと似つかわしくないように見えるこの鋳鉄製の巨大な扉は、ダヴィド4世の息子であり後継である Demetrius Ⅰ; デメトリウス1世が、現アゼルバイジャン領にある ガンジャという都市から1139年に略奪してきたものが寄贈されている。
敷地内には、ほかにも多くの偉人たちが眠る。
Prometeus Cave
またとある日、市内から北西に20kmほどいった場所に なかなかいい洞窟があるから行ってみたら と言われて、来てみた。
正直 観光化された洞窟系スポットにはあまり期待できず、まぁ一応~せっかくだし~見るだけ見とくか、、、くらいの気持ちで来てみたんだけど
中に入ってその壮大さに圧倒された。
全長11kmあるという洞窟のうち、1.8kmが観光用に開放されている。
団体での入場となるので、列の一番後ろに移動して 集団と距離をとると 1人で見て回っているような気分になれる。
洞窟内の通路はとてもよく整備されていて、ところどころ幻想的なライトアップがされている。
ひとによってはこの手のライトアップは興ざめと感じてしまうかもしれないけど、まぁなにも無かったら真っ暗だし、いいんじゃないと思う。
通路から大きな空間に開けた時の壮大さや、洞窟内に現れる巨大な石の造形・つららのように垂れ下がった岩石群は 想像以上に楽しい体験をさせてくれた。クタイシを訪れるのであれば、プランに入れても後悔はしないと思う。時間や予算に余裕があれば、洞窟探検後に、連続する地下河川のボートツアーにも行くことが出来る。
奥田氏との出会い
クタイシの街を走り回っているとき、スイスからのツアー団体が「日本のナンバープレートのついたバイクがある」というので少しザワついたんだけど、その中にいた日本人女性がすぐさま管理人の存在に気付いて
「あら!あなた日本からバイクで旅してるの! ちょっとお話聞かせてよ!」ということで急遽夕飯をご一緒させてもらった。
奥田氏は、20代の頃 当時窮屈さを感じていた家庭を飛び出して単身アメリカに留学。その留学先で出会ったスイス人男性と結婚。
その後スイスに移住した後、旦那さんの仕事の関係で世界を転々としつつ 今は離婚されて 娘さんやお孫さんと会いながら今回のようにたまに旅行をして暮らしているという。70代とは思えない健勝さと、今までの人生を反映するような闊達な物腰、にもかかわらず上品な とても素敵な方だった。管理人は図々しくTボーンステーキをご馳走にになり、自分の旅に至った経緯や 旅での出来事など 色々と話しをさせてもらった。 Thank you so much, Madam Etsuko Okuda.
Nichola との出会い
クタイシの宿で過ごして数日後、宿の外にBMW F800 が停まっていた。
ん、これはもしや ウプリスツィヘ洞窟住居で隣にあったやつか?
その後、結局宿でお互い「あぁ~あの時の!」ってな感じで出会った セルビア人ライダーの Nichola.
動物に例えるのであれば、まぁ間違いなくジャーマンシェパードの Nichola はなかなかよく喋るひとで、バイクに関する事もさることながら、ツーリングにおける哲学みたいな?なんかいろいろと持論を展開されたが、まぁでも彼は既にトルコを走ってきているから その辺の情報も沢山聞くことができた。
おまけ1
キルギスぶりにライジャケとエクスプローラージーンズを洗濯した。
おまけ2
歯ブラシと歯磨き粉を新調。薬局のおばちゃんがすごく親切だった。
肘用に、ボルタレンクリームを買った。”Diclofenac” というと伝わる 一般薬剤名のありがたさ。
間違ってカミソリで指をけっこう深めにいってしまった。同じく薬局で買った絆創膏のパッケージがかわいい。
最近気が抜けてるのかな・・・・
おまけ3
コーカサスでは、比較的日本米に似たような形の米が手に入る。最近はベーコンをガーリックまたはバターで焼いて、キルギスのバザールで見っけた出汁の粉を混ぜて炊いたご飯にのっけて豚丼にするのがブーム というかそれくらいしかレパートリーがない。
砂糖を持ち歩くのが嫌だなぁとずっと思ってたら、クタイシのスーパーで便利なアイテムを見つけた。
タブレット状で、1粒入れるだけでしっかり甘くなる。
おまけ4
最近PC充電用のtypeC-typeC コードの調子が悪い。ドミのおっさんに電気街の場所を聞いて探し回ってみる。
結局、大型のモールに入ってた ALTA というジョージアのビックカメラみたいなところで、
60Wまで対応のケーブルを入手できた。
おまけ5
クタイシのスーパーマーケット。豚肉もビールも簡単に手に入る、コーカサスはやっぱ中東より圧倒的に生活しやすい。
つづく